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気風の魔女─レディ・グレア─  作者: 智慧砂猫
第三部 レディ・グレアと原初の魔女

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第31話「本当に欲しかったものは」

 馬鹿な女だ、と思ったと同時に心底悲しくなった。掴んだ手から力が抜ける。深淵の門はいわゆる悪魔殺しの魔法陣だ。その領域に立った時点で、どんな存在であろうと呑み込まれて消えていくだけでしかない。


 だからシトリンは飛び込んだ。魔法も使えないほど削ぎ落とされてしまった魔力ではグレアたちの助けにはならない。ローズたちが来るにも時間が掛かる。だったらやるべき事はただひとつ。こうなる事は────黙っていた。


「な、なぜだ……お前が、なぜ……」


 突然の虚無感に襲われた。そうまでして何故人間を助けるんだと叫びたい気持ちも、崩れて灰になっていく。


「さあ。愛してしまったからではないでしょうか」


 伸びてきた手がシトリンを呑み込もうと絡みつく。


「心の底から人間を愛してしまったんです。嫌われたり、裏切られたりもしてきましたが、どうしようもなく退屈で埋まらない穴を埋めようとする日々を一緒になって埋めようとしてくれる人に会ったんです。その人が大切にするものを私は全て守りたい。だから、あなたが好き勝手するのは見ていられなかった」


 彼女はとても寂しそうに微笑む。肌を伝った涙の雫が落ちた。


「あなただって同じはずだったのに道を踏み間違えてしまいましたね、我が同胞。本物の愛情に飢え、手に入らないものを私という存在を通して見ていただけだった事に、あなたは最後まで自分で気付けなかった」


 タンジーが目を剥いて驚き、そして納得する。虚無に還っていく中で彼は自身の記憶と感情を辿った。


────孤独だった。手に入れようと思えば大体のものは簡単に手に入った。ちょっと魅了するだけで、ちょっと謳うだけで、人間は簡単に従ったし欲望に溺れてもいった。多くの名誉も多くの称号も得た。一国の主への道さえ切り拓いてみせて、あまりにも簡単すぎてあくびが出た。この程度なのか、と。


 ……退屈だ、生きるのは。称えられるのも飽きた。愛を囁かれるのも面白くない。殺意を向けさせてみても人間は脆弱で脅威にさえ思えない。ああ、なのに。たった一度だけ見掛けたシトリン・デッドマンの、あの幸せそうな顔。関わる事はないと興味のない素振りをしてすれ違っただけなのに、奴の幸せそうな姿がどうしても頭の中にこびりつく。


 悪魔の本質とは違う。あれは支配などではなく服従だ。自分から人間について回っている。レディ・ローズとか呼ばれて持て囃される不老不死の魔女。ただの養分にしているだけだろうと思い込む事にしても納得がいかなかった。人間に従う事の何がいいのかさっぱりわからない。人間は従わせるものだろう!……なのに、なぜ、こんなにも執拗に頭の中を何度も何度も何度も何度も何度も。


 だから試してみた。人間に従ってみた。だが、何かが違った。決定的な何かが。それがずっと分からなくて、段々とそれは怒りに変わった。やはり人間など取るに足らない存在だ。どうやればシトリン・デッドマンのようになれるのか。


 そうしているうちに同胞は次々と消えていった。人間は少しずつ悪魔という存在から離れていった。次第に話の合う同胞は消え、私自身の寿命もほんの僅かずつだが減っていくようになった。孤独になっていく感覚があった。私も他の連中と同じ、ただ寂しく虚無に呑まれて消えるのか?


 そう思えば思うほどシトリンが羨ましくて、どうしようもなく憎かった。なぜあいつは幸せそうなんだ。不老不死という無限に近いリソースを得て、永遠を生きられるからか。それとも、あの魔女に付き従っているからか。……いや、おそらくどちらもだろうとは気付いていたが、私はそれを心で否定した。あんなものは悪魔の本質ではない、と。


 そうする事で私は自分が正常だと思いたかった。いずれはシトリンを屈服させて、私自身が正しいと証明したかった。そのためにグレア・レンヒルトとマリオン・ウィンターに近づいた。出会いこそ偶然だったが、計画を進めるには彼女たちを利用するのが最も近い道だ。これまでと同じように簡単に手に入れられるという自負があった。


 結局、全ては失敗に終わった。そして今になって気付いた。私はただ愛されたかった。シトリンが持っているものが今の私には手に入らないと分かっていながら、どうしても欲しくてたまらなかっただけだ。孤独と共に自分が消えていくのが怖くて、徐々に人間が悪魔自体を否定的に捉えるようになって魅了は出来ても契約を交わす事が容易でなくなったせいで、全てを失うのが怖くて、怖くて、たまらなかった。だから────。


「私のために泣くなよ……。ずるい奴だな、お前は」


 お前はそうやって、私の心さえ手に入れてしまうのだろう。タンジーは自分がいかに愚かで情けない、自分こそ悪魔の風上に置けない存在であるかを理解した。もう虚無へ堕ちる事は何も怖くなった。


「かもしれません。だからせめて、あなたと共に逝ってあげます。そうすれば、少しは寂しくないかもしれないでしょう?」


「……ああ。悪かったよ、私の負けだ」


 完全にタンジーが消える頃、シトリンも半分以上を深淵に沈めていった。黙って会話に耳を傾けていたグレアたちに振り返り、優しく笑いかけて────。


「ローズ様によろしくお伝えください。嘘を吐いてすみませんでした、と」

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