第20話「旅の再開」
────マリオンは何も知らないまま、朝までぐっすり眠った。
隣で静かに寝息を立てているグレアを揺り起こし、外がまだ薄明るいくらいの時間に出発の支度をする。マクシミリアンの悪事が暴かれて自分たちが求めていた結果を見届けたので、もう宿泊を続ける理由はなかった。観光も済ませていたし、次はウェイリッジから移動してヴェルディブルグの王都ラルティエにあるというリヴェール孤児院を目指す。
のどかな田舎町での騒動はいったん幕を下ろし、旅の再開だ。ティナや酒場の陽気な人たちに別れを告げ、駅へやってきて列車が来るのをベンチに座って待つ。時計がないのが不便だ、とグレアは口先を尖らせた。
「ねえ、マリオン。列車が来るまでどのくらい?」
「さあな。懐中時計でも持ち歩いとけば良かったぜ」
「まったくだよ。もう一時間は待ったんじゃないのか」
「せっかちだな。けど、まだしばらく来そうにはねえし……」
マリオンが「じゃあ」と良いことを思いつき手を叩く。
「パンとコーヒーでも買ってくる。お前は何がいい?」
「ベーグルサンド。今日はハムとチーズがいいな」
「おっしゃ。すぐそこだし、列車が来るまでに戻ってくるよ」
「ありがとう、よろしく頼むよ」
しばらく席を外しているあいだ、グレアは持ち歩いていた本を開く。一人の時間の暇潰しにはちょうど良い。文字に目を滑らせようとして、ハッとする。
「……私のこと、お前って呼んでくれたじゃん」
あまりにも自然な流れだったので気付けなかったのを、一人可笑しそうにする。せっかくなので戻ってきたらすぐに尋ねてやろうと思って本を閉じると同時に、遠くから列車がやってくる。大きな汽笛を響かせながら。
「えっ。ちょ、来るの早いって。マリオンまだ来てないのに」
きょろきょろと落ち着かない。列車が着いてから、出発はすぐだ。駅員が「ご乗車の際は足下にお気をつけて」と声掛けをする中、グレアは「友人がすぐ戻ってくるので待っていただけませんか」と頼むが、やんわり首を横に振られる。
「すみません、個人の都合で時間を遅らせるわけには……」
「そこをなんとかお願いできませんか」
自分でも図々しいとは思っているが、こうして引き留めなくては次の列車は何時間後か分からない。困り果てていると、誰かが歩いてやってきて「何かあったのか?」と口をはさむ。グレアの視線には美しい紅髪の女性が映った。
「これはこれは、ローズ様」と駅員が帽子を脱いでから頭を下げた。
「堅苦しい挨拶はいらない。事情を聞かせてくれ」
「あ、すみません。実は……」
話を聞いたローズという女性はぷっ、と小さく笑う。
「なるほど、それならすぐそこの店だな。……じゃあ少しくらい待ってやればいい、私の名前を出してやれば誰も文句なぞ言わないさ」
「まあ……ローズ様がそうおっしゃるのでしたら」
いったい何者なのか、とグレアは目を丸くする。いくら言っても受け入れてくれなかった駅員が、ローズの言葉にはあっさりと引き下がってしまったのだ。「では失礼。縁があればまた会おう」と彼女は乗り込んでいった。
「あ、ありがとうございます。助かりました」
背中に声を掛けるとローズは小さく手を挙げる。駅員も、さきほどとは打って変わってにこやかで安心した様子をみせた。
「駅員さん。今の方って、ヴェルディブルグの大貴族か何か?」
名前さえ出してしまえば誰も文句を言わないとなれば、よほどの高貴な身分を持っているのだろうと推測する。しかし公爵令嬢であるグレアはほとんどの貴族と面識があるし、誰一人と顔を忘れたことはない。だがローズには見覚えがなく、いったいどこの有名人なのか。パーティに出席しているのも見たことがなかった。
駅員にやんわり「基本的にはお答えできないんです、すみません」と断れて、グレアは仕方なく引き下がったものの首を傾げた。
(誰でも知ってるような方なのかもしれないけど、教えたりはしてくれないのか。さっきは名前を呼んでたのに?……でも答えられないなら相当な身分であるのは想像がつく。あまり詮索されたくない方なのかもしれないな)
気にはなったが、他人のプライベートに土足で踏み入るほどの図々しさはない。ほどなくマリオンも戻ってきて、気に留めることはなかった。
「悪い悪い、遅れちまった。もう来てたのか!?」
「君が行ってすぐだ。わざわざ待たせてしまったんだよ」
「うわ……こりゃすまん、オレとしたことが」
荷物を抱えたままマリオンが駅員に頭を下げる。「お気になさらず。さあ、時間もないので乗ってください」と謝罪を受け入れて、二人を列車に乗るよう促す。扉が閉まり、がたんと揺れて、それからゆっくり出発だ。
「悪いな、待たせちまって」
「私が待たせたわけじゃないんだけどね」
「ん? つまりどういう話?」
「それは座ってから。ほら、行こう」




