第32話「神様からのご褒美に」
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────帝都・噴水広場。
「ローズ。ごめん、ボク、あまり役に立てなくて」
程なく目を覚ましたシャルルは、自分が何も出来ていなかったと悔しそうに落ち込んだが、ローズはやんわりと首を横に振った。
「気にする事じゃない。やれる事はやった。それに、」
避難と称して帝都にいる人々の多くを噴水広場から遠い場所へ向かわせ、無人になったところで大きな魔法陣を描いた。範囲は広く、帝都全体に影響する。ただし魔力の消耗と肉体への負担が異常に高い。ローズは噴水の縁に座って、ふう、とひと息つく。
「これが終われば、しばらくはお前に迷惑を掛ける事になるんだから、忙しいのはこれからだよ。一年は目を覚まさないかもしれない」
「うん。それくらい大丈夫、待てるよ。あっという間さ」
何百年のうちの、たった一年。これから先もずっと過ごすのだから、一年程度は慌ただしいままに過ぎていく。もしそれがもう一年延びるとしてもシャルルは必ず待てる自信があった。それでも表情が明るくならないのには、別の理由がある。
「ボクは平気だよ。でも、シトリンは……」
「分かってる。もういないんだ、分かってるとも」
二度と会えない。契約が突然切れてしまった。シャルルを介抱した後、タンジーの足止めを僅かでも続けたが全員が抑えきれずに気を失い、目を覚ましたときにはシトリンがいなかった。グレアのところへ向かったのだろうと後を追わず、自分に出来る事をと離れて、途端に感覚を通じて永遠の別れを悟らされる事になった。
まだ降る雨に空を見上げて、ローズはぽつりと。
「いつぶりかな、こんなに泣くのは」
言葉を交わさぬ別れは悲しくて、寂しくて、苦しかった。それでも前に進まなければならない。彼女が最期までやるべき事を果たしたのなら、自分もそれに倣うのが筋と言うものだ。悔しくても、立ち止まりたくても。
「さて、そろそろ時間を巻き戻そう。帝都で起きた事は私たちの胸の中にだけしまい込んでおけばいい。……誰の記憶に残る必要もない」
遠くからグレアとマリオンが走って来るのを見て笑みが零れる。彼女が守ってくれたものは、繋いでくれた未来は、確かに此処にあるのだと。
「ローズさん! すみません、ここにいたんですね!」
「よく分かったな。それ、魔力残ってたのか?」
グレアの首飾りを指差す。
「はい、私は魔法陣を使う前に邪魔されちゃったので。……あの、ところでシトリンさんの事で伝えないといけない事があるんですが」
「言わなくても分かってる。消えたんだろ、アイツ」
グレアもマリオンも、何をどう言ったものかと言葉に詰まった。自分たちの最後の不手際の後始末を彼女にさせたも同然だ。その命に救われ、感謝と情けなさが同時にこみあげて来る。
「誇ってくれた方が私は嬉しい。それに今回の当事者はお前たちだけでなく、タンジーの目的の終着点は私たちにもあったんだ。あまり申し訳なさそうな顔をするな、お互い様だろう? 気にし過ぎてギクシャクするのは好きじゃない」
ローズなりに励ましの言葉を送り、深呼吸をする。
「さあ、泣き言も思い出話も、今は胸にしまい込んでおけ。これから時間を巻き戻す大魔法を使う。散々とタンジーのせいで消耗させられたあとだ、少し無理をするからしばらくは私も動けない。その間の事はお前たちに任せて────」
突然、雨が止んだ。いや、正確には降っているのに、ぴたりと止まった。
「……なんだ? 誰かが時間を止めたのか?」
驚いていると、少し離れたところからソフィアを連れて一人の青年がやってくる。白金の髪に薄い青の瞳。やや背は低く、愛嬌のある雰囲気を纏っていた。ニュースボーイを思わせる服装の彼はにこやかに手を小さくあげて────。
