第70話 オフェリア
「天使に勝っちゃったんですの……? あなたは本当に人間?」
「人間」
ナイアドがありえないものを見る目で見てくる。
人をなんだと思っているのか。
そもそも、ナイアドは天使を碌に知らないだろ。
彼女は俺がとんでもない力を発揮して天使を倒したと思っているようだが、そんなことはない。
ダーインスレイヴがいなかったらやられていただろうしなあ。
俺の力だけではない……というか、だいたいダーインスレイヴのおかげだ。
「くふふっ、愉快じゃった。かなり立場を危うくしてまでお前様を魔王軍に引き入れてよかったと、心から思うぞ。あんな痛快なこと、妾は今までで一度も経験したことはない!」
「ラモンが凄いのは、あの後報復に来た天使をすべて返り討ちしたことです。見事でした」
姫さんは楽しそうに笑い、シルフィは無表情でコクコク頷きながら賞賛してくれる。
そうだ。
あの後、メルファを倒したら、他の天使も大勢襲い掛かってきたんだよな。
俺としてはアオイを連れ去った元凶であるメルファにしか恨みはなかったから、別に積極的に戦うつもりはなかった。
まあ、襲われたら当然殺されるわけにはいかないし、戦ったわけだけども。
結果として、シルフィの言うようなことになったというだけだ。
それも、だいたいダーインスレイヴのせい。
「まあ、そのせいでもはや天使からも不倶戴天の仇と見られるようになって、それに操られる人類軍からとてつもなく目の敵にされておったがのう」
「作戦とか決まっていただろうに、それを無視して俺に襲い掛かってきたからな」
姫さんの言葉に、嫌なことを思い出す。
おそらく、天使たちから神託という形で、俺を殺すように言い伝えられたのだろう。
人類の裏切り者というだけでなく、それ以上の熱意で命を狙われた。
まあ、そのおかげで、相手の戦術がむちゃくちゃになって魔王軍が押し込みやすくなったのだが。
大局を見失って、目の前にいる俺を殺すことに躍起になっていたものだから、魔王軍の作戦を遂行するのには楽だった。
代わりに、俺の命の危険はえげつないことになっていた。
「それからさらに報復はなかったんですの?」
「結構倒したからなあ」
「ラモンを恐れたのでしょう。自分たちに歯向かい、傷つけるという人間がいること自体、とてつもなく大きな衝撃だったに違いありません」
シルフィはコクコクと頷いている。
確かに、天使は逆らわれることすらなかった。
人類……とくに、教皇国は無条件で信仰をしていたのだから。
「加えて、大量に天使を返り討ちにして殺すくらいじゃからな。そりゃ、天使からすれば恐ろしくてたまらなかったじゃろうな。その恐怖から、直接的にラモンに報復しようという者はいなかったのじゃろう」
姫さんもコクコクと頷いている。
俺も襲われなかったら別に天使を殺して回ることはしなかったんだけど。
しつこく襲撃されたから、嫌々争っただけで。
後、ダーインスレイヴが意外と張り切ってくれたので、割とやりすぎた感じになってしまった。
「ですです。というか、押し付け合いになっていたんですよねー。天使に逆らったことはむかつくからやり返したいんですけど、行けば殺されるかもしれない。誰か行けよって感じで」
そして、俺の旅に同行していなかった白い翼をもつ女が、コクコクと頷いている。
へー。
天使側では、そんなことがあったのか。
それは知らなかった。
…………ん?
