第68話 赤鬼の原点
「はぁ、はぁ……」
ラモンは一人歩いていた。
あのまま援軍が来る場所に残っていれば、彼は英雄として手厚い看護を受けることができただろう。
それをしなかったのは、天使にすべての事情を聴いたから。
そして、そんな天使を敬いありがたがる教皇国に対して、強い不信感を抱いたからである。
もともと、ラモンは人類のために、なんて崇高な考えを持って戦っていたわけではない。
ただ、幼なじみと再会するためだ。
そして、その再会は果たされ……神託を行った天使とそれに唯々諾々と従ってアオイを踏みにじった教皇国に対し、強い怒りを抱いていた。
そんな連中に助けてもらうなんて、許容できない。
また、一度天使メルファに逆らって、傷を負わせている。
彼の影響力が強い教皇国にいれば、彼の命令で処刑されることだって考えられる。
そのことからも、ラモンが人類軍を離れるのは最善策であった。
「おお、ここで死んでしまうとは情けない」
「……ッ!」
柔らかい女の声。
戦場に近いこの場所でそんな声を聞くとは思っていなかったため、身体ごと飛びずさる。
そんなラモンの反応を見て楽しそうに目を細めているのは、褐色肌の女だった。
黒髪をおかっぱにし、薄い衣装で豊満な身体の線を惜しげもなくさらしている。
魔族の姫、レナーテだった。
「魔族……」
「うむ、プリチー魔族じゃ。ピッチピチじゃ」
「はああ……」
警戒をしていたラモンであったが、しばらくすると深く長いため息をついてそれを解いた。
その反応は予想していなかったレナーテは、目をパチクリと大きくさせる。
「む? どうしたどうした?」
「いや、あんたは強そうだなって。今の俺じゃあ、どうにもならないと思ってさ」
「なんじゃ、諦めるのか?」
確かに、レナーテがその気になれば、今のラモンを殺すことができるだろう。
そもそも、ここにいるのは本体ではなく、幻影である。
いくら攻撃されても死ぬことはない。
もちろん、最初からそのつもりだったら、声もかけずに不意打ちをしていたのだが。
「あんたに勝つことは諦めた。ただ、生きることは諦めない。俺にはやらないといけないことがあるから」
「ほう、それは?」
「天使を殺す。アオイを救い出す」
強い目。
死にゆく者が見せる目ではない。
これから先、何があっても生き延び、必ずやり遂げてみせる。
そんな決意を見た。
「ほほう! 天使を殺すとな! あのいけ好かない連中を、人間のお前が?」
「ああ」
「そして、聖勇者を救うと。自我を抑制され、操り人形にされているあの人間を?」
「ああ。……あれ? アオイが聖勇者ってこと、言ったっけ?」
今度は目を大きくするのはラモンの方である。
聖勇者という存在が魔王軍に知れ渡っているのは理解できるが、彼女の名前まで知られているとは思えない。
なにせ、碌に話すことも許されていない状態だからだ。
「覗いておったからの、さっきのことを」
あっさりと答えられたが、他に人がいた気配はしなかっただけに、ラモンは驚きである。
そんな彼を見て思い出したのか、レナーテは堪らないとばかりに笑いだす。
「くくくっ。傑作じゃった! あの天使が、歯抜けにされ、苦痛に顔を歪め……あんなに怒って! くふふふふっ!」
心底楽しそうに笑う彼女は、まるで幼い童女のようだ。
その笑っている理由はかなり辛辣だが。
「どうじゃ、人間。妾の元に……魔王軍に入らないか? 人間の軍にいれば、天使を殺すことなんて不可能じゃ。そもそも、もう居場所は潰されているじゃろうが……」
「俺が、魔王軍に……?」
まったく想定していなかった提案に、ラモンはギョッとする。
「うむ、いばらの道じゃぞ。人類からは裏切り者と石を投げられるし、魔族からも歓迎されないだろう。お前の味方はどこにもいない。孤独な闘いになる。途中で目的も果たせず野垂れ死にする確率がほとんどじゃ。それでも……妾の手を取るか?」
