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気風の魔女─レディ・グレア─  作者: 智慧砂猫
第三部 レディ・グレアと原初の魔女

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エピローグ①『シャムロック・フロールマン』

 カフェのテラス席に座って、コーヒーとケーキで寛ぐ女性がいる。貴婦人を思わせるようだが、彼女は決して名のある貴族でもなければ、小さい豆屋の女主人でもない。溢れる優雅さとは無縁の庶民の一人だ。


「おはようございます、レディ・ブルーメ」


 テーブルに影が差す。声を掛けたのは陽光を受けて美しく輝く金髪を持つメイド。紅い瞳が特徴的な彼女を見て、ブルーメがにこやかに返した。


「シトリン。会えて嬉しいわ、もちろんそっちの子も」


 向けられた視線は、シトリンから傍に立つ紅髪に映った。


「こちらこそ会えて光栄だ。────シャムロック」


「……その名前で呼ばれるの、すごく久しぶりね」


 ブルーメがウェイトレスを呼んでケーキの追加を注文する。


「座って。ゆっくり話をしてみたかったの」


「ああ、私も積もる話があってね」


 二人が椅子に座ってから、「でも今はブルーメって呼んで」と伝えた。ローズが少しだけ嫌そうな顔をして、魔導書をテーブルにどさっと置く。


「原初の魔女……。まさか、お前が生きていたとは驚いた」


「それはそうよ。死んだりしないわ、無責任だもの」


「私たち魔女がどれだけ苦労したかを知っていてか?」


 ブルーメは少しだけバツの悪そうな表情を浮かべた。


「謝るわ。でも、苦労した分だけ皆、幸せな人生を送っていたように思うわ。……まあ、あなたは例外だけどね。ちょっと変わってるから」


「シャルルを愛した事が間違っているとでも?」


 ぎろりと睨まれて、ブルーメは慌てて首を横に振った。


「まさか。好きな相手を選ぶ権利くらい誰にでもあるものよ。ただ、あなたは他の魔女と違って他人に興味がなさすぎる子だったから。むしろあの王族の子のおかげで、あなたが自然と人と触れ合えるようになったのは素敵だと思っているわ」


 取り繕って申し訳なさそうに追加で届いたケーキを二人に差し出す。


「ふん、まあそれはいい。今聞きたいのはそれではなく……なぜ、今になって現れたかだ。しかもコソコソと覗き見るような真似を。シトリンがいなければ私さえ気づく事も無かっただろうな。────目的は不老不死か?」


 問われてブルーメは余裕そうに笑顔でコーヒーに口をつけた。


「一時的だけど若返る方法があったのよ。でも、これを見て」


 テーブルの上に置いた手が途端に老けていく。瑞々しい若さのある手は、あっという間に老婆のそれだ。しかし、すぐに元通りになった。


「私の肉体は常に魔力を消耗していなくては、すぐに老いてしまうの」


「だからグレアたちに近づいたんだな?」


「……。ま、シトリンがいるのなら嘘を吐いても仕方ないわよね」


 すんなり認めて、彼女はぽつりと語りだす。


「大悪魔を従える魔女を騙すのはあまりにリスクが大きいわ。だから、ちょっと唆したのよ。ウィルゼマンは悪魔だったけど扱いやすい子だったし、あれこれ引っ掻き回してくれたら楽に手に入りそうだったから」


 カップを置き、魔導書の表紙を指先で撫でる。


「知ってる? 悪魔じゃなくても他の人間の体を乗っ取る方法があるって。……だけど失敗に終わったわ。あなたたちだけならまだしも、ソフィアの介入は予想外だった。シトリンが消えるまでは概ね予定通りだったのに」


 グレア・レンヒルトかマリオン・ウィンター。手に入れるならどちらの肉体でも良かった。タンジー・ウィルゼマンがシトリンほどではないにしろ優秀なのは事実だ。そのうえ誰より慎重で狡猾。少々精神的に参っていたのもあって、言葉巧みに操るのは難しくなかった。ローズを徹底的に弱らせ、邪魔になるシトリンの排除にも運よく成功した。なのに問題があった。二人を守る盾が、まだあったのだ。


 グレアと強い縁で繋がるソフィアは、まともな人間と呼ぶには程遠い存在だ。いくらタンジーを使って弱らせても彼女たちへの過度な接触は行えない。神の目すら欺くほど息を潜めて機会を窺っていたのに最低のタイミングで障害になった。


「おかげで計画は頓挫よ。……やっと会えそうなのに」


「お前に深淵の門を紐解くのは無理だ」


 ローズにきっぱり言われて瞳に冷たさを宿す。


「所詮は人間だよ、お前も私も。大悪魔でさえ呑み込まれるだけの闇の中から最愛の相手を復元する方法があるとしたら、あの頓狂な創造神……ノルンとやらくらいだろう。たとえ不老不死を手に入れて無限の研究に手を出したとしても」


 原初の魔女はローズよりも魔力に優れた特別な人間だ。しかし、やはりただの人間なのだ。どこまで進んでも触れられないものがある。シトリンも強く頷きながら、燃え立つ瞳にブルーメを痛ましく映す。


「所詮、私たちは神の気まぐれによる被造物に過ぎません。神の代理人を名乗る程度は出来たとしても、彼に代わる事は誰にも出来ないのです。悪魔も、人間も」


 踏み込んではならない領域に触れるのは禁忌だ。ましてや自らの手を汚す事なく他者の命を犠牲にしてまで願いを叶えようとしたブルーメをローズは心の底から軽蔑した。こんなものが原初と呼ばれる魔女なのか、と。


