第77話 魂
オフェリアは空中に投影された大きな画面を見ていた。
そこには、第四次人魔大戦のリアルタイムの映像が映し出されている。
ここには、彼女だけではなく、多くの天使が集まっていた。
その目的は、ラモン・マークナイト。
人類最悪の裏切り者にして、天使と正面から激突し、多くの天使を殺害した人間だ。
彼が率いるごく少数の魔王軍が、大規模な人類軍と激突している。
のちに言う、ヘルヘイムの戦いである。
人類圧倒的優位の立場で勃発したこの戦い。
一日も待たずして人類が勝利すると、多くの天使たちが見込んでいた。
しかし、戦いは数日と続き、人類も甚大な被害を受けていた。
魔王軍はほぼ全滅ではあるが、その数十倍、数百倍の死傷者を人類軍は発生させられていた。
だが、その戦いももう終わる。
魔王軍最強の戦術指揮官、【赤鬼】ラモン。
人類軍最強の戦士、【鏖殺の聖勇者】アオイ。
その両者が直接激突し……倒れた。
「あー……死んじゃった……」
その光景を見ていたオフェリアは、そう呟いた。
周りで聞いている者は誰もいなかったが、仮に聞いていた者がいたとしても、そこにどのような感情が込められていたかは、誰もわからなかっただろう。
それを知るのは、オフェリアだけだ。
「よし! あの悪魔が死んだぞ!」
「天使に逆らった愚かな人間が、ようやく! 聖勇者との相討ちというのはもったいないが……」
「なに、【赤鬼】が死んだ今、魔王軍は烏合の衆に過ぎない。すぐに人間どもが勝利を収めるさ」
「なら、さっさと進軍させないとな。神託の準備を」
一方で、天使たちの多くは喝采を上げていた。
それもそうだろう。
怨敵と言っても過言ではない男が死んだのだ。
そもそも、天使の多くからそのように思われる存在はラモンが初めてである。
自分たちの共通の敵が死んで、彼らは大喜びだ。
「生きていてほしかったですねぇ……」
「おい、オフェリア。聞かれないようにしろよ。今の天使の反応を見たらわかるだろうが、【赤鬼】が死んでよかった、って思っている連中しかいないんだからな」
比較的仲の良い天使が忠告してくる。
だが、それは余計なお世話だ。
オフェリアは鼻で笑う。
「……気を遣って自分を殺すくらいなら、好きにするのが天使ですよ」
「本当、天使らしい天使だよ、お前」
苦笑いする天使。
他の天使たちの議論が続く。
「とにかく、あの場所に人間を向かわせて、死体を回収しないとな。魔王軍に回収されたら、聖遺物にされかねない」
「魔族でもあいつは嫌われていたらしいから、問題ないだろう?」
「慕う連中は少ないが、その分その忠誠心は高い。いずれにせよ、奴らの利益になることは避けるべきだろう」
大きな影響力を持っていた者は、死後もその影響力を衰えさせない者がいる。
ラモンはまさしくその一人だと、天使たちは見込んでいた。
あまりにも戦果が大きすぎる。
崇め奉られ、神格化されかねないほどに。
それはマズイ。
感情的にも、自分たちに歯向かった人間が敬意をこめて奉られるのは、我慢できない。
「……怒るなよ?」
「別に怒らないですよー。結局、ラモンは負けたわけです。負けた奴が悪い。世の中勝者が決めるものなんですから、敗者はどうなろうと文句は言えないですよ」
恐る恐る天使がオフェリアを見る。
しかし、彼女はラモンのためを思って怒る、なんて殊勝で可愛らしいことをするつもりは毛頭なかった。
なぜなら、彼は負けたのだ。
敗者に口なし。
何を言われても、何をされても、文句を言うことはできないのだ。
「……まあ、本当に負けたのか、怪しいところですが」
勝敗は誰が決めるものだろうか?
周りが判断することも多い。
現に、今オフェリアはラモンが負けたと判断した。
他の天使たちもそうだ。
彼が死んだことにより、もはや魔王軍は体を為さなくなり、近いうちの人類に完全敗北することだろう。
これを敗北と言わずしてなんと言う?
だが、ラモンが命を落とした時。
彼は、心底満足そうに、安堵したように笑顔を浮かべて死んでいた。
つまり、彼の目的は果たされたのだ。
彼にとって、それは勝利ではないのか?
抗って、人類を裏切って、天使にたてついて、ラモンは勝利したのではないか?
