第85話 緒戦
「さて、人類軍はどういう形で攻めてくるかな」
ラモンは城壁から外の世界を見る。
狭い峡谷の先には、人類軍がひしめき合っているだろう。
峡谷という自然の要塞があるからこそ、一斉に大軍がこのヘルヘイムまでたどり着くことは不可能だ。
加えて籠城戦。
だから、百人程度しか集まらなかったとしても、一日程度は何とか持たせられると判断していた。
絶え間ない波状攻撃を仕掛けてくるだろう。
連続で攻撃され続けていれば、こちらの兵士が一方的に疲弊し続け、押し込まれる。
「ラモン、準備はできました」
「そうか。おそらく明日には人類軍と接敵する。二日酔いみたいにならない程度に、お酒も出してやってくれ。食事も後のことは考えなくていい」
「……いいんですか?」
「残していても仕方ないさ」
「分かりました」
シルフィが去ってしばらくしてから、歓声が上がった。
やっぱり、お酒というのは人を喜ばせるものらしい。
あまり嗜まないラモンはいまいちよくわからなかったが、士気が上がるのであれば、何ら問題なかった。
「いきなり人類軍の主力が来るかね? だとしたら、初日から燃えられそうだ!」
「残念だが、そうでもないだろうな。もう相手からすれば、ただ踏みつぶすだけの過程でしかない。主力を投入して、万に一つでもそれが欠けたら大変だ。とくに、今は魔族憎しで団結しているが、もうその後の世界のことも考えだしているころだ」
もはや、人類の勝利は確定的だ。
そのことが分かっている人類軍は、すでにその先を見据えている。
すなわち、魔王軍討伐後の、世界の覇権争いである。
当然軍事力はその中でも重要になってくる。
ならば、それをすり減らすようなことは今の段階でしたくないだろう。
ラモンはそう睨んでいた。
「人間は国家がいくつも分かれているし、面倒臭そうだぜ」
「まあ、だから、初日くらい勝たせてもらうとしよう」
◆
人類軍。
百万を超える総戦力での、魔王軍殲滅作戦を実行中。
これだけの数を移動させていれば、随分と縦に長くなってしまう。
その後方に、高級将官たちが集まっていた。
魔王軍と拮抗していた時は真剣に作戦議論を繰り広げていたが、もはや消化試合となり果てた現在では、魔王軍討伐後の世界をめぐって駆け引きが行われる政治的な場所へと変貌していた。
そして、その中でひときわ強い発言力を持っていたのは、人類最大の軍事力を誇っていた帝国……ではなく、宗教国家に過ぎない教皇国であった。
「さて、そろそろ戦勝の報告が聞こえてくるころだな」
ゴルゴールはそう言ってほくそ笑む。
教皇国大魔導の一人である彼は、こうしてそれぞれの国家の重要人物がいる会議場にもいることができる。
政治的な思考もできることから、彼に任されていた。
ジロリと他の国の人間が見据えてくる。
睨むというようなあからさまな態度をとる者はいないが、決して好意的な目を送ってきていないことは分かっている。
なにせ、今回の消化試合。
ほとんど教皇国軍で構成された部隊を攻撃に使用しているからだ。
功績の独り占め。
それを睨んでいる教皇国。
もちろん、他の国もそれは分かっているし、本来ならのちの世界に影響を与えそうなことは決して認めないだろう。
だが、今までの戦争の功績を盾にされれば、教皇国にほとんど物を言うことができないのだ。
「ああ、もちろん我ら教皇国軍のみの力ではありませんよ。私もしっかり理解しておりますとも」
「いやはや、我々のお手伝いすらお断りになるほどの自信には誇らしさすら覚えますな。さすがは、教皇国です」
「はっはっ。なに、たかだか千人程度の籠城する砦など、皆様のお力を借りるまでもありません。首都攻防戦の際には、皆様のお力も必ず必要になります。その時まで、お待ちいただければ」
「……ふんっ」
苦々しい顔を見せる帝国の軍人。
確かに魔王軍の残存兵力が結集しているであろう首都では、激しい戦闘になるだろう。
教皇国単独ではなく、人類連合軍で攻撃を仕掛けなければならない。
だが、確実に勝つことができ、被害も抑えられるであろう戦闘に参加できないことは、面白くない。
「しかし、あの峡谷はどうされた? あそこを崩されれば、非常にマズイでしょう」
相手は数千。
こちらは百万以上。
兵力には莫大な差があり、しかもこちらは人類有数の強者である者たちもそろっている。
万に一つも敗北はありえないのだが、唯一の懸念は、激突する街ヘルヘイムは自然の要塞だということだ。
その砦にたどり着くには、険しい山を踏破するか、狭い峡谷の間を抜けるしかない。
山の方は、少数の精鋭だけならまだしも、大軍が物資を持ちながら移動するのは不可能なほどには険しい。
しかし、峡谷を通るとなると、ほぼ間違いなく罠がある。
具体的には、峡谷を崩せば、簡単に分断することができる。
残っている方を一網打尽にすれば、ダメージは大きい。
もちろん、一度限りの作戦であり、百万もいる人類軍にとって痛手にはなりえない。
しかし、無駄な損耗は控えたいのが現状だ。
その懸念に対しても、ゴルゴールは自信ありげに笑みを浮かべる。
「峡谷の上に魔王軍が潜んでいないことは確認済みです。ただ、戦闘の最中にそこを崩しにかかってくることも考えられる。そのため……」
チラリと自身の背後に立つ女を見る。
「聖勇者の魔法により、強固に固定化させました。戦術級魔法を受けても、ビクともしないでしょう」
「羨ましい限りですな。聖勇者殿の使い勝手の良さは」
【鏖殺の聖勇者】アオイ。
その力は絶大であり、押されていた第四次人魔大戦をひっくり返せたのも、彼女の力が非常に大きい。
だから、軍事力では帝国に後れを取る教皇国が、ここで大きな顔をすることができるのだ。
帝国の将軍は忌々しそうに彼女を睨むが、まるで人形のようなアオイは一切反応しない。
「ほ、報告します!」
飛び込んできた兵士に、視線が集まる。
ここまで動揺していることに多少疑問を抱くものの、敗北はありえないので、ゴルゴールは余裕をもって尋ねる。
「うむ、魔王軍の殲滅に成功したか。して、被害はどれくらいだ?」
頭にあるのは、被害の大きさである。
できる限り少ない方がいいが、ある程度あったとしても、それだけ激しく人類のために戦ったと喧伝することができる。
さて、どれほどのものか。
兵士は言いづらそうに言葉を詰まらせ、しかし口を開いた。
「せ、殲滅には失敗です。魔王軍は、いまだに健在です」
「……なに?」
今、何と言った?
質の悪い冗談か?
いや、はるかに地位が上の自分に対し、そのような冗談を一般兵ができるはずもない。
さらに衝撃的な事実が告げられる。
「一方、こちらの先遣部隊一万の軍勢は、壊滅しました」
「馬鹿な!?」
投入していたのは、教皇国軍の一万の兵士。
それらが、壊滅しただと?
多少の被害はいい。
だが、万の被害は大打撃だ。
ゴルゴールは強くテーブルをたたく。
ああ、そうだ。
圧倒的不利な状況で、このようなことができるのは一人しかいない。
「おのれ、【赤鬼】か……!」
「…………」
呪詛を吐くゴルゴールを、後ろに立つアオイはただ無表情で眺めていた。
 




