第95話 試運転
「おお、凄い軍勢」
「なんだか昔を思い出すわ……」
遠くに見える軍勢、教皇国軍。
天使を強く信仰し、その信託と教皇の命令に忠実に従う軍隊だ。
帝国より軍事力自体は劣っているのだが、アオイのかつての功績により、人類国家の中で覇権を握っている。
そんな軍勢が、目の前に広がっていた。
距離はかなりあるが、明らかにこちらを睨んでいた。
「新しい聖勇者が見つかったとか?」
「同じ村から? 凄い確率ね」
はっと鼻で笑うアオイ。
こんなに簡単に新しい聖勇者が見つかるのであれば、ゴルゴールも千年かけて彼女を蘇らせたりなんてしなかっただろう。
「どう考えても聖勇者狙いですね。よし、さっさとこいつを差し出しましょう。その後助けに行けば、僕の最初の計画通りです。この場からも逃れられますし、一石二鳥ですね」
ニコニコと笑いながらとんでもないことを言うオフェリア。
この駄天使、自分の欲望のためなら何でもやるな。
ちょっとおとなしいと思えばこれだ。
やっぱり、天使って駄目だわ。
「ラモン、これを囮にするという前提で作戦を考えましょう」
「あれ?」
自分が切り捨てられると毛頭考えていなかったのか、シルフィの言葉に首を傾げるオフェリア。
いや、彼女を囮にしてもなあ。
なんだかんだうまいことやって、俺たちに軍勢を押し付けてくるぞ、こいつ。
無駄に賢しいのだ。
「聞こえるか? 聖勇者様、そして人類史上最悪の裏切り者よ」
遠く離れている間に逃げようかと考えていると、そんな声が届いた。
それは、魔法を使ってこちらに声を届けていた。
だから、大きく声を張り上げなくても、軍勢のトップらしき男の声が聞こえてくる。
「あー、聞こえている。あんたは?」
「私はルードリッヒ。教皇国大魔導の一人だ」
今代の教皇国大魔導か。
卓越した魔法使いに与えられる、教皇国の称号。
教皇国はもちろんのこと、王国や帝国と合わせても有数の力を持つ魔法使いにのみ選ばれる存在だ。
あの大戦で、彼らの実力は嫌というほど実感させられている。
「ここまで魔法で音声を届けることができるのは、なかなかですね」
「まあ、教皇国大魔導の一人じゃしのう。人類の中でもトップクラスじゃろう」
姫さんの言う通りである。
さて、どうしたものかなあ。
「私は教皇猊下の勅命を受けて、ここにいる。聖勇者様、お戻りください。再び我らと共に、魔を打ち滅ぼしましょう」
まず、ルードリッヒが声をかけたのはアオイだ。
おそらく、最優先事項なのだろう。
教皇……すなわち、ゴルゴールの命令でここに来たとなれば、容易に予想できる。
勧誘の言葉がちょっと良くないけど。
それに対し、アオイは……。
「ふわぁ……」
あくびである。
これ以上ないくらい気を抜いていた。
……君に話しかけているんだぞ、ルードリッヒ君は。
無視は止めて差し上げて。
「……返事くらいしてあげたらどうですの?」
「話す価値もないわ」
バッサリと切り捨てるアオイ。
怖い……。
一回切り捨てたら、絶対に拾わないからな、この子。
おそらく、ルードリッヒの言葉をまともに聞くことは二度とないだろう。
なんだか彼が可愛そうに思えてきた。
しかし、届く声は落ち着いていた。
「……なるほど、そういう対応か。いや、私は猊下と違ってあなたをそれほど価値があるとは思っていない。だから、何の問題もないとも」
「価値がない?」
「ああ。しょせん、千年前に【赤鬼】と共に死んだ女。普通の人間に敗北するような女に、何を期待されているのか知らんが……無用だということだ」
ゴルゴールとルードリッヒには、温度差があるようだ。
実際にアオイの力を目の当たりにしているゴルゴールは、彼女が必要だと思っている。
一方で、当時を知らないルードリッヒは、しょせん過去の存在だと侮っている。
まあ、昔の存在なんてそんなものだろうな、認識としては。
ただ、アオイに価値がないと言ったのは許さん。
「わざわざそんな無用なもののために出向いてくれてありがとう」
「気にするな。これも猊下の命令。上司の言うことには逆らえんのだよ」
アオイの強烈な皮肉も、ルードリッヒは受け流す。
プライド高そうな感じがするが、意外と話し上手である。
「さて、私の受けた命令を教えてあげよう。まず、聖勇者様の奪還。抵抗するようであれば、痛めつけても構わんということだ」
「私を弱らせて再洗脳でもしようとしているんじゃないかしら? 興味ないけど」
もう一つあくびをしながらアオイ。
自分のことだし興味を持とうぜ……。
しかし、痛めつけてもいいとゴルゴールが言ったのには驚いたが、アオイの言葉で納得する。
彼女が洗脳を受けていたのも、聖勇者の膨大な力をいきなり発現させられて、弱っていたところに付け込んだ形だ。
またアオイを弱らせれば、再洗脳できると思っているのかもしれない。
そんなこと、二度とさせないが。
「そして、蘇った悪魔【赤鬼】ラモンの殺害。この二つだ」
というか、絶対に主目的そっちですよね。
ルードリッヒはそうでもないかもしれないが、ゴルゴールからの殺意が伝わる伝わる。
めっちゃ俺を殺したいんだろうなあ。
「俺、千年経っても命を狙われるんだな……」
「複数の国の国家予算レベルの賞金首をかけられていた男が、今更何を言う」
呆れたように言う姫さん。
そんなに高かったの!?
