第87話 俺にはある
ヘルヘイムの戦い。
第四次人魔大戦の末期に勃発した戦いで、最後の苛烈な戦い。
文字通り、血で血を洗う戦いであり、この戦場で命を落とした者は10万人近いと言われている。
参戦した魔王軍の兵士はほぼ全滅。
生き残りは数十人しかいない、文字通りの全滅である。
一方で、百万の大軍を率いていた人類軍の被害は甚大である。
戦力差は歴然で、一日経たずとも被害はごく少数で突破できると考えられていた戦いだった。
それなのに、魔王軍の十数倍近い被害を出したことは、人類にとって大きな衝撃と恐怖を与えた。
ヘルヘイムの戦いは3日続いた。
そして、最も多くの命が失われ、激戦となったのが最終日の3日目である。
「クソ、どうなっている!?」
ゴルゴールが声を荒げる。
いや、彼だけではない。
人類軍の指揮官は、全員が自分の部下に怒鳴りつけている。
それは、この状況が理解できないからだ。
情報が錯そうするほどの乱戦。
彼らがいる後方は、戦火に巻き込まれていない。
百万もの軍勢がいれば、彼らが盾となって危害が加えられることはない。
問題は、そのように距離が離れているため、現場の状況がうまく把握できないことである。
こういった事態を避けるために、現場指揮官にはこまめな報告を義務付けているのだが、それがまったく機能していなかった。
今、ゴルゴールが怒鳴りつけているのは、そんな前線から全力で駆けてきた報告者である。
「ま、魔王軍が砦を囮に大爆発を誘引させ、乗り込んだ多くの兵が消滅しました。また、その直後に潜んでいた魔王軍の奇襲を受け、軍は大混乱となっております」
思わずフラリとめまいがする。
ここが戦場でなければ、そのまま倒れ込んでいただろう。
堅牢な砦を囮にした?
口で言うのは簡単だ。
だが、本来なら砦に閉じこもっていれば、その方が安全なのである。
アオイはそれを一撃で破壊してみせたが、それは例外中の例外。
その動きを呼んでいて、自分たちが生き延びるために必要不可欠な砦を破壊するなど、誰が想像できるだろうか。
砦に一気呵成に攻め込んだ兵士たちは業火に巻き込まれて命を落とし。
さらには、難を逃れた兵士たちも魔王軍の奇襲を受けていると言う。
一方的に攻撃を受けているのは、圧倒的に有利だったはずの人類軍だった。
「現場の指揮官は何をしている!? それを統率し、冷静に作戦を進めるのが役目だろうが!」
「そ、それが、上級指揮官から続々と狙われて戦死しております」
「ちっ!」
指揮官から狙うというのは、戦場ではよくあることだ。
指揮命令を行う者が倒れれば、敵軍は混乱する。
混乱の中叩くことができれば、大きなダメージを負わせることができる。
だが、もちろんそんなことはどの軍隊も対応している。
指揮官が倒れれば次の指揮官が、階級順に指揮を執るように制度化されている。
だが、それを次々に狙われて殺されていけば、追いついていかないのだ。
そのため、魔王軍の奇襲は絶大な効果を発揮しており、はるかに数では劣るものの、互角以上の戦いをしているのである。
「加えて、大規模な乱戦になっているため、指揮官も明白でない状況で、迅速に命令を伝達することが不可能だと思われます……」
「クソ……! 【赤鬼】め……!」
これもすべてラモンのせいだ。
ゴルゴールは怒りで目の前が真っ赤に染まる。
奴さえ……奴さえいなければ、もっと簡単に、もっと効果的に、魔王軍を圧倒することができていたのだ。
第四次人魔大戦がこれほどまでに伸びているのも、ラモンがいるからこそだ。
世界の支配者になる。
そのためには功績を上げなければならない。
その邪魔をするラモンは、必ずこの戦場で仕留めて殺さなければならない。
「奴はどうしている!?」
「帝国四騎士のラボル様、ギール様。共和国猟兵団副団長のスルト様、王国騎士団団長スーリア様がそれぞれ戦闘を行い……戦死されました」
「使えん!」
ゴルゴールは怒鳴るが、そんなことはない。
