第64話 さみしいじゃないですか
「……は?」
村長から聞こえた言葉は、確かに耳に届いている。
しかし、言葉の意味を理解できなかった。
アオイが首都へ?
二度と戻ってくることがない?
何を言っているのか、さっぱり分からない。
「どういう、ことですか?」
「……魔族との戦争が激化しているのは知っているだろう? 現在では、教皇国のみならず、他の人類国家も参戦している。だが、それでも魔族の猛攻に押され気味だ。それゆえに、救世主が必要となった」
「救世主?」
「それが、勇者だ。古来より、魔を払う人類の救世主として語り継がれてきた。それを、各国が復活させ、魔族への反撃のシンボルにするとのことだ」
戦争があることも知っている。
そして、勇者という存在も。
しかし、どれもが自分たちからは遠く離れたことだと思っていた。
戦争も常備兵や志願兵が参戦しており、徴兵されていない。
農作物を多く接収されることはあっても、それくらいは許容範囲内だった。
だが……。
「その勇者に、アオイが選ばれた」
「そんな……。彼女はずっと俺と一緒に暮らしてきた。村長も知っているはずです。戦いの知識すらないだろうし、体力もない。過酷な前線に出られるような子じゃない」
訳が分からない。
勇者は強い。
農作業すらサボっているアオイが、どうして選ばれるのか?
あまりにも弱いだろうし、彼女が戦場に出ても何ら役に立つことはないだろう。
「……神託があったようだ。天使からの神託。それに、アオイが選ばれてしまった」
「神託? 天使? そんなあやふやなことで、アオイを……?」
愕然とする。
ラモンの住む教皇国は、天使を信仰している。
彼もまた、狂信的ではないにせよ、信仰することが常識のここに住んでいるため、お祈りなどはしていた。
だが、一度も姿を見たことのない天使による言葉で、戦う力すら持たないアオイを勇者にさせられるということは、とてもじゃないが受け入れることはできなかった。
「……ワシたちには、どうすることもできん。逆らったところで、どうなる? 今は戦時中。わがままは許されん。抗えば、村民が殺されかねん。教皇国に、余裕はないからな。それに、救った後はどうなる? ずっとアオイを連れて逃げ惑うのか? 村民すべてにそれを強いるのは、あまりにも下策だ」
「…………」
村長の悲痛な言葉を受けて、ラモンは何も言わずに踵を返す。
その鋭い目から、彼が何をしようとしているのか察した村長は、強い声で制止する。
「お前が行ったところで、もはやどうにもならん! アオイは勇者として選ばれた。教皇国のため、人類のために戦う。お前がそれを拒絶しても、ただ無駄死にするだけだ。個人で国家は変えられん!!」
「だからって、何もしないでアオイを見捨てることなんて、できるはずないだろ! 彼女は望んで首都に向かったのか!?」
「そ、それは……」
敬語を忘れたラモンの激情に、村長は言葉を詰まらせる。
望んでアオイが首都に向かったのであれば、こんなにも心を痛めることはなかっただろう。
国の強権によって、無理やり引っ立てられていった彼女。
最後まで助けを求める目を無視し続けた村長は、ラモンの強い目から顔を背ける。
「だが、お前が一人で首都に向かったところで、何も変わらん。自身のために救世主をなくそうとするのは、非国民として殺されても不思議ではない」
これは、村長が保身のために言っているわけではない。
ラモンのことを心から思って言っていることだ。
それが分かっているからこそ、彼も黙って聞く。
「ワシから言えることは、今ここで感情のままに動くのは止めろということだ。確実に悪い方向にいく。結局アオイも救えず、お前も死ぬだけだ」
長い沈黙が続く。
焦れた村長がさらに言葉を続けようとする直前、ラモンが口を開いた。
「……確かに、村長の言う通りです。俺は冷静じゃなかった。ありがとうございます」
「では、アオイのことは……」
顔を輝かせる村長。
しかし、ラモンは彼の望む言葉を続けない。
「いえ、俺は兵士になります」
「なに?」
「勇者は救世主。つまり、押されている前線に出されるはずだ。俺が兵士になって、最前線で戦い続けていれば、いつか必ずアオイと会える」
さっそくとばかりに出て行こうとするラモン。
衝撃的な言葉に目を見開いていた村長であったが、慌てて呼び止める。
「ま、待て! 魔王軍との戦争が激化しているんだぞ!? 最前線に出て、いつ来るか分からないアオイを待ち続けるつもりか? アオイと再会する前に、確実に死ぬぞ!」
真にラモンのことを思いやるからこそ、村長は声を張り上げる。
戦場は地獄だ。
若いころに出兵したことのある彼だからこそ、それはよくわかっていた。
若者は、戦場で英雄になろうと期待に胸を膨らませ、夢想する。
だが、それは愚かな勘違いだ。
戦場……すなわち最前線は、死と絶望が席巻する地獄である。
戦闘訓練を受けたわけでもないラモンが最前線に出ても、初陣で命を落とす確率が最も高い。
「お前が選ぶべき選択は、アオイのことを忘れ、この村で幸せに生きていくことだ。お前は働き者で、優しい。いずれはこの村でも重要なポストに座り、嫁を貰って、人生を終える。それでいいではないか?」
ここで誤った道に進まなければ、ラモンには明るい未来が待っている。
献身的で働き者の彼は、村では人気者だ。
周りからの信頼も厚いし、彼の嫁にという声も上がっている。
彼が、アオイのことさえ忘れられたら。
ラモンはこの村で安穏で幸福な人生を送ることができるだろう。
「確かに、それも幸せです。俺も、それに惹かれないと言えば嘘になります」
「だったら……!」
喜色をたたえる村長。
ラモンも、それが幸福な人生につながると理解している。
ああ、その選択を選べば、自分はこれから先多くの笑顔を浮かべられることだろう。
「でも、それは俺がアオイと出会っていなかったらの話です。彼女と出会った。彼女と暮らした。彼女と過ごした。だから、俺はもう一度彼女と会って話がしたい。それだけなんです」
その笑顔は、偽りのものだ。
アオイを見捨てれば、彼女のことが一生心に残る。
最期の時、どれほど多くの人に囲まれて幸福そうに見えても、必ず深い後悔をすることだろう。
それが分かっているからこそ、ラモンは村長の提案を断る。
村長宅を出る直前、彼は村長に向かって儚い笑みを向けた。
「だって、最後のお別れも言えないのは、さみしいじゃないですか」
そうして、ラモンは村を出た。
彼は大々的に募集のかけられていた兵士に応募し、志願兵となったのであった。
そして、数年後、ラモンは最前線でアオイと再会することになる。
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