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一生のお願い

作者: 田中志摩貴

 世界が平和になりますように。

 七夕で飾られる率ナンバーワン決め台詞だし、学校のイベントだから人の目が気になるので、私もそれを書いた。友達の美優も同じ。

「私たちって平凡すぎない?」

「普通が一番って言うでしょ」

「やだやだ。運命の恋とかしたいよ!」

「それはしたいかも」

「一目で恋に落ちて、ふたりは永遠に幸せに暮らしましたとさ、みたいなの」

「さすがに端折りすぎじゃない? もっと中身がないと幸せが伝わってこないよ」

「じゃあどんな?」

「んーそうね。気づいたら隣にいて、同じ方向や同じ風景を見て、同じ歩幅で歩いて、同じ未来を思い描いてたとか?」

「そんなの運命って気づかないじゃん!」

「やっぱり普通がいいんだよ」

 そんな美優は普通じゃない。眼鏡をかけてるけど美人で頭も良くて、人の悪口は言わないし、私のくだらない愚痴や無駄話を馬鹿にせず笑って聞いてくれる素敵な女の子だ。

 そこそこモテるのに勉強ばかりしていて彼氏はなし。本気でもったいない。

 恋は活力になる。好きな人がいるだけで毎日が幸せで、朝起きるのさえ今は楽しい。

 通学途中に駅で七草くんとすれ違うかもしれないって想像するだけでドキドキする。

「七草たちだ」

 線路を挟んだ向かいのプラットホームに進学校の男子高校生が五人集まっていた。五人とも美優と同じ中学出身で、受験当日体調が悪くなければ美優も今頃はあっちに立っているはずだった。おかげで私は美優と友達になれた。美優には不運なのに私にとっては幸運に反転するなんて皮肉な運命だ。

 電車に乗り込む彼らが美優に手を振りながら去っていき、私と目が合った七草くんが会釈してくる。ああもう好き。

 親友が片想いの男の子と接点を持っていたなんて運命かもしれない。お付き合いのきっかけは? 知人を通して知り合ったんですう、なんて理想的だ。

「七草とはずっと同じクラスで、委員会や班も割と重なってたからよく知ってるよ。モテないわけじゃないけど彼女はいなかった。自分自分じゃなくて、人を優先するっていうか、電車では席を譲るタイプ。真面目で優しくて、とにかくいい奴。うん。本当にいい奴なんだ。うまくいくといいね」

「とりあえずダイエット始めてみる」

「さっきお菓子食べてなかった?」

「ダイエットは明日からだもん!」

 私たちはあははと笑いあい、手を振って明日までのお別れをした。

 どうやったら付き合えるんだろう。神様、一生のお願いです。何でもします。どうか七草くんとお付き合いできますように。

「いいぜそれ。かなえてやるよ」

 心の中で呟いたのに背後から返事があった。背の高い短髪の高校生男子が腕組みしながら薄く笑っている。

「代わりにあんたも俺のお願いを叶えてくんねーかな。交換条件だ。何でもするんだろ」

「誰ですか」

「俺は神様だ。どうするんだ。さっさと決めろ。一生のお願いじゃなかったのかよ」

「そりゃあ、本当に付き合えるなら」

「じゃあ決まりだ」

 男が私の顔を両手で挟んで額をつける。きーんと耳鳴りがして五秒後に離れた。

「これでいい。今からお前が力を引き継いで神様になった。今のお前は何でも思い通りだ。やってくうちに自然にわかるはずだ。俺はもういい。もう神様の力はいらねえ」

「どうして私に力をくれるの?」

「お前が単純バカっぽいからかな」

「何よそれ」

 私がむっとすると男が豪快に笑った。

「ま。片想いの男とうまくやりな」

 奇妙な男は足取りも軽くホームの階段を下りていった。おかしな男だ。


 翌朝、改札口を抜けると七草くんが待ち構えていた。ほんと朝からテンションあがる!

 美優がいなくて話しかけるきっかけがないのが残念だけど、顔見知りではあるのだから笑顔で会釈して好感度をあげておこう。

「あの」

 日頃の行いが報われたのか、なんと七草くんから告白をされて付き合うことになった。

 私たちは連絡先を交換して彼氏彼女になり、週末にデートする約束をした。嘘みたいな展開だった。付き合うって何。七草くんは私を好きでいてくれるの?

