第99話 ええ、ナニコレ?
「ああ、待っていたぞアオイ。私はお前のことを信じていた。必ず、私の元に戻ってきてくれるとな」
「いや、そんなわけないだろ」
超ポジティブに解釈するゴルゴールに、思わずラモンが口を出してしまう。
ゴルゴールは、そこでようやくラモンを見た。
鬱陶しい羽虫を見るような、冷たい目で。
「……【赤鬼】か。相変わらず、私の邪魔をし続ける男だ。こうして直接顔を合わせてもわかる。お前は私と共存できない男だ」
「ああ、それは俺も分かっている。千年前のあの時からな」
真っ赤な髪、そしてアオイと親し気な様子。
それらから、自分の不俱戴天の仇である【赤鬼】であることを見抜く。
この二人、相性は最悪だ。
お互いがお互いを嫌い合っているので、留まるところを知らない。
「護衛兵! ここに我ら不俱戴天の仇、【赤鬼】がいるぞ! 捕まえ、殺せ!」
この手で殺してやりたいが、ゴルゴールも前線を離れて長い。
体感では少し前まで戦争をしていた彼らと直接戦うような愚行はとらなかった。
捕まって為すすべなく処刑される姿を、あざ笑って見てやろう。
こちらの庭に飛び込んできた奴らの失策だ。
しかし、いくら待てども傍に控えているはずの護衛兵は現れない。
確かに騒動に駆けつけて行ったが、誰も反応してここに来ないというのはおかしい。
「あー、たぶんあんたの命令に従う奴はいないと思うぞ。いや、従う奴というより、従える奴、だな」
「なんだと? どういう意味だ?」
「全員、俺の仲間にやられて寝ているはずだ」
「なっ……!?」
ここにいるのは、ラモンとアオイだけ。
シルフィたちは途中で別れ、迫りくる教皇国精鋭の護衛兵たちとの戦闘に入っていた。
なお、戦闘と言っても、ほぼシルフィ側の圧勝である。
人間の中で精鋭と言っても、かつての大戦で大きな戦果を挙げた彼女たちには到底及ばないのである。
「教皇国大魔導でも傍に置いておけばよかったのにね」
現代で彼女たちに抗うことができる可能性があるのは、ルードリッヒなどの教皇国大魔導だろう。
しかし、彼はラモンたちの故郷近くで負傷しているし、他の教皇国大魔導はラモンとアオイを指名手配するための、各国との橋渡し役のために不在である。
その隙を、ちょうど突いた形になっていた。
「……ざけるな」
ポツリとゴルゴールが呟く。
その怒りはふつふつと沸き上がり、すぐに大きな噴火となって喚き散らす。
「ふざけるなああああ!」
ダンダンと地団駄を踏む。
「どこまで、どこまで私の邪魔をすれば気が済む、【赤鬼】ぃ! 土下座をすればいいのか? 許しを乞えばいいのか? どうすれば、私の邪魔をしないでくれる!?」
「あのなあ。俺だって、何もあんたが嫌いであんたの邪魔をしていたんじゃないんだよ」
目を血走らせて怒鳴るゴルゴール。
世界の支配者になるという夢を、ことごとく破壊してくれたのがラモンだ。
こいつさえ、こいつさえいなければ。
しかし、何もラモンはその目論見を知っているわけでもなく、そのために邪魔をしているわけではない。
「あの時、あんたがアオイを攫わなかったら。俺はあんたの邪魔なんてしていなかった。いや、そんな力も身に着けていなかったよ。全部、あんたが引き起こしたことだ」
「あれは! 天使の神託でアオイしか聖勇者の資格はないと! あの戦争、聖勇者の力がなければ、人類は敗北していた。仕方なかった! たった一人の犠牲で、多くの人類を救える。為政者の一人として、それを実行しないのは嘘だ!」
「まあ、あんたの言うこともわかる。一人と百人の命なら、あんたみたいな立場なら百人を選ばないといけないことくらい。だけどな、その一人が俺にとって大切な人だったら、俺はその一人を選ぶよ」
「……あのね、そういうことは私のいないところで言ってもらえるかしら?」
ジト目でラモンを睨むアオイ。
その真っ白な頬がうっすらと赤く染まっていたことは、この場にいる誰も気づかなかった。
「え、何で?」
「……千年経っても気遣いができないわね、あなた」
「っ!?」
まさかの攻撃に変なショックを受けるラモン。
そんな彼らに怒鳴り声をあげるのは、ゴルゴールだ。
「そのような自分勝手な理由が、許されるとでも思っているのか!?」