それは聞いていなかった!
「ということで、さっそく死にたまえ。聖勇者様、ご自分で何とか防いでくださいよ。死んだら……まあ、猊下が何とかするでしょう」
その言葉の後、遠くに見えていた軍勢の頭上に、巨大な火球が現れた。
まるで、太陽のようだ。
あれを数百人の高い能力を持つ魔法使いが作っているのであれば理解できるが、おそらくあれはルードリッヒだけの力で作られている。
さすがは教皇国大魔導の一人と言えるだろう。
あんな高温の魔法の近くにいたら命を奪われそうなものだが、軍勢にいる他の魔法使いが熱を相殺しているのだろうな。
たった一人の魔法を、数百人の魔法使いで相殺させなければならない。
それだけで、ルードリッヒの強大な力を示していた。
「ぎゃー! まだ村人もいますのに、あんな魔法を撃ってくるつもりですの!?」
ナイアドが悲鳴を上げる。
そして、俺とアオイの故郷である村からも。
まだ、村人がいるのだ。
俺たちの知り合いの、子孫たちが。
「教皇国って、そういう感じなんだよ。人名よりも、何よりも教皇の命令や天使の神託を優先する。クソだろ?」
「クソですわ! というか、そんなに暢気にしている場合じゃないですわ!」
「おほぉ! こういうのを待っていたですよ!」
慌てるナイアド。
興奮するオフェリア。
オフェリアはどこかに捨ててきて、シルフィ。
「で、どうするのじゃ? ぶっちゃけ、妾はどうにもならんから、お前様任せじゃ」
確かに、姫さんの幻覚魔法ではあの火球を何とかするのは難しいだろう。
別のところに幻覚を作ってぶつけさせても、余波がかなり大きそうだ。
できないことをできないと言えるのは、いいことだと思う。
「そうだなあ。またダーインスレイヴに頑張ってもらうしかないか。悪いな、いつも」
チラリとダーインスレイヴを見る。
【赤鬼】だなんだと言われて過大評価されている俺だが、ぶっちゃけほとんどダーインスレイヴの力である。
彼女の力を借りなければ、何もできないのだ。
ガチャガチャ。
そんなことはない。自分を扱ってくれるのはあなただけだ。だから、これもあなたの力だ。
そんな意思が聞こえてくる。
……いい子すぎない?
なんで魔剣なんてしているんだろう、この子。
「ラモン」
ダーインスレイヴと共に前に出ようとすると、アオイが声をかけてきた。
「ここは、私にやらせてもらっていいかしら? 試運転というか、身体の調子を確かめたいの」
「アオイが? いや、でも病み上がりだし……」
聖勇者としての力を失っていないとは聞いている。
しかし、彼女は少し前まで死んでいた。
教皇国大魔導の一人の強大な魔法と相対するのは、厳しいのではないか。
そう思ったから、少し躊躇してしまう。
「さあ、過去の遺物よ! 完全に消滅してしまうがいい!」
「ぎゃあああ! やられちゃいますわああ!」
直後、ルードリッヒから巨大な火球が放たれた。
まるで、太陽そのものだ。
近づいてくる熱だけで、身体が蒸発してしまいそうになる。
……これ、アオイも死ぬぞ。
いいのか、ルードリッヒ。
「……本当、この妖精はうるさいわね。諸共消し飛ばしちゃうわよ」
騒ぐナイアドを横目に見て、アオイは一つため息をつく。
彼女は誰よりも前に立ち、火球と相対した。
いや、確かにアオイは強かったが、今となってはどうか分からない。
いつでも庇えるようにと構えていたが……それは、杞憂だった。
「ねえ、『クラウ・ソラス』」
光がほとばしった。




