第17話「身勝手な嘘」
令嬢だなんてそんな、と謙遜する。しかし彼らにとっては元であろうと公爵令嬢であるのに変わりはないし、捜査に関しても協力的でこれまで追い詰められなかったヴィンボルド伯爵の悪事を暴く一歩手前まで来ているのだ。これ以上の恩恵を受けながら礼を尽くさない理由はない、とクリスティンは自身の憲兵としての生命を賭けてもいい覚悟だ。
「じゃあ、よろしく頼むよ。でもあまり気を張らなくても……」
と、彼女が言ったところで部屋の外から騒ぎが聞こえる。マリオンが「おい、アイツまじで来やがったぜ」と扉を開けてけらけら笑った。二人して部屋から出て階下を見ると、カウンターの前で「ここにレンヒルト令嬢がいるはずだ」と耳障りな声が二階まで届く。
顔は青白く、目の下にくまを作った情けない伯爵の姿があった。
「どうするよ、降りてくか?」
「そのほうがいいだろうね」
クリスティンが傍にいれば容易に手出しもできない。仮にごろつきを雇っていたとしても、訓練を受けた彼とでは雲泥の差がある。多勢に無勢に頼ったところで酒場にいる男たちも自分たちの憩いの場を荒らされたら黙ってはいられないだろう。
グレアは階段を降りながら大きな声を出して──。
「やあやあ、これはヴィンボルド伯爵ではありませんか。ずいぶんな慌てようですが、なにかあったのですか? 見たところ顔色も悪いようだ」
人を食ったような態度で出迎える。彼はグッと堪えて作り笑いを浮かべた。
「ハハ、あらぬ疑いを掛けられておりまして」
憲兵、それもクリスティンは町でそれなりに有名だ。見れば伯爵に雇われたと思しきごろつきが二人ほど傍にいるが、相手が悪いと容易に手出しもできない。グレアが強気に迎えてきた意味を察して、彼はうんざりと拳を握り締める。
「少し別の場所でお話できませんか、レンヒルト令嬢?」
「なぜ? 私が付き合う理由が見当たりませんね。それとも……」
鼻で笑って小馬鹿にしながら、グレアは周りによく響く少し高めの声で、軽蔑の視線を彼へ向けてハッキリと言った。
「違法な農場の運営に関わることですか? いまだに毛皮にするための動物を飼っているとかいう。……ああ、その驚いた顔、どうやら私が裏切ったかどうか、まだ不安で確かめに来たといったところでしょうね」
クリスティンが彼女の傍で剣の柄に手を掛ける。酒場が不穏な空気に満たされ、彼女の言葉にざわつく。
「もし裏切っていれば後ろの二人を使って捕まえるつもりだったのかな。ここで話を聞いておいて店を出たところを……なんて、嫌な想像ができるよ。でもそちらには残念だったね、今この状況で伯爵の味方はいないんだから」
朝から晩まで入り浸る酒場の男たち。彼らの勝手知ったる庭が見知らぬ者によって荒らされるだけでも不愉快だと言うのに、目の前で女性を相手に態度の大きい〝貴族様〟がいるとなればなおさらに機嫌が悪くなる。
グレアとマリオンは数日泊っているうちに彼らとすっかり打ち解けているのもあって、多勢に無勢の様相で退かなければならないのはマクシミリアンたちのほうだった。どれだけ屈強な兵を雇ったとして、酒場の男たちも腕自慢ばかりだ。
「そ、そんな怖いことをおっしゃらないでくださいよ、レンヒルト令嬢。それに私が違法な運営をしていたのではありません。なにしろ私は信用して農場を任せきりにしていましたから、視察なんかもしてないですし、隠れて取引をしていたのでしょう」
慌てて言い訳を並べるが、グレアはそんなまさかと跳ねっ返す。
「隠れて取引が出来るほど小さい事業じゃない。それに確信が得られないと手放すものも手放せない貴方の性格だ、私がこうやって暴露するまでは様子を見るつもりだったんじゃないか?──邸宅にあるんだろう、私との契約書」
クリスティンがハッとする。同時にマクシミリアンもぎょっとして慌てふためき、即座に後ろの男たちに目配せしたが、酒場の入り口が酒飲みたちの壁によって封鎖された。彼らを逃がすつもりはないのだ、誰ひとりとして。
「おもしれえ話になってんじゃねえかよ、お嬢ちゃんたち。行きな、憲兵さん。ここは俺たちがいるから大丈夫だ」
「……わかりました、すぐに戻りましょう」
罪のハッキリしない者を捕えたりできない彼が今ほど嬉しく思った瞬間はない。あの厄介者のヴィンボルド伯爵を捕まえる好機だ。他の憲兵たちも連れて強制捜査に移るだろう。契約書が見つかりさえすれば、それで終わりになる。
状況を呑み込めていないのはティナひとりだけだった。
「ね、ねえ……何が起きてるの、これって」
マリオンが頭を掻きながら、申し訳なさそうに言った。
「要はお前の愛した男がクズだったって話さ、ティナ。最初から、この宿も乗っ取るつもりだったんだよ。何もかも金儲けのためにな」
真実は泥にまみれて汚れ切っている。ティナに聞かせるのが嫌なくらい、マクシミリアンという男は酷い人間だ。彼女もまだ信じ切れず、少し前に一目ぼれしたと言ってくれた男を見つめて「嘘よね」と震えた声で尋ねる。
「も、もちろんだともレディ! 私は──」
彼が嘘を重ねようとするのを許さなかったのは、彼女の愛犬バートだった。縋るように一歩前に出た彼の足に強く噛みついたので、驚いた拍子に「痛っ、なんだこの馬鹿犬は!」と蹴り飛ばしてキャンと鳴かせた。
「人が大事な話をしてるとき、どこから紛れ込んだんだ? 躾の出来てない犬が店の中にいるなんて……誰の犬か知らんが不始末な奴もいたもんだ!」
最中、カウンターから飛び出してティナが犬を抱きかかえる。
「……私の飼っている子です、噛みついたことは謝ります。でも、思いきり蹴るだなんてひどすぎませんか、伯爵様!」




