第8話 …………は?
「げぇっ!?」
顔面を打ち抜かれ、パインの身体は容易く宙に浮く。
大の男が水を受けて身体が吹き飛ぶなんて、なかなか想像することはできないだろう。
盾にしていた子供からも手を離し、地面をのたうち回る。
「お姉ちゃん!」
「ほら、もう行きなさい。今度は親の傍を離れないように」
「うん!」
解放された子供は、街へと駆ける。
そうして、残されたのはシルフィと倒れ伏す領主の私兵たちだけだった。
ウンディーネは、搾取されるだけの存在だと思っていた。
その見目麗しい姿と【ウンディーネの涙】。
それらを求められ、抗うこともできずに奪われるだけの存在だと。
パインはそう思っていた。
だが、それは大きな間違いだった。
「あ、あれだけ距離が近かったのに、私だけを……!? それに、ただの水なのに、これほどの威力が!?」
「水は高速で飛ばせば、非常に強烈な攻撃になります。岩を切断することだって可能なんですから」
鼻や口から血を流しながら狼狽するパイン。
今の状況を見れば、圧倒的に弱者は自分の方。
少し前までは、優位に立っていたのは自分だったはずだ。
あとは、ウンディーネを領主の元へ連れていくだけでいい、簡単な仕事だったはず。
見つけるまでが難しい案件だと思っていたのに。
しかし、それは幻想だったと言わざるを得ない。
「さて、では止めといきましょうか」
「ひっ、ひいいいっ!?」
後ずさりするパイン。
まるで、こちらが悪者みたいではないか。
思わずため息をついてしまう。
何だったら、まだ最初に宙に打ち上げた人間たちも殺していないのだ。
人魔大戦のときなら、ありえないことだ。
戦争だから当たり前だが、殺せるときに殺していた。
自分も随分と優しくなったものだと思い……。
「……の前に、さっさと出てきたらどうですか? 大切なリーダーが殺されてしまいますよ」
ヘタな隠形だ。
隠れるつもりがあったのかと疑いたくなるくらい。
シルフィは水の弾丸を、パインではなく木々に向かって撃ち放った。
「ぬわあっ!?」
その直後、破壊された木々の影から人が飛び出してくる。
やはり、隠れていた。
隙を伺っていたのか?
どちらにせよ、シルフィには通用しない。
その人間は、ゴロゴロと地面を転がる。
特徴的なのは、その【赤い髪】だ。
……赤い髪?
「今、すんごく情けない悲鳴でしたわね」
「ふっ、わざとだ」
「意味ありますの?」
「…………」
小さな影……妖精と親し気に会話をする人間。
妖精狩りなんてことをしていた人間と妖精が仲良く会話をしていること自体目を見張るべきことなのだが、シルフィはただただその人間を凝視していた。
感情が一切抜け落ちた表情で、じっと。
ありえない。
どうして、という疑問が浮かぶ前に、真っ先に否定した。
そうだ、ありえないのだ。
赤い髪と言えば、すでに当時のことを知る者がほとんどいない人間はともかく、まだ生存者の多い魔族は一人の人間を思い浮かべることだろう。
【赤鬼】。
魔族からは畏敬の念を、人類からは恐怖を込めて呼ばれるその二つ名。
そんな仰々しい二つ名があるにもかかわらず、その男はシルフィに凝視されていることに気づくと、何とも気まずそうに汗を流しながら、手を挙げた。
「あ、ひ、久しぶり……」
「…………は?」
◆
妖精――――ナイアドと共に旅をすることにした俺。
とくに行きたい場所が明確に定まっているわけでもないため、彼女に聞いてみる。
「とりあえず、遠くに行ってみたいですわ! わたくし、ずっとここに隠れていましたから」
ナイアドは俺の周りを元気に飛び回りながら言う。
あー……確かに、ずっと同じ場所にいたら、違う景色も見たくなるか。
隠れて生きていたのであれば、なおさらそういうことにあこがれるのだろう。
「そっか。じゃあ、そうするか」
「いいんですの? わたくしの言ったことなんかに付き合って……」
「とくに目的もないからなぁ」
自分で言っておいて、まさか受け入れられるとも思っていなかったのか、目を丸くするナイアド。
確かに、俺にやりたいことがあるのであれば話は別だが……。
ナイアドの言葉を信じるのであれば、俺が死んだ時から千年経っているということになる。
今、世界がどういうことになっているのかという興味はあるが……。
死者が今を生きている世界に干渉するなんて、あまり褒められたことではないだろう。
そもそも、死んだはずの俺がこうして歩いていること自体おかしなことなのだ。
いきなり再び死体に戻る、なんてこともあるかもしれない。
そもそも、寿命とかはどうなるのだろうか?
