第18話「私の生き方」
夢でも見ていたかのようにタンジーの姿は消え、人々は日常を取り戻す。
「……行っちゃったねえ」
グレアはいつの間にか紙袋を抱えさせられていた。タンジーが買いあさっていた食べ物で、袋には小さなクリップでメモ書きが挟まれている。摘まんで取り、何が書いてあるかとグレアは字を読む。
「────『おすそ分け』って書いてる」
「あ~……。なんだ、そりゃ?」
「さあ。単純に食べ飽きたんじゃないの」
新たな敵とも呼ぶべき相手への何とも言い難い嫌悪感を覚えつつも、与えられた食べ物に罪はない。二人は紙袋の中から分けられた串焼きやカップケーキを持ち帰って食べる事にした。
祭りの初日から盛況で、夜に打ち上げられる花火の時間までをのんびり待った。
「なんだか出店の灯りが心地いいね」
「遊びに来てるって実感があって良いよなァ」
噴水の縁に座って往来を眺める。思えばそれなりに大変な目にも遭って来たが、故郷である帝都へ帰ってきて、悪くない日々だったと振り返った。
「そーいやあ、リリナは今頃どうしてんだろな」
「最近、手紙届かないもんね」
ぱくりと串焼きを食べる。スパイシーな味が口の中に広がるのを楽しみながら、ふと空を飛んでいる小鳥を見つけてグレアはにこやかな顔をした。
「ま、便りがないのが良い便りって言うだろ。あまり気にしなくてもいいんじゃないかな。しばらくはローズさんともいたわけだから、変な事に巻き込まれたりもしないよ。少なくとも私たちよりは……って、ねえ、マリオン?」
分けられた紙袋の中身に手を伸ばして殆ど入っていないのに気付いたグレアが、明らかに怒っていると分かる笑みを向けた。なにしろ横で食べ盛りかの如く次から次へ平らげた女がいるのだ、当然と言えた。
「げっ……。つい好物ばっかだったもんで。ほ、ほら、あとでオレが買うから許してくれよ。な、謝ってるじゃんか。機嫌直してくれよ、グレアぁ!」
「顔が良いだけに許してしまいそうなのがムカつくなぁ」
呆れてため息が出る。自分の好き勝手に食べてしまったマリオンにも、それを別にいいかと許してしまいそうな自分にも。いつもの事ではあるので、気に留めるのもだんだんと短くなっていたが。
「おっ。見ろ、グレア! 花火だ!」
ついに打ち上げの時間がやってきた。空へ盛大に打ちあがって咲いた鮮やかな花に二人は見惚れる。どの国へいっても変わらない文化のひとつで、その美しさには大勢の人々が足を止めて空を見上げる。
「……綺麗だねえ。これも数日限定か」
「ああ。祭りのときしか見れねえもんなぁ」
二人共、静かに花火を見守った。喧騒も掻き消す花火の音を楽しみ、やがて夜空が戻ってきたら「そろそろ帰ろうか」とグレアが立ち上がった。
お祭り騒ぎをいつまでも楽しんでいたいが、二日目には自分たちが店を開く番だ。せっかく何日もかけて準備したのに遅れてしまうなど自分で自分を許せなくなる。マリオンも同調しながら、残っていた串焼きに手を伸ばす。
「なあ、グレア。ひとつ聞いてもいいか?」
立ち尽くしてマリオンは彼女に問いかけた。
「なんだい。答えられる事ならなんでも────」
「明日、もしオレがいなくなっちまったらどうする?」
胸がチクッとする。頭の中に突然、雑音が響いた気がした。
「どうしたんだよ? いきなりそんな事言うなんて君らしくない」
「分かってる。けどよ……花火を見てたら急に不安になっちまって」
二人揃っていつまでも永遠に旅を続ける。そんな祈りを胸に抱いて、好きな女の傍にいられるのがマリオンは嬉しかった。きっと変わる事のない気持ちだった。なのに今は無性に不安に駆られた。ある朝目覚めたら、グレアは手の届かないところにいるんじゃないのか。自分はずっと隣に立ってられるだろうか、と。
綺麗に輝いて消える一夜の夢。美しい花火のように、今は輝いていてもいつかは散り散りになって消えたりしないだろうか。タンジーの宣戦布告的な言葉が頭の中を浸食してきて、彼女は少し怖くなっていた。
「……今回は逃げてもいいんじゃねえかな。相手は今までの連中と違う。自分が賢いと思ってる貴族でもなきゃあ、過ぎたモンを手にして調子に乗った神父紛いの詐欺師でもねえ。もっと狡猾で、ずっと手強い。オレたちは代理人だっつっても、魔女の力を借りてるだけのただの人間だろ。ローズだってそれくらい許してくれるさ。だから────」
「だからここで引き下がれって言ってるのか?」
初めて冷たく睨まれて、マリオンはぞくっとした。今までにない程力強く、魔女ローズが纏うような威圧感に気圧された。
「生憎だが私は、私自身を裏切らない。君がやめたいのならやめたらいい。だけど私は立ち止まらないよ。────それがグレア・レンヒルトの生き方だ。腹をナイフで刺されようが、今までもそうしてきたつもりだ」




