第73話 信頼
「なんで言わせなかったのじゃ?」
「あなたたちに殺されたくないんですもの」
「あの人に何をさせておるんじゃ、お前」
ナイアドと姫さんの会話が聞こえてくる。
しかし、俺は次に進まなければならない。
決してあそこに迷い込んだらやばいことになると思っているからではない。
本当だ。
「では、次は私でしょうか」
シルフィが一歩前に出てくる。
無表情でじっと俺を見てくる。
相変わらず凄い美人だなと場違いなことを考えてしまう。
「ああ。でも、シルフィとのことも、二人きりの秘密というのはあまりないかもしれないな。昔のことは、姫さんがいるから」
「そうですね。とくに秘密にしなければならないこともありませんでしたし……」
恥ずかしいことを二人きりでしていることもない。
大っぴらに話すようなこともしないが、意図して隠すようなこともしていない。
二人だけ……本物にしか分からないことは……。
「あ」
「ん? 何かあったか?」
何か思いついたようなシルフィ。
あちらから話してくれるのは助かる。
俺は彼女が口を開くのを待った。
「では、私がラモンに夜這いした時の話を……」
「彼女は本物だ」
うん、本物だ。
シルフィは間違うことなく本物である。
よし、じゃあ次にいこうか。
話は終わりですね。
そう思った俺の肩に、姫さんの手が食い込む。
いたぁい!
「ちょっと待て。妾、めちゃくちゃ気になるのじゃが?」
「彼女は本物だ」
「壊れたように同じことしか言わなくなってしまいましたわ……」
ナイアドの呆れた目が痛い。
◆
第四次人魔大戦。
人類と魔族の大戦争は、現在人類が盛り返し、魔族を押し返し始めていた。
そんな中で勃発したロスクの戦い。
魔族が勝利を収めたこの局地戦闘では、人類を裏切って魔王軍に入ったラモンの活躍が大きかった。
彼の指揮下で戦ったシルフィは、その戦いの直後、夜にこっそりと動いていた。
向かう先は、ラモンの私室である。
いくつもの戦いで見事な戦果を挙げ、その実力を強制的に認めさせたことにより、彼は個室を与えられるほど地位を上げていた。
シルフィはその中にするりと音もなく入り込み……。
「どうかしたか?」
目を開けているラモンに出迎えられた。
ベッドの上で上半身を起こしていることから、書類仕事をしていたというわけではないのだろう。
逆に言えば、自分が近づいてきているのを、部屋の中から察知していたということだ。
それはそれで恐ろしい。
「……この時間、眠っているのが普通では?」
「あんまりぐっすり寝られないんだよ。俺、嫌われているからさ」
「確かに、そうですね」
あっさりと認めるシルフィ。
気を遣う必要もないくらい、ラモンは嫌われている。
最近は明確な戦果を挙げる彼を慕い、ラモン派などという派閥を作る魔族も現れ始めているが、それでもごく少数である。
大部分は、敵対して殺し合いをしている人間だとして、嫌っている。
彼の反応を見る限り、物理的に排除されそうになったことも何度もあるのだろう。
「で、君も俺を殺しに来たのか?」
「だとしたら、気づかれた瞬間に攻撃していますよ」
「……それもそうだな。そもそも、シルフィの性格的に、暗殺なんてできるはずもないな」
「ええ、その通りです。見くびらないでください」
あっさりと認めてくれたラモンに、シルフィはご満悦。
昔はともかく、今ラモンを殺そうとするはずがない。
むしろ、そうしようとする魔族が目の前にいれば、自分が殺してやろう。
「暗殺でないとしたら……どういう用件だ? 君に助けられたことは何度もあるし、これからも君の力は必要だ。だから、できる限り協力させてもらいたいと思っているが」
「何かをしてもらおうと思っていません。……いえ、要望があるというのはそうなんですが」
「うん?」
不思議そうに首を傾げるラモン。
何かをしてもらうという表現は合っていない。
うまく表現しようとするが、なかなか難しい。
簡潔に目的を話した方がいいと判断し、シルフィは口を開いた。
「ラモン。あなた、目の隈がひどいですよ。今も、私が入る前に起きていました。最後に寝たのはいつですか?」
「……毎日寝てはいるよ」
「何時間?」
「……30分くらい」
「……それは寝ているといいません。気絶です」
魔族であるならば、一日30分の睡眠でどうとでもなる者はいるかもしれない。
しかし、それは種族ならではの特性あってだ。
一方で、人間は一日に何時間も寝なければ、心身ともに異常をきたす。
この生活をいつから続けているのか分からないが、ラモンの目の下にある濃い隈を見れば、ある程度は推察できる。
地獄のような戦場に立ち続けてこの生活サイクルを送っていたとすると、異常性すら感じられる。
「いろいろと悩みがあるからなあ。繊細なんだ、俺って」
「私が来たのは、それが理由です」
「……?」
軽口もあっさりと流され、ラモンは疑問符を浮かべる。
そんな彼に、シルフィははっきりと言った。
「あなたが眠っている間、私があなたを守ります。だから、安心して寝なさい」
「…………」
「なんですか」
キョトンと目を丸くするラモンに、シルフィは問いかける。
受け入れるのか拒絶するのか。
どちらかの反応を見せてくれなければ、対応のしようがない。
ちなみに、拒絶されたら強制的に眠らせるつもりである。
「いや、シルフィにそんなことを言ってもらえるなんて、思ってもいなかった。俺のこと、嫌いじゃなかった?」
「……あなたは結果を出している。だから、私はあなたを認めています。それに、寝不足で訳の分からない指揮をとられたら、指揮下の私が危険になります。これは、あなたのためではなく、私のためなんです」
純粋に心配であるとは、もちろん言えなかった。
可愛くないことを言ってしまって、後々自己嫌悪するのは余談である。
「……そっか。シルフィがいてくれたら安心だな。でも、そうすると君が寝られなくなる。だから……」
せっかく恥を忍んでまで提案したというのに、ラモンは何やら屁理屈をこねて拒否しようとするではないか。
これは許せない。
しかし、強制的に眠らせるほどのことではないだろう。
では、どうするか?
「……うるさいですね」
「んん!?」
シルフィは即座にラモンの背後に回り込み、抱きしめた。
通常時なら、ラモンも対応していたことだろう。
しかし、激しい戦闘の後であること。
ろくに眠れていないこと。
シルフィが来て気を抜いていたこと。
それらの理由が重なり合って、彼女に背後を取られてしまった。
もちろん、暗殺をしに来たわけではないので、急所である背後に回っても攻撃することはない。
シルフィの身体は柔らかい。
水で構成されているから、プニプニだ。
豊満な胸を背中に押し付け、柔らかな椅子となる。
ふわりと優しく後ろから抱きしめ、体重を自分にかけさせる。
男は重い。
しかし、その窮屈さは、シルフィは嫌いではなかった。
「私の身体は水です。冷たくて柔らかく、眠り心地はいいでしょう。……さっさと寝なさい」
ひんやりとしつつ、弾けるように柔らかい身体。
それに優しく包み込まれては、心身ともに疲弊しきっているラモンには抗いがたい。
自分を思いやり、気遣って、守ろうとしてくれているシルフィだからこそというのもあるが。
「……ちょっとだけ」
「はい」
そう言って、ラモンはすぐに寝入った。
そのあまりの速さに目を丸くしつつも、シルフィは誰も見たことがないほど柔らかく微笑んだ。
「……私のこと、信頼してくれているんですね」
これが、夜這いの真実だった。