 こうなったら七草くんにもっと好かれるようにダイエットを頑張ろう。まずは五キロ減が目標だ。太い足と二の腕が華奢になって、ぷにゃりとしたお腹やお尻や太腿を引き締めたい。でも胸はほしい。腫れぼったい瞼やパンパンの頬が小さくなればいいのに。

 先に教室に着いている美優と目が合うなり甲高い悲鳴があがった。

 もしかして七草くん本人から聞いたのかな? 

「何があったの。一日でめっちゃ痩せてるじゃない!」

 尋常ではない美優の驚きに私のほうが驚いた。言われてみれば身体が軽いし手足も細くなったし、自分の親指と人差し指で手首がつかめるようになった。

 鏡で確認すると顔も一回り小さくなり、まるで五キロ減を達成したかのようだ。

 もしかして、私の神様の力とやらでダイエットが成功したのかも。

「一日で二キロは痩せられるけど五キロは無理だよ、どんな魔法を使ったの」

「えへへ。内緒」

 七草くんとお付き合いすることになった報告は初回デートの後にしよう。もしもデート失敗してふられたら最悪だしね。


 うちは会社員の父とパート主婦と二歳上の姉という四人家族が中古マンション3LDKで暮らしている。かろうじて自分の部屋は確保できるがとても狭い。

 母がパート先でもらってくる残り物の惣菜を皿に並べて夕食はおしまい。たまにはお寿司が食べたい。ケーキもあるといいな。珍しく早く帰宅した父が大量の寿司を買ってきた。誰の誕生日でもないのにホールケーキ付き。やったね!

 母親が金の使い方を指導するつもりでがみがみと説教を始める。父が面倒そうに返事すると、母の小言が愚痴に代わってゆくいつものパターンだ。

 お金があれば喧嘩しないかな? どうかお父さんが大金持ちになりますように。

「家計のことも考えてちょうだい」

 母親がぶちぶち呟くと、父が箸をおいて神妙な面持ちで声を潜めた。

「実は会社を辞めて起業することにした」

「何の相談もなくどういうこと? いい加減にして。いつもあなたはそうやって……」

 夫婦喧嘩が始まったので姉と共に部屋へ引き上げた。いつもなら心が重くなるけれど、今日は何があっても落ち込まない。だって七草くんから告白されたんだもん。

「あんた痩せたね。それにニコニコしてる。いいことでもあった?」

「んふふ、彼氏ができたの」

「そりゃおめでとう」

「お姉ちゃんも勉強ばかりしないで彼氏つくりなよ。勉強ばっかでつまんないでしょ」

「余計なお世話。あんたは少し勉強しなさい。あとで困るのは自分だよ」

 姉は厳しい声音でぴしゃりと言い、自分の部屋に戻った。

 私は七草くんに初めてのメッセージを送る文面を考えて考えて、考えすぎて送れずにいると七草くんからおやすみと送られてきた。こんなに幸せでいいのかな。


 デートに着ていく服を悩み倒して一週間が終わった。当日のスケジュールは教えてくれなかったけれど、きっと七草くんは綿密に計画しているはずだ。映画かな。散歩かな。遊園地や植物園もいいよね。とにかく楽しいデートになりますように。

 待ち合わせ場所に立つ七草くんは如何にもお母さんが買ってきた服を組み合わせている感じだった。一言でいえば幼稚。私は一週間も悩んで服を選んだのに! でも許せる。七草くんの顔が大好きだからへんな服でもかっこよく見える。むしろ見慣れるとダサ服が可愛く見えてきちゃうから不思議だ。

 繁華街をぶらついて雑貨屋を見て回った。七草くんは私の好みを熟知しているかのようにカップやアクセサリーを見つけてくる。美優と一緒に買い物をしている時の気楽さに似た安心感があった。大好きな七草くんの顔が近くにある喜びで満足な一日。

