第5話「楽しみはあとで」
翌朝、二人は朝食も取らずに服を着替え、お互いに姿見で出来を確かめ合ったあと、ばっちりキメて街へ繰り出した。最初に香ばしいパンの匂いにつられてコーヒーと一緒にサンドイッチを買い、食べ歩きながらお祭りの準備に大忙しな帝都の街並みを眺めて歩く。食べ終わったらゴミ箱へ包み紙と紙コップをくしゃくしゃにして突っ込む。
「見て見て、マリオン。これはなんだろう?」
「……りんご、だよな。随分小さいけど」
小さなお菓子店のよく見える厨房で、コックコートに身を包んだ小太りの男が、真剣な顔で串に刺したりんごをくるくると回している。「聞いてみよっか」とグレアが扉を開けて元気よく「こんにちは」と挨拶した。男がニコッと笑って作業を中断する。
「いらっしゃいませ、何かお探しでしょうか?」
「外から見ていたら珍しいものを作っていたので」
「ああ、これですね。見て行かれますか」
「よろしければぜひ。とても甘い香りがしますね」
男は胸を張って自慢げな顔をした。
「これは異国で流行っている、りんご飴というものです。この小さいりんごを飴でコーティングしたものなんですよ。もうすぐお祭りでしょう、安価で簡単に作れるので、たくさん提供できるものをと思いまして」
手軽で誰にでも手に取ってもらえるような、お祭りの目玉商品というので、「ぜひ当日には買いにきます」とグレアも興味津々だ。手ぶらで帰るのも悪いと思い、いくつかのケーキを買って店をあとにした。
「ありゃ売れるんじゃねえか? あのオッサン、目の付け所がいい」
「とても可愛いよね。あんなに小さいりんごがあるなんて」
「祭り当日までお預けなんてたまんねえぜ~」
「だから良いんじゃないか。このそわそわする感じも醍醐味さ」
広い公園には催し物の準備をする光景がいくつもあった。隅に会ったピクニックテーブルに座り、少し休憩時間を取り、ぼんやり眺める。
「コーヒー、なくなっちゃったけど、どうしようか」
「オレがそのへんで紅茶でも買ってくるよ」
「あ、でも遠くない? 一緒に行っても──」
「まあまあ。座っとけって、お前はオレより体力ないんだから」
紅茶を買いに走っていく後ろ姿をぼんやり見つめて思う。マリオンはいつだって気を遣い、優しい言葉を掛けてくれる。グレアは、そんな彼女のことが、以前にも増して好きになっていた。普通は長く一緒にいると嫌なところが目立つことも多いが、長くいればいるほど気に入る相手がそういるだろうか? と。
「……そういえば、何か忘れているような」
たしかマリオンに関わる大切なことだったはず、と思いつつも、何も浮かんでこないので、そのうち思い出すのをあきらめた。帰ってくるまで公園の忙しそうな景色を眺めていると、ふと背中に声を掛けられる。
「失礼、他に座るところがないので、一緒に座っても?」
綺麗だ、という感想が最初に出てきた。黄金色の美しい髪をショートカットに愛らしくまとめていて、瞳はルビーの宝石よりも魅力的に感じた。そのうえ、どこか引き寄せられる雰囲気があり、目が離せない。
「あの。座っても構いませんか」
「えっ……あっ。すみません、どうぞ」
女性はテーブルの様子を見て、彼女の対面の席を選ぶ。
「どなたかを待っていらっしゃるんですね」
「分かるんですか?」
「その箱、お菓子でしょう。でも開けてない」
じろっと箱を見つめながら。
「とても美味しそうな匂いがします。あなたは先ほどから、箱を指でなぞったり、視線も落ち着きがない。誰かを待っていて、ぼんやりしているといった風でしたので……あ、これただの私の感想なんですけど」
話しながら、女性は自分の手に持っていた薄っぺらな紙箱を開ける。中には温かいパンケーキが入っていて、うっすらとろけたバターが沁みこんでいて、とても美味しそうに見えた。しかし彼女は気に入らなそうに眉間にしわを寄せて──。
「……シロップが足りない」
いつの間にか、手に瓶を持っていた。中身はとろっとした蜂蜜がぱんぱんに詰まっていて、ふたを開けるとパンケーキが溺れるほどかけ始めた。
「あ、あの……差し出がましいですがかけすぎでは?」
「甘いほうが美味しいに決まってるでしょう」
顔をあげて、何を馬鹿なことを言っているんだとでも思っている顔で、女性は首を小さく傾げた。グレアは思わず自分が間違っているのかもしれない、と言葉に詰まり「そ、そうですか」とぎこちなく返す。
「あら、そういえば自己紹介がまだでしたね。私はシトリン・デッドマンと言います。以後お見知りおきを、グレア・レンヒルト」