そう思ってしまった。
「じゃあ、あいつの死体をズタズタに引き裂いてやろうぜ。あいつを慕っているバカな奴を、絶望させて……ぶっ!?」
オフェリアに視線が集中する。
ニマニマと笑っていた天使が吹っ飛ばされた。
その原因は、誰の目から見ても明らかだったからだ。
「……オフェリア? 何のつもりだ?」
恐る恐る問いかけられると、オフェリアはニッコリと笑った。
「うーん、それは止めた方がいいですよ。僕たちの気は済むかもしれないですが、むしろラモン信奉者たちを怒らせるだけです。今、僕たちもラモンとの戦いで疲弊しているですよね? さらに敵を増やすことなんて愚策中の愚策ですよ。能無ししか考えないことです。さっさと死ね」
「漏れているぞ、本音が!」
あくまで天使全体のことを考えていますよー。
前半はそう伝えていたが、後半からイライラが我慢できずに露呈してしまっていた。
「……とはいえ、オフェリアの言うことも一理あるな。すでに奴は死んだ。魂の抜けた肉体を傷つけたところで、こちらにメリットはない」
「じゃあ、こっちはやられっぱなしか? 【赤鬼】と天使の戦争は、人類には知られていないが、魔族の一部では知られている。それが露見すれば、我らに対する求心力が低下する恐れもあるぞ」
オフェリアの言うことに納得する天使たち。
一方で、ラモンに煮え湯を味わわせなければ我慢できない天使たち。
その両者が存在していた。
「……戦後処理の時だ。その時に、【赤鬼】の存在を抹消させる」
「どういうことだ?」
「記録に一切残さないようにするんだ。その男が存在しなかったようにな」
「だが、【赤鬼】のことを知る今の人間はどうだ? 確かに、記録に残らなければ世代交代をするにつれて消えていくだろうが……」
「今でも、我らと奴の間の争いを知る人間はおらん。仮にいたとしても、人間はすぐ死ぬ。記憶はいずれ消えていく。魔族も人類より長命とはいえ、いずれ死ぬ。加えて、魔族は敗戦した。そんな連中が我らを貶めるような発言をしても、真実とは人間は思うまい」
最も避けなければいけないことは、天使とラモンが激突し、天使が敗北したという事実だ。
それは、記録にも記憶にも残すわけにはいかない。
記録にさえ残さなければ、いずれ記憶はすたれていく。
敗戦した魔族の言うことを、人間はまともに受け取るはずもない。
ラモンの抹殺は、そうして完成する。
「ともかく、将来にわたって調べれば知られるような存在であってはならない。完全に歴史から抹消する。人類に命令して、魔族側にも徹底させろ」
「魔族の上層部は奴を嫌っていると聞く。案外すんなりいくだろう」
仮に魔族たちがラモンの存在抹消について激しく抵抗してくれば、難儀していたかもしれない。
しかし、ラモンは魔族上層部から嫌われており、むしろ嬉々として人類の要求に応じるだろう。
だが、それだけでは我慢できない者もいた。
先ほどオフェリアに吹っ飛ばされた天使だ。
「それだけか!? 俺たちは奴に下に見られた……ただの人間に! もっと厳しく苛烈な報復をしなければ……!」
「もう死んだ相手だぞ? 報復なんてできるはずがないだろう」
「存在を抹消されるというのが、最も厳しい報復じゃないか? 俺は嫌だぞ、そんなの」
「俺も」
生きた証を残せない。
それは、とても恐ろしいことだ。
誰にも覚えてもらうことができずに死ぬことは、本当の意味での死だ。
これほど恐ろしい報復方法はないだろう。
しかし、男の天使はまだだと首を横に振る。
「それだけじゃねえ。まだ徹底的に痛めつける方法があるだろうが」
ニヤリと凄惨に笑った。
「魂を捕まえるんだよ」
「それは……禁忌だぞ。いくら天使でも」
「魂の輪廻を止めることは、重罪だぞ」
ためらう様子を見せる多くの天使たち。
魂は循環する。
死ねば、また新たな肉体を手に入れて生きる。
その流れは誰も阻害することは許されない。
好き勝手する天使たちですら、それは触れてはいけない禁忌だ。
それが許されるのは、文字通りすべてを創造した創造主だけである。
ためらう仲間たちに、男は苛立たし気に怒鳴る。
「俺たちは天使だろうが! そんな禁忌なんてあるわけねえだろ……ぶひゃっ!?」
「お、オフェリア……」
また男が吹き飛ぶ。
下手人はオフェリア。
二度も邪魔され、攻撃された男は、ついに怒りを露わにしてオフェリアを睨みつける。
「テメエ……さっきから何度も俺の邪魔をしやがって……! ぶち殺されてえのか、ああ!?」
「ぶち殺されたいのはお前ですよね? あれは……ラモンはお前なんかが触れていいものじゃねえですよ」
オフェリアの翼が広がる。
身体から光があふれる。
それは、まさに戦闘準備に入った証だった。
「ラモンの魂は僕が貰うです。だから、汚ぇ手で触んじゃねえよ、クズが」
これも禁忌であるが、平然と言ってのけるオフェリア。
その内容よりも、天使同士の争いに場は騒然とする。
超常の存在。
そのため、多くが寿命で死ぬ。
だが、同等の存在同士がぶつかり合えば、物理的に命を落とすことも当然ある。
だから、天使同士がぶつかりそうになれば、両者ともに引くのが暗黙の了解であった。
それが、今破られそうになっていた。
「ぬわああああ! 天使同士の喧嘩はご法度だぞおお!」
「止めろオフェリアあああ!!」
激しい天使同士の激突。
他の天使たちもそれを止めようと、大騒ぎになる。
その騒ぎのせいで、その間にラモンの死体も魂も消えていたのは、誰も気づかなかったのであった。
 