 ふたりでお揃いのストラップを買ったのが嬉しかった。

 誰かに話したくて美優に連絡したけど連絡がつかない。そういえばバイトを始めるとか言っていたっけ。美優は学年一位を維持するために勉強には手を抜かないし、大学に通う生活費のためにバイトもしていて、時間がないから彼氏もいらないといっている。

 こんな高校生が他にいる? 完璧じゃん。美優が自分の親友なのが誇らしかった。

 うちでは恒例の夫婦喧嘩が過熱し、階下で椅子を倒す激しい物音が何度も何度も繰り返された。大人って面倒くさい。仲良くなれないなら少し距離をとればいいのに、顔を合わせると喧嘩ばかりして。

 話し相手がいないので姉の部屋に押し入ってデートの詳細を報告した。

「良かったじゃない」

「そんな反応? デートより勉強しろとか言われるかと思った」

「勉強は大事だけど、友達でも彼氏でも、人と関わって楽しい時間を作るのも才能なんだよ。ほらお母さんたちを見たらわかるでしょ。喧嘩喧嘩で。仲良くするのは難しいのよ」

「今日は真面目だ」

「姉ちゃんはいつも真面目だわ。何だって失敗を恐れてたら始らないんだし、彼氏ができたんなら頑張りな」

「何を頑張ればいいの?」

「お母さんみたいにならないように」

「あーわかりやすい」

 私たちはからからと笑った。

 お母さんみたいにならないように勉強していい会社に就職する。お母さんみたいにならないように素敵なお金持ちと結婚する。私たち姉妹が目指す道は別々だけれど、目的の芯は母親を反面教師にしているのは同じだ。

 生活に余裕があればあんなにがみがみ婆にならなくて済むよね。


 学校帰りに横断歩道で信号待ちをしていると、隣に並ぶ小学生三年生くらいの男の子が大声を張り上げた。一生のお願いです。お母さんの病気を治してください。口を閉じているのに私の鼓膜を大きく振動させる。

 私は神様の力を継承している。一生のお願いは、人生で最大級の願い事だ。私も一生のお願いをして七草くんと付き合うようになった。

 この子の母親に必要な治療は何か、余命幾ばくもない重体なのかさえわからないし、見知らぬ小学生を問い詰めるわけにもいかない。第一症状を知ったからと言って私に手助けができるわけもない。この子のお母さんの病気が治りますように。私はそっと心の中で神様にお祈りをした。すると一週間後、小学生と母親らしき女性が手を繋いでスーパーで買い物をしている場面に遭遇した。良かった。病気は治ったらしい。神様である私が祈りを唱えたからなのだよ。感謝したまえ小学生。

 得意げになりながら足取りを軽く帰宅すると、母親が家の荷造りを始めていた。

「お父さんの仕事の関係で引っ越しになるから手伝いなさい」

「えー聞いてないよ! どこに引っ越すの。転校するの嫌だからね!」

「引っ越すのは市内だから転校もなし。だからほら、自分の荷物をまとめて」

「ねえお母さん、神様っているかな」

「何なのいきなり」

 ひどく怪しいものを見る目を向けられたので私は素早く訂正した。

「ごめん違った。神様が何かひとつ叶えてくれるなら、お母さんは何をお願いする?」

 馬鹿なことを言うなと一蹴されるかと思いきや、母親はしばらく真剣に考えていた。

「お母さんには一生のお願いってないの?」

「懐かしいわね。子供のころ、みんなでよく口癖みたいに言ってたわ」

 権利は使用済みのようだ。

「そうね、若くて綺麗な頃に戻りたいわ」

 時間を戻すのは神様でも無理だと思うけど、私は願う。母がパートをやめて着飾った生活ができますように。


 七草くんと順調に愛を育みつつ、私は神様の役割をこなした。ふいに一生のお願いが頭に飛び込んでくるので、その人物の顔を確認し、犯罪まがいじゃなければ叶えている。

 しばらく神様を務めてわかったことは、多くの人間は一生のお願いを子供時代に使っていることだ。子供からの呼び出しが圧倒的に多い。親に買ってもらえなかったおやつをねだったり、喧嘩した友達との仲直りしたい、犬を飼いたい、とか些細なことばかり。