「そもそも、あなたたちが私たちの意見も聞かずに勝手に攫ったのが問題でしょう。というか、あなたにそんなきれいごとを言う資格はないわよ。私を洗脳した理由にはならないわ」
「……戦争に勝つためだ。致し方ないことだ。私も望んでいたわけではなかった」
「じゃあ、どうして戦争が終わった今、私を生き返らせたのかしら?」
「…………」
ゴルゴールは答えることができない。
アオイを蘇らせたのは、自身の野望のため。
世界を支配するため、強大な暴力として【鏖殺の聖勇者】を求めたのだ。
それを馬鹿正直に話すことなんて、できるはずもない。
しかし、洗脳状態の時、ゴルゴールの政敵を命令で殺めた彼女は、彼の奥底にあるどす黒い欲望を知っていた。
「あなたはさっきから人のためだのきれいごとを言っているけれど、全部嘘よ。あなたは昔からずっと自分のことしか考えていない。そのために私を使ったでしょう?」
「ま、待て! 私を殺すのか? その手を汚すのか!?」
スラリと聖剣クラウ・ソラスを抜いたアオイに、ゴルゴールは慌てて制止する。
今の彼女とやり合って、勝てるとは到底思わなかった。
聖勇者の力を最も知っているのは、それを利用していた彼だからだ。
しかし、無情にもアオイは首を横に振る。
「あなたがさんざん過去に私を使ってくれたおかげで、私の手はすっかり汚れ切っているわ」
ゆっくりと近づいてくるアオイ。
逃げることはできない。
ならば、一当てして隙を作る!
ゴルゴールも教皇国大魔導の一人だった男。
その練られた魔力は非常に高濃度で……。
「あなた一人の血で汚れることくらい、なんてことないわよ」
パッとゴルゴールの血が飛び散る。
肩口からバッサリと斬られていた。
ああ、ゴルゴールの魔力は素晴らしい。
だが、そんなものをアオイが使わせるはずがなかった。
「ぐああああああ!?」
傷口を抑えて倒れ込むゴルゴール。
教皇である彼がこのように地べたを這いずり回るなど、誰が想像できるだろうか。
少なくとも、本人はまったく想定していなかったことである。
「ひっ、ひぃっ!? し、死ぬ? この私が……?」
ズリズリと地面をはいずりながら、少しでもアオイたちから逃れようとするゴルゴール。
そこには、教皇としての威厳など微塵もなく。
ただ、自分の生に執着する人間らしい人間の姿しかなかった。
「そんなこと、認められるか! この私が、いったい何百年待ったと思っている!? 努力し続けてきたと思っている!? こんなところで、終わるわけがない!」
ただ、他の人間と違うのは、その欲望の強さ。
支配欲。
それを満たすためだけに、千年悪魔と取引をして生き延びてきたのである。
死に近づいたからといって、それだけで諦めるような生易しい男ではなかった。
「悪魔ぁ!」
「あいよ」
「力を……力を寄こせ!」
ただ見ていた悪魔に、取引を持ち掛ける。
寿命を延ばす、アオイを蘇らせる。
すべて悪魔との取引の結果だ。
そして、もう一つの取引を始めようとする。
アオイを捕らえ、ラモンを殺すための、取引を。
「おいおい、いいのかよ。俺の力は代償がいるぜ。ついでに、悪魔の力を借りた奴は、ろくでもねえ最期だ」
「いいから、寄こせ!!」
「そこまで言うんだったら仕方ねえ。ほらよ、うまく使え」
悪魔にとって、ゴルゴールは餌に過ぎない。
彼がこの先どうなろうと、どれほどひどい目に合おうと、知ったことではない。
ここに、契約は結ばれた。
「ぐっ、おあおおあおあおあおあおあおああ!!」
ブチブチと人体がちぎれる音がする。
筋肉が肥大し、皮膚が裂ける。
ゴルゴールの身体が、どんどんと大きくなっていく。
「え、なにこれキモイ」
「そんなこと言っている場合じゃないぞ!」
白い眼を向けるアオイを慌てて引っ張りながら、ラモンは聖堂を脱出した。
道中で仲間たちにも声をかけ、大教会を抜ける。
突然去って行く敵に、兵士たちも唖然と見送るしかない。
そのため、彼らは逃げ遅れた。
荘厳な造りの大教会。
千年以上の歴史を誇る、天使たちへの信仰の象徴ともいえる建造物が、崩れ去っていく。
そして、その大教会を破壊して産声を上げたのは、変わり果てた巨大なゴルゴールの姿だった。
「……ええ、ナニコレ?」




