第11話「誰だったのか」
分かってはいた。分かってはいたが、いざ真実を告げられると頭が痛くなる。これから嫌でも顔を合わせなければならないのだから。
「……その。話を要約すれば、あの若いウィルゼマンが悪魔である事は理解できました。それでひとつだけ聞きたいのですが、彼が意図をもって近付く事はあり得ますか? たとえば、私のような魔女の代理人であっても」
悪魔としても簡単に見分けが付けられては困るはずだ。何か理由がなければ、わざわざ魔女や代理人のような特殊な存在に近づくのはリスクでしかない。何か得になる事があるに違いない。その問いに、シトリンは小さく頷いた。
「まあ、端的に言えば寿命でしょう。基本的に私たちが生きていくためには人間の魂が必要になりますので。見た目には若くても我々に肉体的な老いの概念はないですから、たとえ幼い子供の姿をしていようと消滅するときは一瞬です。だからいつだって誰もが飢えているようなものです。まあ、私は関係ないんですけど」
ローズと契約しているシトリンは、彼女が生きている限り永遠の命を持っているのと変わりない。他の悪魔たちが必死になって人々に植物の根の如く絡みつこうとする中で、まったくのほほんと平穏に過ごしていた。
「さて、私が教えて差しあげられるのはこれくらいでしょうか。もし困った事があれば、またローズ様に手紙でも出してあげてください。……彼が何を企んでいるかまでは存じ上げませんが、何か良からぬ気配がします。とはいえ疑惑の段階で手を出すのは不可能です。どうか慎重に行動なさってください」
グレアの視界が薄くぼやけ始める。もう目覚める時間だ。
「うっ。まだ聞きたい事があるのに……」
「私には答えかねます。それでは、ごきげんよう」
気が付いたときには、またベッドの上だった。隣ではマリオンが小さないびきを掻いて、心地よさそうに腹を掻きながら眠っている。どれだけ眠っていたか、窓の外の暗さを見ればよく分かる。月明かりが差し込んで、部屋が薄ぼんやり照らされた。
ふと窓の外を見る。いつもより静かで人通りもない。
(……なんだろう。違和感がある。いつもの帝都じゃないような)
ふるっ、と寒さに体が動く。ベッドの毛布を取って包まり、マリオンを起こさないように部屋を出た。なんとなく居心地が悪く、コーヒーでも飲んで落ち着こうと思った。湯を沸かしながら、ぼうっと考え事をする。
(不思議だな。シトリンさんと話してから、妙にあの胸の中にあったもやもやしたものや恐怖心が消えた気がする。ウィルゼマンが悪魔だと分かったから? それとも、彼女が何かしてくれたんだろうか……?)
こつん、と窓に何がか当たる音がして振り返る。火を消して外を覗く。誰もいない。虫でもぶつかったのかもしれない、とカーテンを閉めようとしたときに、ぴたりと手が止まった。背後に誰かの気配を感じて、息を呑む。
「おい、警戒すんなよ。オレだ、オレ」
「……ふう。あまり驚かないでくれよ、マリオン」
寝返りを打ったら隣に相棒がいなかったので、不安になって一階へ来てみると彼女が窓辺で何かを探しているふうな様子だったために、声を掛けるタイミングを伺っていただけだと言った。慌てて彼女は申し訳なさそうに笑む。
「悪かったよ。下りてくるときに声を掛ければ良かったよな」
「いや、もういいさ。……そうだ、君はコーヒー飲む?」
「せっかくだから貰うよ。一緒になってよく寝ちまったし」
「じゃあ座って待ってて。今日は私が淹れるから」
椅子を引いておき、グレアはキッチンへ戻った。
「君には話しておくんだけど、さっき、シトリンさんと話したんだ。……夢の中で、って言ったら驚くかな。信じられないかもしれないけど」
「……へえ。で、あれとは何を話したんだよ」
湯がふつふつし始める。そろそろかな、とカップを棚から取り出す。
「やはり、タンジー・ウィルゼマンは私たちの想像通り、悪魔だそうだ。ただ目的まではハッキリしてない。寿命が目当てだとか言ってたけど……具体的な事は聞けなかったよ。そもそも契約なしに寿命を得る方法なんてあるのかな? マリオン、君はどう思──」
コーヒーを淹れて、ぱっと振り返ったとき、マリオンは座っていなかった。いや、それどころか、そこにいたはずなのに、最初から誰もいなかったように静かだった。思わず「えっ?」と頓狂な声が漏れてしまうほど驚いた。
今度は階段が軋む音がして、マリオンが大あくびをしながら降りてきた。「どうしたんだよ、誰と喋ってたんだ?」と眠たい目をこすりながら。
それで気付いた。さっきのマリオンは気配だけで、なんの音もしなかった。階段が軋む音など、微塵も聞こえなかったのだ。
「……待ってよ。じゃあ、今のはいったい誰だったんだ……?」