 一生に一度のお願いだからもちろん叶えてあげる。ちちんぷい。

 神社仏閣の近くを通ると、神様に祈る声が頭で重複して頭痛がする。大抵は恋愛や進路の相談で、他には安産や病気の治癒や厄払いが多かった。短冊に飾られる定番の世界平和を願う声もたくさん聞こえてくるけど、そういったものは具体性がないので声もぼんやりしていて曖昧だ。もちろん私は神様だからそれらを叶えようと思えば叶えられるけれど、なんとなく気乗りしない。一生のお願いなら叶えてあげるけど、ほとんどの人はその権利は既に使ってしまっている。

 何度も何度もお願いするような欲張りは嫌いです。奇跡は一度だから奇跡なのです。

 だけど私は神様なので自分の願いは何だって叶えていっちゃうぞ。

 人気若手俳優の豊栄大とお付き合いしてみた。七草くんと二股状態だけどバレなきゃ問題ない。大くんは俳優やテレビや雑誌の他にも仕事仕事、とにかく仕事ばかりで恋愛イベントが起きず、つまらなかった。さすがに驚くほど格好良かったけれど、整形や化粧や美容技術のおかげだとわかって幻滅した。仕事柄、人前でデートすることができないので大くんの部屋でゴロゴロするだけ。芸能人ってもっとキラキラした生活をしてると思ったのに地味で窮屈で会うのが面倒になり、すぐに別れて七草くん一筋に戻った。


 お父さんが起業して社長になると、その世界でめきめきと頭角をあらわして莫大なお金が入ってきた。豪邸と呼べる家に引っ越したし、お母さんはパートをやめて毎日着飾ってどこかに出かけている。観劇や演奏会や買い物や旅行だと言ってるけれど、若い男と遊んでるのを私は知ってる。けど黙っていた。お母さんが楽しそうだし、お父さんも忙しそうであまり帰ってこない。お父さんも若い女と遊んでいる。だけど家族がみんな幸せで丸く収まるならそれでいいかもね。

 居間のでかいテレビで姉が大くんの主演ドラマを食い入るように見ていた。緊迫した空気と真剣な芝居に同調してハラハラしている。大くんも画面越しなら最高に素敵なんだよなあ。CMに切り替わると、クッションを抱きかかえた姉が大興奮で騒ぎ立てる。

「豊栄くん最高! もはや神!」

「……神? お姉ちゃん、神様見たことあるの?」

「何を馬鹿なこと言ってんの。神様なんているわけないでしょうよ」

 目の前にいるんだけど。

「神っていうのは豊栄くんみたいに手の届かない境地にいる異次元の住人のことよ。そういう神様はいるの。リアルな話、宗教の教祖が亡くなれば二代目三代目って継いでいくじゃない? 亡くなった教祖こそが神格化してくはずなのに逆に死んだら神様じゃなくなるんだよ。現実には運営資金や相続税とかの問題があるからさ」

「でも大くんは神じゃない」

「姉ちゃんにとっては神様なの。大勢を幸せにしてるんだもん、神様と変わらないよ」

「なるほど」

 力のあるなしではなく、信仰の対象になりうるかどうか。よく考えると、芸能人もその道を極めた人は亡くなったあとにも神様だと崇められてる気がする。それはそれで神様なのかもしれない。人を夢中にさせる魔法パワーを振りまいてるのは確かだ。

「お姉ちゃんは神様にお願いしないの?」

「ないない。欲しいものがあるなら神様を頼る前に自分で努力して勝ち取ってみせるわ」

「かっこいー!」

 私は純粋に姉の心意気に拍手を送った。だけどその夜、私は姉の声を聞いてしまった。

 神様、一生のお願いです。どうか両親が仲良くなりますように。了解だよ。強がって本音を隠してばかりの姉の一生のお願いを神様は聞き入れることにします。


 試験前になると七草くんからデートをやんわりと拒まれた。表情も口調もすごく申し訳なさそうに断るから頷くしかない。本当は駄々をこねて困らせてやりたいけど彼が通っているのは県下随一の進学校だ。試験だとか模試だとか私はまったく興味がないけど、七草くんがいい成績を修めたいのがわかるから応援しておく。