彼らは一人一人が歴史に名を残すような英雄である。
事実、これまでの第四次人魔大戦で、彼らは名を上げ、魔王軍からは恐怖の目を向けられていた。
そんな彼らでも、ラモンの相手をするには不足である。
いや、常時ならば互角の戦いを繰り広げていただろう。
だが、目の前にアオイという追い求めていた存在がある今の彼を邪魔するということは、ただただ自殺行為にしかなりえなかった。
「現在、帝国勇者パーティーが【赤鬼】と戦闘状態に入っています」
「ふむ……」
その報告に、少し落ち着きを取り戻す。
帝国の勇者パーティーのことは、ゴルゴールも知っている。
アオイには遠く及ばないものの、彼女がいなければ、帝国の勇者は人類最強と言って差し支えない力を持っていた。
彼女たちならば、ラモンの足止めくらいはできるだろう。
彼女たちでラモンを倒せるとは思っていない。
それに……それだけだと、報復にならないではないか。
「随分とはしゃいでいてくれているようだ。なら、昔の大切な幼なじみと会って、少しでも落ち着いてくれるといい」
ニヤリと笑う。
ラモンの絶望する表情を夢想して、ゴルゴールは気分を良くしながら命令を下した。
「アオイをあの男の元に向かわせろ。そして……確実に殺せ」
◆
「うおおおおっ!!」
アオイに襲い掛かるのは、血だらけの魔王軍兵士だ。
返り血も、そして自分の血も。
まるで血の海に飛び込んで這い上がってきたように、全身が真っ赤だ。
それだけでなく、傷もひどい。
おそらく、この戦いが終わって生き延びても、この戦傷が原因ですぐに命を落とすだろう。
今にも消えそうな命の火。
それをさらに燃やし、自ら寿命を縮めてまでアオイに襲い掛かる。
それは、ひとえに魔族のため。
このまま人類を首都に進攻を許せば、多くの非戦闘員が殺されることだろう。
だから、少しでも抵抗する。
少しでも敵に痛手を与える。
そうすることで、自分の大切な人たちを守れると信じて。
そして、今まで自分を率いて生かしてくれた、ラモンに報いるために。
その兵士は自分の命を捨てて、彼女に襲い掛かった。
「…………」
だが、その決死の攻撃も届かない。
迫った兵士が切り捨てられる。
大量の血を噴き出し、地面に倒れる。
人間よりも頑丈である魔族だが、身体が両断される一歩手前の致命傷だ。
いくら何でも立ち上がることはできない。
誇りと意地の一撃も、アオイには届かなかった。
なぜなら、彼女は人類最強。
【鏖殺の聖勇者】だからだ。
「…………」
無機質に死体となった兵士を見下ろすアオイ。
彼女には、すでにゴルゴールからの命令が届いている。
【赤鬼】ラモンの殺害。
それが、彼女の最優先目標だ。
命令に従いラモンを探しに行こうとして……彼女は足を止めた。
その必要がなくなったからである。
「……すっごい久しぶりだな。昔は毎日顔を合わせていたのに、不思議なもんだ」
彼自身から、こちらに近づいてきたからである。
ゆっくりと、フラフラと歩いている。
彼の姿は、まさしく満身創痍。
先ほど襲い掛かってきた兵士よりも、はるかに血だらけだ。
致命傷が一つある、なんて生易しいものではない。
いくつも、命を落としていて不思議でない傷がある。
ラモンは悪い意味で有名だ。
当然、他の誰よりも狙われていたのだろう。
それらすべてを払いのけた彼もすさまじいの一言だが、今にも死にそうなほど追い詰められてもいた。
だが、彼の表情には苦痛はなく、心からの笑顔。
久しぶりに大切な人に会えた笑顔があった。
「やあ、アオイ。俺に何か話したいことはないか?」
アオイが自分の大切な仲間を殺したことを悲しく思いながらも、それを表に出さないようにして、彼は笑った。
「俺にはある。だから、殺し合いをしながらでもいいから、聞いてくれないか?」
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