 魔導書をしっかり手に持って開き、ローズは釘を刺す。


「私は魔女である事を今でも誇りに思っている。魔導書があったおかげで多くの人間と関わりを持てたし、なによりシャルルやシトリンと出会えた。……だが、お前の身勝手に振り回されるつもりはない。いつでもこれを捨てる覚悟は出来ているし、もしお前が私の友人に手を出すのなら容赦はしない。それはシトリンも同じだ」


 席を立ち、ケーキにはひと口も手を付けずに────。


「お前の愛したペリドット……シトリンと共に在った原初の悪魔など既に消え失せた存在だ。それでもなお手に入りもしないものを追い求めて私たちに近付いて誰かを傷付ける事は許さない。二度と現れてくれるなよ、シャムロック」


 ブルーメは何も言い返さない。ただ去っていくローズを呼び止めもしなかった。禁断の恋に落ちて消えてしまった、シトリンに並ぶ大悪魔ペリドット。彼と再び会いたい一心で死んだように見せかけて生き永らえ、不老不死が完成するか、あるいは不老不死の人間の肉体を手に入れようとした事は紛れもない事実で、何を言ったところでローズは納得しないだろうと察したからだ。


 それでも狡猾に、まだ機会はあると考えていた。盲目的に崇拝して心から敬愛したペリドットが消えた深淵の謎を解明して、必ず復元してみせるという想いは覆らなかった。ソフィアも再びいなくなったのだから、また静かに機が熟すのを待てばいい、と。────ローズさえも含めて周囲の時間が止まるまでは。


「シトリン。あなたね、時間を止めたのは?」


「それがどうしましたか」


 振り返って彼女は無表情にブルーメを見た。


「ご主人様は私を見逃そうとしているのに、あなたはまるで獲物に狙いをつけた猛獣のようだわ。それって彼女の意向に背く行為ではなくて?」


「まあ、求められていないのでわざわざ手を下す理由はないです。ただ、」


 瞬間に空気が凍りつく。シトリンは口もとに指を当てて────。


「静かに生きる事をオススメしておきます。でなければうっかり殺してしまうかもしれません。誰かが望んだわけではなくてもね」


 再び時間が動き出す。シトリンはもう振り返らなかった。


「……ああ、本当に羨ましい。そう思わない、タンジー?」


「それで? お前はまだ諦めるつもりはないのか?」


 時間が動き出してから、いつの間にか目の前に座ってケーキを食べているタンジーに驚く素振りさえなく、愛しそうに彼を見つめる。


「手に入らないものを眺めてるだけは退屈だわ。あなただって、まだ飢えてるんじゃなくて? グレア・レンヒルトでなく、私と契約を交わせば、今度はもっとうまく行くはずよ。ソフィア・スケアクロウズもいないんだから」


「お前と契約を交わすつもりはない、シャムロック・フロールマン」


 ころん、と皿の上でバランスを崩したケーキが倒れた。


「お前との契約では渇きなど満たされなかった。それどころか飢える一方だった。私は……いや。俺はペリドットの代替品じゃない。本当に忠誠を誓うべき相手が見つかった以上、傷の舐め合いなどするつもりはない」


 皿に転がるイチゴを指でつまみ、口の中に放り込む。


「手に入らないものを眺めるのはやめた。お前も現実と向き合う時が来たんだよ、シャムロック。消えたものにいつまでも恋焦がれるのはやめておけ」


「……そうね。あなたの言う通りかもしれないわ」


 悪魔との接触は彼女に不老不死をもたらす事はなかった。その身に孕んだ我が子の影響が大きかったのか、魔導書がもたらしたのは彼女のために用意した叡智だけだ。それからペリドットを失った事を知り、取り戻す事さえ出来ない日々。悲しみに暮れながら、たった一人の娘を育てて、いつしか願いを託すようになった。何十年、何百年と掛かったとしても、新たな魔女たちが紡ぐ未来を信じて。


 結果的にそれが多くの負担を背負わせ、常人とは違う苦悩を抱えさせる。だが申し訳なさと同時に研究が進んでいるのを知れば知るほど期待は高まっていった。芽生えたのは再会の兆しだ。深淵に消えたペリドットを取り戻すには、まず門を開かねばならない。ずっと、そうやって最愛の男を追い求めてきた。我が子たちを利用してでも。


「辛いものね。ずっと待ち続けて恋焦がれて、あなたと出会った。なのにぽっかり開いた穴は埋まらない。本当に求めたものが手に入らないと現実を突きつけられるのは本当に苦しい。でも、ひとつだけ思った事があるのよ」


「ほお。出来の悪い女が何をそんなに笑顔で思う事が?」


 ブルーメは飲み終えたカップを置いて、よく晴れた青い空を見上げた。


「生きてて良かった。あとはゆっくり過ごす事にするわ。グレア・レンヒルトのような気風が良い生き方をしてみるのも悪くないでしょう?」


 若々しさが枯れていく。それでも彼女はにこやかだ。


「……ああ、そうだな。では祭りでも楽しんでみたらどうだね」


「エスコートしてくれるかしら?」


「構わないとも、ブルーメ(・・・・)。ちょうど給金が出たところだ」

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