第97話 な?
「リハビリも順調ね。これでやれるわ」
……何をやるの?
ニッコリと笑って近づいてくるアオイに、背筋が冷たくなる。
『やる』という言葉が『殺る』という文字でないことだけを祈る。
いや、彼女がされたことを考えると、そうなっても当然なのかもしれないが。
しかし、相変わらずアオイの力は凄い。
もう全部彼女だけでいいんじゃないか?
「さて、どうするの? 一応、殺さないでおいてあげたけど」
離れた場所で倒れ伏す教皇国軍。
全員命は落としていないらしい。
凄い。
「そんなに細かい調整って、できるものなんですの?」
「この人たちくらいですよ、大規模な攻撃で手加減できるなんて」
シルフィが俺とアオイを見る。
うーん、俺というかダーインスレイヴがやってくれるというか……。
あと、ダーインスレイヴがやると、本当に死の一歩手前まで生命力を吸い取るから、ミイラそのものになってしまうんだよな。
容赦がないんだ。
「とりあえず、あれらは放置だな。構っていられる暇はない」
自分たちを殺しにかかってきた連中のことを心配するほど優しくない。
止めを刺さないだけ情けをかけているというものだ。
「多分、諦めることなく追手がかかってくるじゃろうなあ。ゴルゴールにとって、聖勇者は決して切り捨てることのできない切り札じゃ」
「おほぉ、僕の求めていた展開……! ナイス、人間!」
「なんですの、こいつ……」
白い目でオフェリアを見るナイアド。
本当にな。
しかし、姫さんの言う通り、ゴルゴールはアオイを諦めないだろう。
俺たちを指名手配でもするだろう。
教皇国から逃げればいいというものでもない。
今、人類国家の中で最も力を持っている教皇国に求められれば、王国や帝国も断り切れないだろう。
指名手配くらいなら受け入れるだろうし。
「さてはて、どうしたものかの。旅を続けながら逃げるか?」
「ずっと追われ続けるのは、趣味じゃないわ」
「平気だとは思うが、追われ続けるというのは強いストレスになるだろうな。俺はのんびり旅がしたいだけだし、それは避けたいな」
戦闘能力的に負けるとは思えないが、追い続けられるというのも大変だ。
逐次元気いっぱいの追手を差し向けられれば、俺たちだって疲弊する。
それで、のんびりとした旅なんてできるはずもない。
「じゃあ、どうするのです?」
「そんなの、決まっているでしょ」
ナイアドに、アオイが冷たく言い放った。
「おおもとに、殴り込みよ」
◆
教皇の座す大教会。
教皇国の象徴である場所では、ゴルゴールが慌ただしく仕事をしていた。
もちろん、それは聖勇者アオイを捕まえるための仕事だ。
それ以外のことなど、部下に丸投げである。
そのような些事に構っている余裕はないのだ。
「よー。もう失敗して一週間だろ? 大丈夫なのかよ、お前のご執心の聖勇者様は」
「黙れ、悪魔め。私もこの一週間、何もせずに過ごしていたわけでないことくらい分かっているだろ」
ケラケラと笑う悪魔に、苛立ちを隠せない。
自分の寿命のために彼と契約しているが、それがなければ絶対に関わり合いにならない性格である。
人の怒りや憎悪といった感情が好きなのか、この悪魔はよく煽ってくる。
用済みになったら、すぐさま契約破棄することを心に決める。
「と言っても、聖勇者と赤鬼の復活を布告しただけだろ?」
「それだけで、この国の天使狂信者どもを動かすには十分だ。教皇の命令というだけよりも、よっぽど熱心に動いてくれる」
「そんなに大事なもんかね、聖勇者ってのは」
「狂信者どもからすれば、天使に選ばれし者だ。それは、聖勇者以外に存在しない。その唯一無二の存在が蘇り、しかも怨敵である赤鬼に攫われたとなれば、血眼になって探すだろうさ」
天使に選ばれたというのがとても重要だ。
天使に選ばれた、すなわちその人は天使と並んで信仰対象となる。
教皇国の人間にとって、アオイはそれほどの英雄だった。
一方で、その英雄を殺したラモンは殺意マシマシの憎悪対象である。
「扱い方も心得ているなあ」
「私が千年生きているのも、『天使の祝福だ』と適当なことを言っただけで信じ、あまつさえありがたがるような連中だ。扱うのは簡単だ。そして、その熱意は執念に代わり、私の力になってくれる」
ふっと嘲りを含めて笑う。
今は都合がいい。
しかし、仮に何かが起きて彼らが敵になったときは面倒くさい。
まあ、その時はあっさりと切り捨てるから、それまで存分に利用させてもらうとしよう。
「すでに、他国へは指名手配への協力を要請している。協力というが、半分強制みたいなものだ。これで、奴らは教皇国から逃げればいいというだけの話ではなくなる。世界中、どこにいても安らげる場所はないのだ」
「おいおい、他国にそんなことを強要してもいいのかよ。不満は溜まるぜ?」
「構わん。聖勇者を取り戻せば、直に征服する。いずれ私の支配下に入るのだからな」
不満はあるだろう。
それが蓄積していけば、戦争にも発展しかねない。
だが、問題はない。
いずれ自分が支配する国々だ。
いくら不満を溜めていたとはいえ、爆発さえさせなければいいのだ。
そのためには……。
「だが、そうするには必ずアオイを手に入れなければならん。必ず……必ず捕らえなければ……!」
聖勇者の力は必須。
逆に言えば、彼女がいなければ、今こうして不満を溜めさせているのは危険なのだ。
必ず支配するという前提の上に成り立つことをしている。
だから、アオイを必ず見つけ出し、再洗脳しなければ……。
「あー、そうだな。あいつらレベルなら、隠形に徹したら見つけるのはそう簡単じゃないわな」
悪魔はケラケラと笑う。
自分にとって、面白い方向へと進んでいることを確信して。
「だがよ、あいつらの方から来てくれるって可能性もあるぜ?」
「そんなこと、あるわけないだろ。逃げる、遠ざかるなら理解できるが、どうして私の元に近づいてくる?」
「簡単だよ」
困惑するゴルゴールに、悪魔は笑う。
彼は、彼らを理解していないようだ。
まあ、それもそうだろう。
ラモンとは一度として顔を合わせて話したことはないし、アオイは洗脳状態で彼女の性格や言動を知ることはなかった。
だから、無知だった。
彼らが、ただ逃げに徹するような性格でないことに。
「お前をぶっ殺して、自由を手に入れるためさ」
直後、頑丈な造りの大教会すら揺れるほどの衝撃が襲う。
ズドン! という爆発音は、荘厳なステンドグラスもビリビリと揺らす。
現場から離れて長いゴルゴールだが、この張り詰めた雰囲気と先ほどの衝撃は、よく覚えている。
そう、戦場で何度も味わった、襲撃だ。
「な?」
悪魔は得意げに笑い、ゴルゴールを見るのであった。




