第12話「警戒」
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仕事のときまで、グレアのもやもやが晴れる事はなかった。事情を聞いたマリオンですら、自分と同じ姿をした何者かがいたと言われて背筋がひやりとさせられたのだ。今でも応接室でアレサがやってくるのを待ちながら、しきりに足を揺らしている。
「落ち着きなよ。今は割り切って行動しよう」
「そりゃ分かるけどよ……オレのそっくりさんってのは気分が悪い」
ずっと頭の隅で引っ掛かる、自分そっくりの誰かが不安で仕方なかった。
「なあなあ、ドッペルゲンガーって知ってるか?」
「うん。自分と同じ姿の奴だろ、見たら死ぬとかっていう」
「オレはそれじゃねえかとヒヤヒヤしてんだよ」
下らないと一蹴はできなかった。グレアは実際に、それを見てしまったのだ。見たら死ぬ、あるいは死期が近いと言われているが、気になるのは不死身であってもそうなのか? という問題点だ。たとえ首を飛ばしても死なない。灰にされたとしても、問題なく時間が経てば灰から再構築される。
それがローズから聞かされた不老不死の肉体についてだった。
「ま、気にしすぎるのもナンセンスだ。あれがなんだったのか、もしかしたら私の気の迷いが映した幻覚だったなんて見方もできる。最近は疲れが溜まって来ていたのも事実だし、タンジー・ウィルゼマンの一件もあったから」
話も程々に、アレサがタンジーを連れてやって来る。婚約破棄のために一度は顔を合わせておく約束だったので致し方なく足を運んだが、既に図書館で出会っているので、多少、どういった反応をするのが正解なのだろうかと悩んだ。
「お二人共、待たせてしまってごめんなさい。こちらが……」
「タンジー・ウィルゼマンです。……と、これは奇遇ですね」
とてもにこやかに、タンジーは爽やかなふうに挨拶する。
「あら、ウィルゼマン様とはもうお会いしたの?」
「図書館で偶然ね」
先に挨拶をしてくれて良かったと思いつつも警戒心は解かない。以前のような凍てつく視線は感じなかった。震えも消え、シトリンのおかげだと安堵する。
それから、四人で他愛ない話で時間を流す。おそらく楽しんでいたと言えるのはタンジーだけだ。まったく感情の読めない瞳ではあったが、明らかにグレアとは目の合う回数が多く、彼女もそれを察していた。まるで脅迫のようにさえ感じるほどに。
「──おっと、そろそろ時間だ」
最初にそういって席を立ちあがったのは、タンジーだ。いくら正体がなんであれ、タンジー・ウィルゼマンという人間の装いをしている以上、他にやらなければならない事も多い。「すみません、せっかく良い所だったのですが」と軽い握手を交わし、アリサが見送りに行く間、二人はまた応接室で待たされた。
「あれがタンジー・ウィルゼマンねえ……。なんか薄気味わりぃな」
「私もそう思う。さすが、悪魔は違うね」
やれやれと紅茶をひと口飲んで、喋り疲れた喉を癒す。
「それにしても、アレサは今朝まで婚約破棄をしたがっていたのに、話しているうちにすっかり虜だ。あれはどうにかしあげないと」
「ああ。単純に魅力的な会話をしたからってわけじゃなさそうだ」
今回の相手は人間ではない。まだ過去の仕事と違って直接的な対決があったわけでもないが、どれだけ厄介であるかは十二分に理解できた。
ただ見つめ合うだけ、あるいは言葉を交わすだけでも魅了する。悪魔らしいと言えば悪魔らしいか、とグレアは舌打ちする。
「確か、魔法の中にも魅惑と呼ばれるものがあったはずだ。ローズが唯一、手を付けなかったものだそうだけど、彼が使ったとしてもなんら不思議じゃない。もしただの魔法だったなら、私たちで正気に戻すのは容易いだろうね」
頷きながらマリオンがクッキーを頬張った。
「馬鹿馬鹿しい話だぜ。要するにあれだろ、そういう狡い真似して騙しながら契約交わして寿命をもらおうって魂胆なんだろ。胸糞の悪い」
「悪魔だからね。私たちが関わっていたのが幸いだと思おう」
もし彼女が二人に連絡を取っていなければ、今頃はあっさりと婚約を進め、そう遠くないうちに契約を交わしたあとで命を奪われた可能性は高い。自分たちの手で救える命がひとつでもあったのなら幸運だと前向きに考えた。
「出来るだけの事はやるしかないさ。ウィルゼマンも私たちが何者かは知っている。……何か仕掛けてこないか、気を付けておかないとね」