メリットは薄い。
むしろ、レナーテの言う通り、ほとんどデメリットだ。
アオイのことを忘れ、レナーテの手を払えば、天使に逆らった以上教皇国にはいられないものの、別の国に移って穏やかに過ごすこともできる。
「とる」
しかし、ラモンはそれを一瞬で蹴り捨て、レナーテの手を取った。
何の躊躇も見せなかった彼に、レナーテは楽し気に笑った。
「即答か! くふふっ、面白い! なら、妾もリスクを取ろう。ともに天使をぎゃふんと言わせてやろう!」
これが、魔王軍最強指揮官【赤鬼】の原点である。
◆
それから、ラモンは魔王軍に入り、前線に出続ける。
もちろん、レナーテに予告されていた通り、現実は厳しいものとなった。
人間である彼を信頼する魔族は誰もおらず、前線では囮に使われたり捨て駒にされたり、当たり前のように死を実感するような環境だった。
だが、ラモンにとって、目的とは天使の殺害とアオイの救出である。
誰から嫌われようが、信頼されまいが、何の負い目も感じない。
ただひたすらに、自分のすべきことをする。
天使に従う人類軍に何度も痛手を与えていると、自然と彼を認める者も現れる。
とくに、同じく前線に出て、彼の活躍で命を救われた者は、彼の言うことに従うようになる。
命を懸けた戦いの中で、人間も魔族も関係ない。
強力な味方としていてくれるのであれば、排斥するはずがない。
上層部とは違い、前線の兵士たちはゆっくりとではあるが、ラモンを評価していく。
戦い続けていく中、ラモンはダーインスレイヴを愛剣とし、より名を上げていった。
そして……ついに、彼は再会する。
「俺のことを覚えているか、人間?」
「もちろん。あんたを殺してやろうと思っていたんだ、天使さん」
天使メルファ。
戦場で、再び彼と遭遇していた。
メルファはラモンの言葉に眉を顰める。
露骨に苛立つ。
もともと、彼にやられたことで腸は煮えくり返っているのだ。
だというのに、殺してやろうだなんて言われて、笑顔でいられるはずがない。
「ああ、殺してやりたかったのは俺もそうだよ」
「じゃあ、随分と遅いな。もっと早くに襲い掛かってくるかと思っていた」
「天使である俺が、一人の人間を殺している姿というのは、あまりよろしくないんだよ。もちろん、お前は天使に逆らったという大罪はあるがな」
「ふーん」
聞いてきたくせに、心底興味なさそうなラモン。
煽り耐性のないメルファは、内心でブチ切れていた。
「……時間がかかったのは、お前のことを人類に広めたからだ。お前は天使に逆らった大罪人。魔王軍で暴れたこともあって、懸賞金もかけられているほどだ。お前の居場所を潰してやったんだよ。この戦争が終わって万が一お前が生き残れたとしても、どこにも安住の地はない」
精神的な攻撃を仕掛ける。
自分の首に懸賞金がかけられていると教えてやる。
大金を求めて、彼の命を狙う者が大勢現れる。
さらに、うまくこの戦争をやり過ごしたとしても、その先に未来がないことも伝えてやる。
図太い男だ。
絶望はしないだろうが、少しでも嫌がらせになるのであれば、メルファも動いた甲斐があるというものだ。
しかし、ラモンは期待した反応を見せない。
「あっそ」
「相変わらず愚かな男だ……!」
「ところで」
気の抜けた態度を取り続けるラモンに、ついに限界が訪れたメルファ。
ズタズタに引き裂いてやろうとして、機先を制するようにラモンが口を開いた。
「あんた、入れ歯にしたのか? 似合っているぞ」
「……俺は色々とお前を潰そうと動いたが、それは不要だったな」
ブチリ、と何かが切れた音がした。
それは、メルファの脳内。
もともと細かった理性の線が、完全に断ち切られた。
「ここで殺してやる!」
「こっちのセリフだ」
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