「皆さん、ご苦労様でした。大変な仕事でしたでしょう」
「誰だお前は? 私たちに何の用が? これはお前がやったのか?」
「まあまあ、落ち着いて。そんなに質問攻めされるのは苦手で」
とぼけた雰囲気の青年にローズは不快感を示す。次に面倒な事を言うのなら無視してやろうとも思った。しかし、背後にいたソフィアが「彼は、この箱庭の主人よ」と呆れたように紹介した。青年は少しだけ嫌そうな顔で「せっかく驚かせたかったのに」と口先を尖らせる。せっかく人前に現れるのだから、と残念がった。
「まあ、仕方ないな。ソフィアの言う通りだ。僕の名前は……そうだな、ノルンと呼んでくれ。ここではポピュラーな名前だろう」
ニコニコする青年に、シャルルが尋ねる。
「ノルン君……は、要するに箱庭の主人だから、神様って事?」
「うん、そうだね。いわゆる神様って奴さ」
彼はうんうん頷いて、少し鼻を高くする。だが彼はすぐにため息をついた。
「ま、実際のところは大した事ないんだけどね。創造神なんて偉そうに言って、創るのは得意でも壊す事が出来なくてさ。おかげさまで一匹の悪魔に危うく世界をめちゃくちゃにされるところだった。こうして無事に解決できたのが嬉しいよ」
チッ、とマリオンが舌を鳴らして強く睨む。
「なにが無事に解決出来たってんだ、へらへら笑いやがって。こっちは危うく死ぬとこ……いや、シトリンが死んじまったも同然だ。大切な仲間を失ったオレたちに対して、あんたにゃ『可哀想』なんて同情のひとつもできねえのか」
「アハハ。確かに、僕に君たち人間の事はよく理解できないんだ」
ノルンはそう言って可笑しそうにする。
「あくまで僕が試しに創った庭だ、可哀想だとは思わない。誰かと結託する意味も分からないし、そうして仲間を失ったくらいで感傷的になる事もね。創造できる側にとって、創造できない君たちの感情を理解するのはあまりに難しい」
最初から出来る者にとって最初から出来ない者への理解は遠い道のりだ。どうしてこの程度の事で、と。創れる者には代替品を用意できる分、彼らのように時間を掛けて増えていき、そして失われていく命の尊さが分からない。ましてや彼らが失ったのはシトリン・デッドマンという〝悪魔〟に過ぎず、ノルンには箱庭の中に落ちてきた埃にも等しい異物。いくら助けてもらったからといって、在ってはならない生き物が虚無へ還っただけの事だ。それを大切な仲間と呼ぶ人間の成長の仕方に疑問さえ浮かんだ。
「変わってるね、人間は。ま、そんな事はいいんだ。君たちのおかげで、隙間に入り込んで取れなかった埃が出て行ってくれたおかげで、これからも君たちを見守っていられる。これはこれで面白くてね? そこで君たちそれぞれの願いをひとつだけ叶えてあげようと思って足を運んだのさ。いわゆるご褒美ってヤツ」
欲しいものがあればなんだって与えられる。それが彼の出来る事。蟻の群れに角砂糖を落とすくらいの気軽さで言ってみせた。
「あの、じゃあ私からひとつ願ってもいいですか」
グレアがスッと手を挙げた。
「何でも言いたまえ。僕が叶えてしんぜよう。世界を壊す事以外でね」
自信たっぷりなノルンに興味なさそうにグレアは隣の相棒へ目をやった。
「じゃあ……うん、マリオン、君の分の願いも使っていいかい?」
「ん? おお、構わねえよ。オレはお前だけで十分だし」
「むず痒くなる事を言ってくれるね……。ま、それは後で応えるとして」
少し耳が赤くなり、こほんと咳払いをして気持ちを切り替え────。
「ではどうかお願いします。────シトリン・デッドマンとタンジー・ウィルゼマンの二人を生き返らせてください。それが私の願いです」
 




