第98話 宣戦布告先制攻撃よ
「聖勇者様が復活なされたって、聞いたか?」
教皇国軍に所属する兵士が、周りの同僚に問いかける。
今、この教皇国では、もっぱらその噂がささやかれている。
老若男女問わず、どこに行っても、外でも家庭内でもこの話で持ち切りだ。
かつて、第四次人魔大戦を勝利に導いた英雄が蘇ったと。
「猊下直々の布告で言っているんだから、間違いないわよ」
先ほど噂と言ったが、敬愛する教皇ゴルゴール自らが認めていることから、これは真実である。
ただの噂だったら、ここまで魅了されない。
教皇が生き返ったと言ったのだから、それは真実なのだ。
「だけど、あの【赤鬼】に攫われたらしいな」
「あいつも復活していたのかよ! どういうことだ!?」
「おそらく、悪魔の力だろうな。悪人が悪人を呼び出したんだ」
そして、聖勇者と共に蘇った存在についても、教皇は彼らに伝えていた。
【赤鬼】ラモン・マークナイト。
第四次人魔大戦時、魔王軍に与した人類史上最悪の裏切り者。
最強の戦術指揮官として、人類に大打撃を与えた大罪人である。
そんな彼に、聖勇者は攫われてしまったのだという。
とんでもないことだ。
許されないことだ。
彼らの正義の心に、ラモン許すまじという決意は日増しに強くなる。
「私たちの手で、必ず助け出しましょう!」
おう、と声を張り上げる仲間たち。
教皇国軍の士気は、非常に高まった。
そんな時だった。
空から勢いよく、複数のものが落ちてきたのだ。
ズドン! と落下直後、砂煙を巻き上げる。
兵士たちが目を凝らして何が落ちてきたのかと確認すると、それは人影だった。
「……あなたはちゃんと人を運ぶこともできないのですか?」
「いやいや、あんたたち何人いると思ってんですか! 僕の細腕が引きちぎれそうになっていたですよ!」
「何か問題があるか?」
「うっほう! ラモンの塩対応が癖になってきたです……!」
「お前様、ちゃんと責任取れよ」
「あなたのせいだからね、この怪物が生まれたの」
「そうですわね。わたくしは知りませんわ」
「仲間が冷たい……」
ワイワイと会話する連中。
空から落ちてきたというのに、随分とのんきな連中だ。
明らかに不審者だし、本来なら連行するところだ。
そうしなかったのは、煙の奥から感じられる強大な気配である。
ヘタに踏み込めば、命を落とす。
それが分かっていた。
「な、何者だ!?」
砂煙が晴れる。
そこから現れたのは、複数の男女。
その中でも、一歩前に出た男が、赤い髪を蓄えた頭をかきながら言った。
「えーと……教皇を殺しに来た者です」
「はっ!?」
ギョッとする。
そんな妄言を吐く者がこの世にいるとは思えなかった。
ラモンが教皇どころか信仰対象である天使すら殺した男だと知っていれば、その言葉が本気であることは分かったのだが。
「あのね、そんな言い方で退いてくれると思う? 代わりなさい」
ラモンの前に出たのは、アオイだった。
彼女は冷めた目で兵士たちを見る。
「私のことが誰だかわかる?」
「ま、まさか、聖勇者様!? だとすると、その赤髪は【赤鬼】……!」
「お待ちください、聖勇者様! すぐにその悪辣な鬼を殺し、お救いしてみせます!」
かつての英雄と会うことのできた喜び。
それが、アオイを攫ったとされているラモンに対する憎悪を強くさせる。
視線だけでも殺せそうだ。
もちろん、それ以上の視線をかつて何度も送られた彼は、恐怖を覚えることはない。
「悪辣な鬼……」
「まあ、人間視点ではそうなるんじゃろうなあ」
ただ、言葉の内容に軽くショックは受けていた。
レナーテが頭を撫でながら慰める。
「ああ、そういうのいいから」
一方で、アオイは自分のことを思いやってくれていた教皇国の兵士を一蹴する。
彼女にとって、この国の狂信者たちは好ましくない。
すべての元凶である天使を信仰している時点で、嫌いである。
だから、冷たく言い放った。
「どきなさい」
「……俺と大して変わらなくない?」
「しっ! あんまり大きな声で言うと聞こえちゃいますわ!」
コソコソとラモンとナイアドが話をする。
後で二人はお仕置きだ。
これは、アオイなりの譲歩というか、情けであった。
この時点で迅速にこの場から去れば、危害は加えない。
彼女からすると、こんなに優しく対応してあげたのだ。
しかし……。
「まさか、【赤鬼】に洗脳されて……!」
「おのれ、【赤鬼】!」
残念ながら、兵士たちは斜め上に解釈する。
すべてラモンのせいである。
こうしておけば、簡単に物事を整理することができるので、楽だ。
「……もう何があっても全部俺のせいになるな」
「殺しますか?」
「いや、できる限りそういうのは避けようって話をしたじゃん……」
シルフィの殺意に多少ビビるラモン。
彼女の前でラモンを批判するのはご法度である。
殺されても文句は言えない。
「あー、退く気はないのね? じゃあ、仕方ないわね」
「え? ちょっと、アオイさん?」
ゆらりと動くアオイ。
もともと、彼女は気が長い方ではない。
むしろ、即断即決の短気な方である。
それを知っているのは、長い付き合いである幼なじみのラモンだけ。
当然、今初めて目にした教皇国軍の兵士たちは知る由もなく。
「宣戦布告先制攻撃よ」
だから、アオイが聖剣を振り上げて斬撃を放つまで、一切反応ができなかった。
その巨大な光は兵士たちを吹き飛ばし、さらに突き進む。
広く整備された道を突き抜ける。
騒ぎを聞きつけてこちらに迫ってきていた教皇国軍の兵士たちを巻き込み、そしてその斬撃は大教会に激突する。
「よし、行くわよ」
「……本当に、この人だけでいいんじゃありませんの?」
「……俺もそう思う」
意気揚々と歩き出すアオイの背を追いかけながら、ナイアドとラモンは頷き合うのであった。
◆
強固な造りであるはずの大教会が、時折激しい爆発音とともに揺れる。
教皇を守るために配備されている兵たちが、慌ただしく動いている。
緊急時には教皇の傍に兵が配置されるものだが、その人員すらも駆り出されていた。
つまり、この大教会を襲撃している相手は、それほど厄介で難敵だということである。
「おい、悪魔。これはどういうことだ?」
誰もいなくなった聖堂内で、ゴルゴールは悪魔に問いかける。
すべての事情を知っているのは、悪魔だけだ。
そんな彼は、ニヤニヤとした笑みを消さない。
「どういうことも何もねえだろ。お前のご執心の聖勇者が、自ら来てくれたってわけだ。歓迎してやれよ」
「ふざけるな! 私はこのような展開を予想していなかった。今ここに来られたら、私は……!」
怒りのままに強く拳を打ち付けるゴルゴール。
その怒りは、聞こえてきた声にすぐに鎮静化された。
「私はなに? 教皇猊下」
冷たく静かな声。
同時に、コツコツと教会内を歩く音がする。
ただの足音だが、ゴルゴールからすると、それは死神の近づいてくる音にしか聞こえなかった。
「すぐに戻ってきてあげたわよ。あなたを殺すためにね」
「そんな堂々とした殺害予告ってある?」
現れたのは、二人の男女。
ニッコリと笑うアオイと、げんなりとしたラモンだった。
「アオイ、そして【赤鬼】……!」
ゴルゴールの求めていた聖勇者、そして殺したいほど憎い【赤鬼】が、彼の面前に立つのであった。