「へー。……誰ですの、この人?」
当たり前のように会話に入っている女に、ナイアドがいぶかし気に睨みつける。
あまりにも自然に輪の中に入ってきていたから、誰も違和感を覚えなかった。
俺も呆れたようにため息をつき、こっそりとすぐに立ち上がれるように力を入れる。
「……神出鬼没だなあ、あんた」
「てへっ。会いたくてたまらなくなって、来ちゃった♡」
あざとく片目を瞑って舌を出す女。
可愛いのだが、その種族ゆえに、俺が好意的になることはなかった。
「ほ、本当に誰ですの?」
「さっき話していた天使」
「えぇ……」
ナイアドに教えてやれば、彼女はどうしてこうなったと天を仰ぐ。
俺もそうしたい。
◆
オフェリア。
紫色の前髪を横にバツンと切りそろえ、後ろ髪はお尻に届くほど長い姫カット。
真っ白な翼に、同じく白い衣装を身に着けている。
シルフィや姫さんといった身体つきが発達した女性が近くに多いが、彼女はそれ以上に凹凸がはっきりとしている。
無駄肉とは姫さんの言である。
まさに、絶世の美女。
コロコロと変わる表情は、愛らしさすら覚える。
だが、天使だ。
それだけで、俺の心は恐ろしいまでに落ち着く。
しかも、彼女とは既知なので、性格もそこそこ知っている。
面倒くさい女なのだ、これは。
「むむっ! 何やら僕に対してひどいことを考えていた様子……」
「考えていないよ」
「天使テレパシーを舐めてはいけません」
指で角を模し、ツンツンと突いてくるオフェリア。
なにその愉快な力。
それなりの天使を殺してきた俺だが、初耳なんだけど。
というか、割と鬱陶しい。
そう言えば、昔からこんな感じだったなあ。
異色すぎる天使だから、よく覚えている。
「しかし、久しぶりです、ラモン! どうして僕に会いに来てくれなかったんですかぁ」
「どこにいるか分からないし、そんな仲良くないし」
「ガーン」
言葉でショックを表現する奴を初めて見た。
こいつ、大してショックを受けていないだろ。
「僕はラモンが生き返ったと聞いて、すぐに会いに来たのに! 僕の片思いなんですね……」
よよよ、と泣き崩れるオフェリア。
容姿の整った彼女がそうすると、本当に悪いことをしているみたいになる。
実際、天使を信仰する人間がこれを見れば、俺は殺されてしまうかもしれない。
こいつはわざと人前でそういうことをしかねないから、危険な女だ。
「お前は俺をおもちゃみたいに思っているだけじゃん」
「大切にしますよ?」
「嬉しくない」
大切に弄んでポイ捨て。
そんなに親しいわけでもないからあまりはっきりとは言えないが、おそらくオフェリアはそういうタイプだ。
彼女の美貌と親しみやすい性格に騙された奴は、ろくでもない未来が待っているに違いない。
まあ、オフェリアは直接関与していなかったにせよ、アオイと俺の人生を狂わせた天使に好意的になることはない。
「で、何か用か?」
さっさと用件を話してくれたら、それを聞いて終わりにできるのだが。
もちろん、受け入れるとは限らないが。
アイリスとの違いはそこにある。
「だから、ラモンに会いに来たんですよ。僕、ずっと会いたいと思っていたんですから。死んじゃったから二度と会うことができないと思っていたのに、ラッキーです!」
「…………」
「あぁっ! シルフィ判定でアウトが出ましたわ!」
ナイアドが騒いでいる。
シルフィの顔を見るのが怖い。
俺が死んだという言葉がアウト判定の模様。
オフェリア、自分自身で命を勝ち取れ。
「ちょっと遊んでもらいにきただけですよ。僕、あの時以来ラモンと遊ぶのですから、ウキウキです」
遊びと聞いて、俺は眉を顰める。
言葉通りに受け止めてはいけない。
そんな生ぬるいことを、この女が俺に求めてくるはずがないからだ。
「あれを遊びって言えるところが、お前らの異常さを物語っているな」
「まあ、僕くらいですけどね、あれを喜んでいたの。今も他の連中はラモンが大嫌いなままです」
オフェリアの言葉に、それはそうだろうと頷く。
彼女が遊んだと言っている出来事は、まさしくメルファの仇討で天使が大量に襲い掛かってきたことだ。
オフェリアからすれば、仲間を大量虐殺されたことを、遊びと言えるのが怖い。
だから嫌なんだよ、天使って。
「で、遊びって?」
どうせろくでもないだろうなと思い、げんなりとしながらオフェリアに尋ねる。
彼女は嬉しそうに笑って、口を開いた。
「偽者は誰でしょうゲームです!」