……考え出したらキリがない。
生きている知己に会うということ、それに、俺がよみがえった理由を探すというのも悪くないな。
「まあ、のんびり行こう。遠くに行っている間に、懐かしい人に会えたりするかもしれないし」
人間の知り合いはすでに死んでいる者がほとんどだろうが、魔族は長生きが多いし。
……まあ、その知り合いが俺のことを恨んでいないかどうかっていうのが怖いところだけど。
聞く限り、あの戦いの後、魔族も負けたみたいだし。
……いや、負けることは分かっていたのだけれども。
ただ、もう少しうまく戦って、譲歩を引き出すことができていれば……と思うこともある。
今更後悔をしても仕方ないのだが。
「そういえば、先ほどもそう言っていましたわね。お友達が多いんですの?」
「うーん、多くはなかったなあ。敵の方が全然多かった」
人類からは当然のごとく嫌われていたし。
味方であるはずの魔族も、『どうして人間と一緒に戦うのか』という気持ちから、大半からは嫌われていた自覚がある。
前線で一緒に戦っていれば、やはり同じ釜の飯を食うということもあって、多少認められていたとは思うが。
しかし、上層部からはめちゃくちゃ嫌われていた自覚がある。
魔族の中枢にいた人物で俺とまともに会話をしてくれたのは、姫さんくらいではないだろうか?
……あの人も、暇つぶしのために俺をからかうというのがほとんどだった気がするが。
「だけど、その代わり数少ない友人とは仲良くさせてもらっていた……と、俺は思っているけど」
「はえー」
何とも気の抜けた声に、思わず笑ってしまいそうになるからやめて。
「どんな方がいらっしゃいましたの?」
「うーん……」
そう尋ねられ、俺は腕を組んで考え込む。
なかなか難しいな、説明が。
特徴がないわけではない。
むしろ、特徴しかない連中だった。
ただ、あまりにも普通とはかけ離れているので、口でうまく説明できる自信がない。
うーん……何かに例えられたらいいんだけど……。
キョロキョロと周りを見る。
そうすると、たまたま目に入ったのは、湖の上に浮かび上がる水でできた身体を持つ女性。
あ、ちょうどいいところに。
「お、ちょうどあんな感じの」
「え?」
「え?」
あれ?
ついいい所にいたものだから指さしたが、冷静によく見ると……。
あれ、シルフィじゃない?
俺が死んだ最後の戦いにも参戦してくれた、既知の友人……と俺は思っている。
ちょくちょく言葉で刺してくるから、あっちはどう思っているか分からないけど。
そっか。確か、彼女はウンディーネだったな。
寿命も長いのか。
そんなことを思って久しぶりの友人に気分を良くし、思わず声をかけようとすると、彼女が多くの人間に囲まれていることに気づく。
……あまり友好的な関係には見えない。
ここは、手助けしなければ。
そう思って、茂みから身体を出そうとして……人間たちがぶっ飛んだ。
……あ、そういえば、シルフィってめちゃくちゃ強かったな。
ウンディーネの中でも、変異種とか呼ばれちゃうくらい。
「ちょっと! あの人、めちゃくちゃ強いですわよ!?」
「な、やばいな。さすが俺の中でゴリラウォーターウーマンと呼ばれていただけはある」
「多分ですけれど、それ言ったら殺されますわよ」
冷静なナイアドのツッコミ。
知っている。だから、絶対にシルフィには言ったことがなかったから。
しかし、相変わらず強い。
強すぎて……ちょっと怖い。
結局、茂みに隠れたままになっている。
いや、別に隠れなければいけない理由はない……はずなんだけど……。
死地に連れて行ってしまったというくらいの負い目かな?
でも、何だろう。
今ひょこひょこと出て行ったら、マズイ気が……。
「さっさと出てきたらどうですか?」
ウダウダと悩んでいると、シルフィの冷たい声と共に、水の砲撃が飛んでくる。
死ぬ!?
シルフィの撃つ水は、ただの液体ではなく、相手の命を容易く奪うことのできる威力を秘めているのである。
とっさに飛び出し、ゴロゴロと地面を転がる。
ああ、まだ頭の中の整理ができていないのに……。
視線を感じる。
シルフィが、俺のことを凝視していた。
ど、瞳孔開いている……。
そんな彼女に、俺はなんと言っていいかわからなかった。
しゃ、謝罪をするべきだろうか?
いや、しかし会っていきなり謝罪なんて意味が分からないだろうし……。
ここは、人間らしく、だ。
礼儀正しく、挨拶をしようではないか。
手を上げて、シルフィに笑みを向ける。
この際、頬が引きつっているのは無視だ。
「あ、ひ、久しぶり……」
「…………は?」
ひぃ……。