第28話「紆余曲折ばかりだから」
雨足が強まっていく。大聖堂からマリオンの家は少し離れていて時間が掛かった。普段なら幌馬車でも使ってゆったり走っているところだが、事前の打ち合わせも済まないまま急いでタンジーの妨害工作をする必要があったために、ずぶ濡れになって町中を移動する。奇異の視線は気にも留めなかった。
「すまん、急いだせいで停めてあった適当な馬車に乗ったのが間違いだった」
「私は大丈夫です、ローズさん。……ありがとう、みんなのおかげだ」
大事そうに青白く輝く球体を抱える。
「これ、マリオンの魂なんですよね。ちょっと温かいな」
「フッ、風邪は引かなさそうだ。さあ、そろそろ────」
空に影が差す。ただでさえ薄暗いのになおさら暗くなったのを見あげたローズの言葉が途切れた。────シトリンが空から降ってきたのだ。
馬に直撃して馬車はコントロールを失い、バランスを崩す。
「駄目だ、危ないッ!」
突然の事に理解が間に合わないグレアをシャルルが咄嗟に叫んで抱きしめた。地面に放り出されて叩きつけられながら転がって壁にぶつかり、周囲が騒然となった。雨の中だというのに人が集まり始める。
「シャルルさん! シャルルさん、しっかり!」
「いいから行って……。今はそれどころじゃないでしょ……!」
指を差される。マリオンの魂はまだ取りこぼしていない。シャルルが庇ったおかげで放り出される事もなく、グレアがしっかり手にしたままだ。
「でも……皆さんが……!」
「優柔不断な事言うな!」
今にも気を失いそうなほどの痛みも忘れて胸倉を掴む。
「大事なのは今、走る事! 他の誰でもない、君にしか出来ない事なんだよ! たったひとりしかいない親友なんだろ!?」
突き飛ばして、その場に崩れてシャルルは小さな声を絞り出す。
「ボクたちの努力を無駄にしないで」
それだけを言って気を失う。グレアは心臓が握りつぶされそうだった。
「臆している場合か、立て」
パチンと指を鳴らす音が聞こえる。雨がぴたりと止まった。いや、雨だけではない。周囲に集まってきた人々までもが時間を忘れたかのように動かなくなった。ローズがぜえぜえと肩で息をしながら、シトリンに支えられている。
「すみません、上手く時間稼ぎができなくて」
遠く離れた大聖堂で爆発音が聞こえた。銀の荊はまるで大木のように大きく伸びてうねり、建物を破壊する。もはやそれほどでもなければタンジー・ウィルゼマンが止められない状態まで来ていた。
「おそらくソフィア様も限界でしょう。ウィルゼマンはもはや人間の姿を保つのをやめて形振り構わない状態です。周囲への被害もあるので避難の呼びかけをして頂いてますが……こちらへ向かってくるのも時間の問題になります。ですから急いで、ほんの一秒だろうとここで彼を止めておきますから」
いつの間にかシトリンの腕がくっついているが、消耗したものを取り戻すには至っていないのか、珍しく彼女もかなり疲れた表情を浮かべた。
「わかりました。何から何まですみません、よろしくお願いします!」
「礼はまた今度でいい。行ってこい、あいつのせいで困ってるんだ」
深く頭を下げてから、グレアは走りだす。彼女の姿が見えなくなってから、「シャルルを頼む」とシトリンに任せて深呼吸する。緩やかに時間が動き出してから、大聖堂の騒がしさを遠くで眺めて────。
「やれやれ……。何百年も生きてきて、この仕事が一番キツい」
「同感です。私が早めに摘み取っておけば……」
「こればかりは未来が視えなかったみたいだな?」
「悪魔が絡むと駄目なんですよ。本当に難儀しますねえ」
くすっと笑い合って、ローズは濡れながら大きなあくびをする。
「生きていれば紆余曲折ばかりさ、都合の良い事ばかりじゃない。どう最後まで向き合うか、正しかったり間違えたりしながら進むのが面白いんだ。最初から分かり切っていて絶対に間違えない人生なんて面白くないに決まってるだろう?」
目を瞑ってシトリンは小さく頷いて口端を持ち上げた。
「そうですねえ。だから私もあなたと出会えたし、ソフィア様やグレア様とも縁が繋がってきたのでしょう。そう思うと、私も裏切られたりとかして嫌な思いもしてきましたが……ふふっ、こう言ってはなんですが幸せでした」
思わぬ言葉に、ローズは後ろ手に組んで寂しそうに────。
「柄にもない事言うなよ、今生の別れにでもなるみたいだ」
「アハハ、契約してるのにそんな事ありえませんよ」
「だといいんだがな。……さて、私たちも最後の仕上げと行こうか」