 七草くんがいい成績をとれますように。神様が叶えてあげるんだから勉強なんてしなくても卒業できるし、いい大学に入っていい企業に就職できるんだけどね。

「神様が見てるから心配ないよ」

 やんわり白状してみたけど、七草くんは冗談だと決めつけて軽く受け流した。

 順位を上げるためだけに勉強してるんじゃない。知識を増やして、応用することに慣れて、それを人生の武器にするつもりなんだと言っていた。

 大人になったら社会に役立ちたいという。誰にでも優しい七草くんらしい将来設計だけど、勉強なんて面倒だし時間がもったいないなと私は思う。

 それでも好き。私とは価値観が違うけど、そんな七草くんも頼もしく感じられる。


 付き合って二年が経ち、最高学府を目指す受験で時間がとれないからしばらく会えないと言われた。美優もバイトは控えて受験に専念するから遊び相手がいなくなった。

 仕方ないので私も同じ大学に行くことにした。三人が同じ大学に通えますように。それぞれ学部は違うけれどみんな無事に合格した。七草くんはますます勉学に励み、私は勉強に興味がないのでサークル活動で遊んでばかりいた。うちの父親の会社に興味を持つ男子がたくさん寄ってきたから、七草くんが構ってくれなくても寂しくはなかった。

 久しぶりにデートの七草くんと初めて喧嘩をした。

 食事した店のコース料理でシチューが出た時の話題から派生した喧嘩だった。

「どうして外で食べるシチューには白いご飯がつかないんだろうか。別注文しようかな」

「うっそ、七草くん正気? シチューにはパンかパスタに決まってるでしょ! ご飯なんてありえない!」

「そうかな。何なら白米にシチューをかけてもおいしいけれど」

「げえ、信じらんない。だったら炭水化物はなしでいいじゃん。サラダたっぷりにして」

「サラダがついてるついてないは別の話だ。けど白米は絶対に必要だよ」

「洋食にご飯て!」

「カレーライスはご飯がなきゃ嫌だ」

「それは私もそうだよ。ただカレーとシチューじゃ違いすぎるでしょ」

「どっちも美味しいんだからいいじゃないか」

 珍しく七草くんが譲らなかったので、帰りのタクシーはお互い無言になってしまった。

 何年も付き合ってるのにこんな七草くんは初めてだ。七草くんの味覚はおかしい。それからしばらく七草くんとは距離を置くようになった。神様の力を使わなければ連絡もこないことに初めて気づいた。


 美優はアルバイト三昧。法律事務所での雑務をこなしながらカフェ店員として人気を集めているらしい。就職したら働かなきゃいけないんだから、大学生のうちに遊んでおいた方がいいと思うので、お節介ながらも美優がお金に困りませんようにと神様として祈ったけれど美優はバイトを辞めなかった。

「学生のうちにできるだけいろんな経験をしておきたくて」

「サークルも楽しいよ?」

「楽しいなら良かった。私もバイトが楽しいよ!」

「そんなにお金が欲しいの? 困ってるなら神様にお願いしてみたら?」

「神様? 神様を信じてるの?」

 美優は子供のように目を丸め、それから柔和に笑った。

「神様はいるんだってば! 美優は神様にお願いしたことがないの?」

「ない」

 美優はきっぱりと即答した。

「人間てさ、普段は意識しない癖に困った時だけ神様に縋るでしょ? 自分の努力が実って結果が出そうな時には神様にお願いなんてしない。自力で大丈夫だからね。頑張っても頑張っても不安で結果に届かなさそうなぎりぎりな時って、神様に縋っちゃうんじゃないかな。そんなに時に神様が生まれる」

「生まれる?」

「うん。不安な心を持つ人間が神様を作り出すんだよ」

 神様はいるよ。

 だから七草くんも美優も大学に合格したんだもん。

 そこで私はハッとした。七草くんも美優も、神様の力を使わなくても大学に合格したかもしれない。ふたりは神様がいなくても自分で夢をかなえる力を持っている。

「美優は将来どうするの?」

「水不足の外国に水路や井戸を整備したいと思ってるんだ」

「何それ。そんな話初めて聞いたよ!」

「まだ具体的な話じゃないから。でも微力ながら世の中の為になるような生き方をしたいなって思ってるよ」

 私はぎくりとした。同じ言葉を七草くんも語っていた。大人になったら社会に役立ちたいという二人の願いは一緒だった。

 ――運命。

 私は七草くんが運命の相手だと思った。すごく好きだった。だけど七草くんはどうだろう。神様の力を使わなくても私に告白したかな? 一緒にいてくれたかな?

