第62話 あの時代
「天使、ですの?」
首を傾げるナイアド。
「こう、輪っかが頭の上にあって、白いつばさが生えていてっていう……あの?」
「うむ、そのまんまじゃ。そして、奴らは空想の存在ではなく、確かに存在している。まあ、妾たちや人間のように、どこに住んでいると明確に分かっているわけでもないが。神出鬼没な奴らじゃよ」
天使はどこかの国に居住しているとか、共同体を作っているとか、そういう情報がまったく出てこない。
唐突に現れては、自分のやりたいことをやって満足したら消えていく。
おそらく、あいつらにも拠点があるのだろうが、それがどこにあるのかは誰も知らなかった。
……分かっていたら、そこを爆破してやったものを。
「何を糧にしているのかもわからん。おそらくは、人間たちから集まる信仰じゃろうが……。あんな邪な奴らを、よくもまあありがたがって拝めるものじゃ。悍ましい」
「姫さんに同意」
「おぉ……珍しく辛辣ですわ……」
ナイアドが珍しいものを見るように、目を丸くして俺を見た。
どうしても天使だけは許容できない。
対極には悪魔という種族もいるらしい。
人間の中でも、天使ほどではないものの、悪魔信仰をしている者もいると聞いている。
その名の通り悪い魔なのだが、俺は天使よりは悪魔の方がまだ嫌悪感はない。
まあ、どちらも人間を食い物にしている最低最悪な奴らに違いはないだろうが。
「人や魔族では使えない死者蘇生じゃが、もしかしたら奴らなら方法を知っているやもしれん。まあ、奴らが関与しているとなると、ろくでもないことじゃろうが」
「そんなにダメな人たちですの? 天使と聞けば、悪魔の正反対ですし、いい人たちな気もしますが……」
「自分たちの退屈しのぎのために、第四次人魔大戦を引き起こしたと言えば分かるかの?」
「はっ!?」
唖然とするナイアド。
俺だって唖然とした経験がある。
自分たちの退屈を潰すためだけに、何百万人と死者が出た大戦争を引き起こした。
どれほど罪深いことか。
「あの大戦争を、天使が?」
「人類を唆してのぉ。まあ、もともと魔族と人類は仲が悪かったが、よっぽどのことがなければ種の存亡をかけた大戦争なんぞせん」
小競り合いはあった。
人類と魔族はそれ以前も3度の人魔大戦を経験しているし、仲良くなれるはずもない。
だが、だからと言ってどちらかが滅ぶかもしれないような大戦争を、気軽に勃発させるはずがない。
お互いの恐ろしさを理解しているからこそ、なおさらそういった最後の一歩は踏み出さないようにしていた。
それなのに、背中を思いきり突き飛ばし、安全圏から見下し、せせら笑っていたのが天使である。
「そのよっぽどのことをしたのが、天使……」
「妾も人間ではないから詳しいことは分からん。じゃが、天使が神託として、戦争をするよう唆したのじゃ。無論、人類が許容できない凄惨な嘘をでっち上げてな。そして、人類の中でも特に信仰心の強い教皇国に指示を出し、教皇国と魔族の戦争が勃発。魔族は人類を滅ぼそうとしている、なんて嘘を天使がさらにばらまけば、人類国家連合の誕生じゃ。そこからは、加速度的に戦争の規模が膨れ上がっていき、大戦争じゃ」
魔族が人間を虐殺した。
証拠もなくそんなことを言ったとしよう。
それでも、教皇国は天使の言を信じたことだろう。
そして、魔族に対する報復。
加えて、このまま座していたら自分たちが魔族に虐殺されるかもしれないという恐怖から、戦争を引き起こす。
当然、魔族も反撃するが、天使はその間にも同じような形で他の人類の国家を唆す。
実際に教皇国が戦争をしているのだから、説得力も増す。
疑心暗鬼から次々に参戦していき、そして取り返しのつかないところまでいった。
……その理由は、俺が適当に考えただけだ。
実際に、どういう唆し方をされたのかは知らない。
だが、ろくでもないことは確かだ。
「そんな……人間は知らないんですの?」
「知らん。なにせ、あの戦争は魔族が吹っ掛けたと本気で信じているからの。知ろうとしていないのに、真実を知ることができるはずもない」
「愚かですね。ただ与えられるものだけを甘受し、その理由などを知ろうとしない。家畜と同じです」
「そう。そして、その家畜の最期は……言うまでもないじゃろう」
「…………」
シルフィと姫さんの言葉に、俺は黙り込む。
そこまで信頼されるように誘導した天使が凄いのか、あっさり騙される人類が愚かなのか。
どちらもあるんだろうなあ。
「まあ、お前様みたいに、それを良しとせず呪縛から逃れた者もおるがの」
「俺も教皇国出身だし、何もなかったら盲目的に天使を信仰していたと思うぞ。俺と彼らに、大きな違いなんてなかったよ」
姫さんは気を遣ってくれるようだが、俺は苦笑い。
アオイの出来事がなければ、俺も何の疑いもなく天使を信仰していたに違いない。
教皇国では、天使を信仰することは当たり前のことだからだ。
周りがしていることは、子供にとって常識になる。
シルフィの辛辣な言葉の通り、俺も天使を信仰し、ただ与えられるものを受け取っていただけだっただろう。
それはそれで幸せなのかもしれない。
だが、もう俺はその道を踏み外しているのだから、今さら考えることでもない。
「それでも、お前様はあの天使に喧嘩を売った。正面から、堂々とな。だから、妾はお前様を魔王軍に引き入れたのじゃ」
あの出来事で、姫さんに目をつけてもらえた。
それがなければ、いくら俺が魔王軍に入りたいと言っても、スパイと疑われて殺されていただろう。
「強く信仰している対象に喧嘩を売ったんですの……? それ、大丈夫でした?」
「大丈夫じゃなかったな」
「えぇ……」
呆れたように俺を見るナイアド。
盲信する教皇国の中で天使に敵対するようなことをしてみろ。
そりゃ、大丈夫なわけがない。
「天使なあ……」
こんな話をしていたものだから、俺は昔のことを思い出した。
天使を嫌い、アオイを奪われた、あの時代のことを。
◆
農作業を終えたラモンは、ゆっくりと丘の上を歩く。
適度な疲労感は、横になればすぐに眠ってしまいそうになる。
本当なら、すぐに家に戻って腹いっぱいに食事をとり、何も考えずに目を瞑るところだ。
しかし、彼女がここにいるという確信があるから、強い疲労を押して歩き続ける。
大きな木に背中を預けるようにして座っている彼女を見て、ラモンはやっぱりここにいたと、薄い笑みを浮かべた。
「またサボっているのか、アオイ?」
「サボっていないわ、休憩よ」
「屁理屈……」
ここで、ようやく彼女――――アオイは顔を上げた。
美しく整った顔を、からかうような笑みに変えて、自分の太ももをペシペシと叩いた。
「あなたも休憩したらいいじゃない、ラモン。膝枕くらいならしてあげるわよ?」




