第60話 天使の夢想
「ひまひまひまひまひーまーでーすー」
ふわふわと浮きながら、女が言う。
真っ青な髪色で、前髪は横にキレイに切りそろえられており、後ろ髪は腰に届くほど長い。
ちょっと緩そうではあるが綺麗に整った顔。
衣服の上からでもわかる起伏に富んだ肢体。
まさしく、絶世の美女と呼べる女である。
しかし、人間が見れば、その美しさに惑わされる以前に、彼女の背中についているものに目を引かれるだろう。
それは、真っ白な翼である。
羽が生えそろった、柔らかそうな一対の翼だ。
それが、彼女を宙に浮かせて移動させているのだ。
人間には決して存在しない器官をパタパタとはためかせ、彼女は心底だるそうに、退屈そうに移動していた。
「あー……ホンットつまらねえですねぇ。何にも面白いことはないです。やっぱり、平和ってクソです」
ケッ、と今にも唾でも吐きそうな感じだ。
せっかくの美貌は、やさぐれ具合によって台無しになっている。
平和をクソという美人は、ふわふわと移動を続けている。
ここは、神殿だった。
彼女と同じく白い翼をもつ人々が行き交っている。
「戦乱の世に戻すですか? でも、そんなうまくいくはずねえんですよねぇ。それに、戦争を引き起こしたとしても、突出した者が出てこなければ、何も面白くないですし。ただ人間が大勢死ぬだけで楽しめるような破綻者じゃないんですよねぇ」
とんでもないことをサラッと言う女。
戦乱の世というのは、もちろん第四次人魔大戦のときだ。
あれは、まさしく世界大戦。
種族と種族がおのれの存亡をかけて命がけで戦った戦争だ。
確かに、スリルがある。
しかし、女は自分の欲望のためにそれを引き起こすことは許容できても、そこまでもっていく手段が思いつかない。
あれだけの大戦争を再び引き起こそうとしても、できるはずがない。
偶然に偶然を重ねて生じたのが、第四次人魔大戦なのだ。
それに、その戦争を引き起こしても、それだけで彼女が楽しめるものではない。
戦争が好きというわけではないのだ。
戦争の過程で生まれる英雄、特異点。
それこそが、彼女の求める面白さである。
それらが生まれないのであれば、いくら戦争を引き起こしても仕方ない。
「そうか? 俺は結構楽しめるけど」
「だから僕は破綻者じゃねえって言っているですよ」
話しかけてきた男に、女は呆れた目を向ける。
彼は戦争の混乱そのものが好きで、その過程で死ぬ人間の多くの感情が気に入っている。
悪辣だ。
女も自分と一緒にするなと、彼を睨みつける。
まあ、巻き込まれる人間からすると、どっちもどっちである。
「って言っても、じゃあどうするんだ? 俺たちみたいに長寿だと、退屈過ぎたら死ぬぞ?」
「ジジババはそういうのも多いですよねぇ。僕たちは外敵に殺されることがほとんどないし、寿命や病気もないですから……」
彼らの種族は、人間よりもはるかに長寿。
老衰で死ぬということがほとんどないため、彼らの死は、その長い生命に精神が耐えきれなくなり、精神崩壊するという死がある。
彼らはまだ若い――――それでも、人間の寿命の何倍も生きているが――――ため、精神的な死についてそれほど考える必要はない。
しかし、先達の中には、何名か長い生命に耐え切れずに死んでしまった者もいる。
それを避けるために、彼らは娯楽を探すのだ。
退屈を覚えないような、楽しく面白いことを。
「あーあ、【赤鬼】みたいなのが現れてくれたら面白いですのに……」
「……面白くねえよ。あいつのせいで、どれだけの天使が殺されたと思っているんだ」
呆れたように女を見る男。
彼らは、天使。
人間を導き、魔を嫌う……と思われている。
実際は、自分たちの娯楽のために世界をめちゃくちゃにしても平気な、自己中心的な種族だった。
二人の脳裏に浮かんでいるのは、一人の人間だ。
赤い髪が特徴的な人間で、魔王軍に与して人類を裏切った大罪人。
男は心底嫌そうに顔を歪めていた。
「こっちがちょっかいをかけて返り討ちになっただけですよね?」
「そうだけど、結局それで第四次人魔大戦につながったんだろ。俺は人が死ぬのは楽しめるけど、あの規模はもうごめんだぞ。天使も参戦させられて、かなりの数死んだからな」
「死ぬのは怖いですもんねぇ……」
そこには納得して頷く女。
そう、死ぬのは怖い。
死というのが身近にない天使だからこそ、そこに近づくのは恐ろしくてたまらない。
しかし、天使というのは寿命でも病気でもほとんど命を落とすことはない。
精神的な死か……物理的に殺される死か。
【赤鬼】によって、物理的に殺された天使の数は膨大だ。
仕掛けたのは天使側なのだが、ことごとくを返り討ちにされている。
もともと出生率の低い種族なので、千年前の大虐殺が、今も尾を引いている状態だ。
たった一人で種族の滅亡危機に陥れる人間なんて、彼以外に存在しないだろう。
「でも、僕は【赤鬼】のことが大好きですよ。天使と正面から激突して、こんなにもボコボコにしたのはあの人以外いないんですから!」
「俺はいいけど、年寄りの前では言うなよ? マジであいつがトラウマになっていて、褒めただけでも罰を与えられるぞ」
「その時はお前に押し付けるから大丈夫です」
「大丈夫じゃねえだろ」
憤怒の表情を浮かべる男。
とはいえ、天使というのは長寿であり、数も少ないため、種族の中では年功序列のきらいがある。
その上の方が【赤鬼】に苦汁を味わわされているため、彼の話はタブーなのだ。
「……まあ、もうあいつは死んでいるし、そこまで過敏になる必要もないと思うんだけどな」
「そうなんですよねぇ。僕、ちゃんと誘ったのに……。誘い方がダメだったですかね?」
首を傾げる女。
そのしぐさも、見た目がいいことも相まってかなり可愛らしいのだが、言っていることは恐ろしい。
誘った?
あの男を、何に……?
「……おい、何を誘ったんだ?」
「死にかけのあの人に天使に転生する誘い」
「ばっ……!? そんなことしたら、お前もタダじゃ済まねえだろ!」
ギョッと目を見開く男。
天使にとんでもなく痛手を負わせた男を、天使にする。
【赤鬼】はもちろんのこと、その手引きをした女も重罪に問われることだろう。
もちろん、そのことは予想できていた。
しかし……。
「それでも、あの人と一緒にいた方が面白そうだったんですよねぇ。まあ、断られたんで意味ないんですけど」
天使というのは、娯楽を重視する。
そのためなら、自分の命を懸けることも。
女にとって、【赤鬼】はそれだけ価値のある男だった。
「あーあ。何かの手違いでもう一度復活してくれないですかね、ラモン」
そう言って、天使――――オフェリアはありえないはずの未来を夢想するのであった。
第三章終わりです。
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