 美優は言っていた。気づいたら隣にいて、同じ方向や同じ風景を見て、同じ歩幅で歩いて、同じ未来を思い描いてる人が運命の人かもしれないと。

 頭を殴られたようなショックを受けて私は泣けてきた。私は何の努力もしていない。自分から告白もせず、片想いを叶える努力もせず、家族の不和なんて気にしてなかったし、受験や将来すらどうでも良かった。

 急に自分が恥ずかしくなる。

 神様は何でもできるけれど、私は世界で一番空っぽな人間だ。

「砂漠や熱帯にも水脈はあるの。適格な場所に井戸を掘って住宅街まで水路をひいて、浄水場と上下水道ができたら最高よね。各家庭に水道を引くのは配管の問題もあるから難しいけど、中心部にRO濾過装置を取り付けて……」

「うん。できるよ」

「え、何で泣いてるの?」

「美優ならできる。七草くんも」

 二人は同じ中学で委員会も班も同じだし、努力家で価値観も似てて目標も似てる。それに自分より人を優先する利他主義だ。

 ずっとずっと私がふたりの縁を邪魔してたのかもしれない。

 私は美優の両頬を柔らかく包んで額を引き寄せた。ゆっくり五秒数える。きんと耳鳴りがする。

「今までごめんね美優。えへへ。これからも友達でいて」

 私は神様の力を使って生きてきた。私は私の人生を自分の足で進まなくちゃいけない。

 美優なら私より正しく神様の力を使うだろう。私欲に使ったり誰かの人生を狂わせることもしない。この力を譲るなら美優しかいないと思った。


 神様の力を失ったので卒業はおろか授業についていくのもままならず、私は大学を中退した。私のやりたいことって何だろう。自分でもわからないけど、力を失った今なら逆に何だってできる気がする。

 ある日、駅の階段を上がってホームに辿り着くと、私に神様の力を譲り渡した短髪の男が腕組みをして待ち構えていた。

「ずっと見てたぜ。あんた、いい奴だな。さすがに俺って見る目あるわ。子供たちの願いを叶えてきたし、世界を壊すこともなかった。わりかしいいんじゃね。優秀な神様だった」

 男が半ば照れながら無邪気に笑う。

 割と顔はかっこいいかもしれない。背も高いし、笑うとなんか可愛い。

 何より――この人は私と同じ経験をして、同じことを感じて、力を手放した人だ。私たちは同じ風景を見た。この人は先輩であり同志であり、それからはきっと私たち二人で考える問題だよね。同じ未来を歩けるかな。それもいいかもしれない。

 彼が赤い顔を背けてぶっきらぼうに言い放つ。

「あのさ、その、なんつーかアレだ、とりあえず飯でも行かねえ?」

「あなたは私と付き合いたいの?」

「はあ? んなこと言って……」

「私たちは神様じゃないけど、それが一生のお願いなら聞いてあげてもいいよ?」

 彼は絶句してしばらく固まったまま動かなかったけど、やがてぶはっと大きく息を漏らして笑いだした。彼とのデートは何を食べよう。シチューはやめておこうっと。



 数年後――とある国で津波が発生した。

 私たちの祈り虚しく一夜にして国民の二割が犠牲になった。


 彼は苦虫を嚙み潰したような複雑な顔でニュースに見入っている。

「大きな力と多くのお願いが招いた結果ならなんつー皮肉だよ」

「前向きな希望が人類に優しいとは限らないのかあ。神様ってほんと謎」

 画面一枚に隔てられたあちらの世界は混乱を極めているのに、普通で平凡な生活に戻った私は煎餅を齧りながら、のほほんと世界の平和を甘受している。


 私はスマホ画面に美優の番号を呼び出した。

 コールが鳴る。

 ごうごうと海鳴りが聞こえる。


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