第15話「ほんのひと手間」
その日、グレアは詳細をマリオンには語らなかった。
二人で結託するのも悪くなかったが、相手が警戒心を抱いてる以上、ぼろが出てしまう可能性もあるので、真実の名を持った駒を動かして相手を詰ませるために彼女は自分ひとりで簡単な──しかしとても有効に機能するだろうと思っている──作戦をあらかじめ立てておき、翌朝になって朝食を済ませたらすぐにマリオンを連れて伯爵邸へと足を向かわせた。
昨日と変わらない伯爵邸の空気。門の前に立つ警備の男がグレアたちを見つけて小さくお辞儀をしたあと「何か御用ですか」と尋ねる。
「ヴィンボルド伯爵に会いに来たのです。昨日の件で話があると伝えていただけませんか、近いうちに町を出る予定ですので済ませておきたいのです」
男は彼女の言葉に頷いて「しばらくお待ちください」と玄関前で庭師と話している執事に声を掛け、来客を伝えた。それからしばらくしてマクシミリアンに伝わり、二人はまた応接室に通されることになる。当然のように用意された茶菓子に手をつけながら、彼がやってくるのを少しだけ待った。
「お待たせしました。昨日に引き続き遅れてしまって申し訳ない」
「おはようございます、伯爵。昨日の件でご挨拶に伺ったのです」
椅子から立ち上がって、二人は丁寧にお辞儀をする。
「手紙はさっそく送らせて頂きましたが、それとは別で、昨日にお話をさせて頂いた毛皮のことで提案があって立ち寄らせてもらったんです」
グレアが彼に提案したのは毛皮の専属契約だ。レンヒルト家を通さず、個人として取引がしたいと彼女は申し出て、その前金にと金貨を数枚並べた。
「せっかくの毛皮農場をこのまま廃棄するのは勿体ないでしょう? 日中も少しずつ寒くなってきましたから、時期的には丁度良いのかなと思ったのです。旅行のときに寒くて宿に籠っていては普段と何も変わりませんので」
マイクは聞いて可笑しそうにしながら頷く。
「たしかに納得です。でしたら契約書を用意致しましょう」
そう言ってテーブルに乗った金貨をさっと回収する。これは良い機会だと思ったらしい。彼女たちが個人的に契約してくれれば処分に困っていた動物たちも早々に使い道ができる、と内心で大いに喜んだ。
ほどなく用意された契約書にグレアは自分の名前を書き、レンヒルト令嬢として契約を結ぶ。──と見せかけておき、農場がしばらく維持されるように上手く話をまとめ、用が済んだら長居は禁物だと退散を急ぐ。
「しかしレンヒルト令嬢は話の分かる方ですね。毛皮はすぐにでも加工するよう伝えておきます。できあがるまでには少し掛かると思いますが……」
「お気になさらず。寒さが厳しくなるまで猶予もありますから」
軽い握手を交わして「楽しみにしてます」と満面の笑みを浮かべた。多くの貴族たちを相手にしてきたグレアにとって、いくら彼が狡賢いと言っても知れた話だ。嘘に塗れた笑顔も彼女にかかれば一級品。見分けるほうが難しい。
邸宅を気分よく出たあとは近くのレストランに入って高い金額を気前よく支払い、勝利を祝うかのようにグラスを優しく触れ合わせて「乾杯」とひと口飲んで最高の気分のまま──余計な話はせずに──食事をする。
「良い日だな、今日は。あんたがいてくれて良かった」
「こちらこそ。だけど見物なのはこれからだよ」
切り分けたステーキにフォークを刺し、彼女はにやりとした。
「なんでも上手くやるには最後まで手を抜かないこと。ほんのひと手間が結果を変えるんだ。こんなふうに焼いただけに見えるステーキでも、ちょっとした味付けや焼き加減だけで旨味が引き立つのと同じでね」
スープをひと口飲んで、マリオンはうんうん頷く。
「それで、どうすんだ。もうしばらくはこの町に?」
「ああ、滞在するつもりさ。楽しいのはこれからだから」
目的はヴィンボルド伯爵家の破滅と言ってもいい。単純にティナ・ボワローが騙されているのを見過ごせなかったのもあったが、マリオンの過去を知ったうえだと彼のことがなおさら憎く思った。
だから憲兵たちが捕まえるまではウェイリッジを離れるわけにはいかない。最後まで見届けて、それから旅を再開するつもりだ。
「ティナさんが喜ぶかは別の話だけど……」
周囲をくるりと見渡す。客はほとんどおらず、目に映るのもカップルか老夫婦くらいなものだった。
「彼をそのままにしておくよりはずっと良いはずだ。そう信じて前に進むしかない。……あの楽しそうな老夫婦のような光景が訪れるとは思えないからね」




