第59話 たわーーーー!
「何か、お礼をしないといけないと思うんです」
「ん?」
アイリスがそういえば、目を丸くしてラモンが見てくる。
確かに、突然そんなことを言えば驚くだろう。
何の前振りもなく言ってしまったことを軽く後悔するが、あまり時間もない。
ラモンたちは、そろそろ次の旅に出るつもりのようだ。
自分がついていくことはできない。
ここには大切な勇者が眠っているのだから、離れることはできない。
彼らはいつかまた立ち寄ってくれるかもしれないが、何が起きるか分からない世界だ。
だから、今のうちにお礼をしておきたい。
「あのアンデッド騒動のことか? だとしたら、気にする必要ないぞ。姫さんを助けてもらったお礼をしただけだからな」
「でも、どう考えても私の方が助けられました。1ポイントを上げたら、5ポイント返してもらった感じです」
「お、おお……。割とアイリスも独特だよな。天然っぽい」
確かに自分でもおかしなたとえ話をしてしまった気がする。
顔がカッと熱くなるが、今更撤回するのも恥ずかしい。
アイリスにとって、ラモンは数少ない昔の知り合いだ。
彼女と同時代を生きていた人は、ほとんどが死んでいる。
アイリスが生きているのは、彼女が卓越した魔力の質と量を持っていたから。
聖女と称されるレベルでないと、これほどまでの長寿は得られないのである。
だから、少し彼に対しては気が緩んでいるのかもしれない。
余計なことは言わないよう、自身を戒めて悩み始める。
「むー……。でも、私にできることなんて回復して差し上げるくらいだから……。ラモン様はお元気なのがいいんですけど」
「よかった、怪我して来いとか言われなくて」
「言いませんよぅ!」
自分をなんだと思っているのか。
頬を膨らませて抗議する。
正直、数百歳というとんでもない長寿であり、その子供っぽい仕草は痛々しさすら感じられるはずなのだが、アイリスにはとてもよく似合っていた。
そう、怪我をしろなんて思うはずがない。
苦しんでいる人々を助けるために、この能力を使ってきたのだから。
……でも、ラモンがけがをしてちょっと痛そうにしている顔を見るのは、なぜだか少しゾクゾクとする。
「ラモン様は、昔から自分の足で立っていますよね」
「え? まあ……立たないと殺されていたし……」
今でこそ、シルフィやリフトと言った頼れる仲間がいる。
戦争末期には、ラモン派と呼ばれる同志――――彼は碌に知らなかったにせよ――――も数は少ないが生まれた。
だが、最初からそうであったはずがない。
当初は、今の腹心であるシルフィでさえも、彼とは険悪であった。
それは、彼が人間だから。
魔族にとっての不倶戴天の仇である彼が、たった一人で魔王軍に入り込む。
スパイか、それとも自身の欲望や命のために人類を裏切った愚か者か。
どちらにせよ、好意的に受け入れられるはずがなかった。
それでも、仲間ができていったのは、ラモンが無視できないほどの戦果を挙げ続けたから。
たった一人で立ち、歩き続け、確かなものを手にしていったからである。
「あんまり人に甘えたこともないのでは?」
「あー……確かになあ。甘えるって言うのがどの範囲のことを言うのか分からないけど。頼るっていう意味なら、シルフィや姫さんに何度も甘えたぞ」
「そうではなく。たとえば、親に子供が甘えるような……」
「……それこそ、子供の時くらいじゃないか? 親と一緒に魔王軍なんて入れるわけもないし」
うんうんと頷くアイリス。
彼女には想像もできないような過酷な人生を、ラモンは歩いてきたのだろう。
本来、人は誰かに甘えて生きていく。
アイリスはそう思っている。
自分が勇者に甘えていたのように、ラモンにもそういった気の置けない相手というものが必要だ。
しかし、彼はそれをしていないという。
ならば……。
「……ひらめきました!」
「……何を?」
怪訝そうに見てくるラモンに、アイリスはニッコリと笑う。
両腕を大きく広げ、無防備に身体の前面をさらす。
シルフィやレナーテとは比べるのもおこがましいつつましやかな胸部だが、彼女の人を覆い隠すような優しい雰囲気のおかげで、女性的な魅力にあふれていた。
目を丸くするラモンに、アイリスは言った。
「私に甘えてください、ラモン様!」
「…………んん?」
◆
甘えると言っても、色々あるだろう。
アイリスも多種多様な甘え方を知っているわけではない。
第四次人魔大戦時は激しい戦場に立っていたし、その後は救いを求める人々を助け続けていた。
気軽に甘えられることもなかったし、ましてや自分が甘えることもなかった。
だから、彼女が思い浮かべるのは、自分が子供の時のこと。
どのように、両親に甘えていただろうか?
どのようなことをされたら、嬉しかっただろうか?
古くても色あせない記憶をたどり、彼女がひらめいた甘え方は……。
「痛かったら、すぐに言ってくださいね」
「…………う、うん」
耳掃除である。
されたら、よだれが出て眠ってしまうほど気持ちがいい。
後で自分もラモンにしてもらいたいと思う。
素直にお願いできるかは別問題だが。
しかし、あれほど強くて遠いところにいたラモンが、自分に対して無防備な状態を見せている。
自分の膝の上で横たわり、人体の急所でもある鼓膜をさらしている。
あのラモンが、自分の思うままにされている。
……やっぱり、ちょっとゾクゾクした。
自分でも太ももはそれなりに柔らかいと思う。
鍛えているわけではないので、固くはないだろう。
また、匂いも気を付けている。
とくに、こんなにも男の人と近くにいるのだから、気にしなければならない。
「(……よくよく考えると、私は凄いことをしているのでは!?)」
ラモンにお礼がしたくて、少々暴走していたところがある。
時間があれば冷静になれていたのだろうが、彼がもうすぐ出て行ってしまうという焦りもあった。
普段の彼女なら、膝枕の上耳掃除なんて、絶対に提案できないだろう。
顔を赤らめるが、彼女の耳かきの腕は丁寧で洗練されている。
これは、レインハートに対してよくしてあげていたからだ。
彼女はよくこれをせがみ、喜んで受け、よだれを垂らしてスヤスヤと眠ったものだ。
その当時のことを思い出し、温かい笑みを浮かべる。
激しく過酷な最前線に出続けていた彼女も、幸せそうにしてくれた。
ラモンにも少しでもその幸せをお裾分けできれば、アイリスは思う。
「もう片方をしますので、逆を向いてください」
ふっと優しく息を吹きかけ、片耳は終わる。
次は片耳だと、何の気なしに言った。
さて、そこで問題が一つ。
ラモンは今、アイリスとは逆の方を見ている。
逆の耳とすると、彼女の膝の上で、逆を向く……つまり、アイリスの方を見ることになる。
膝枕をしていて、自分の方に向くと……。
「あ、あ、ちょっと待ってくださ……!」
気づいて慌てて制止しようとするが、もう遅い。
ラモンも耳掃除をされる快感で、頭がゆだっていた。
何も考えずに、逆を向く。
真っ赤な顔をするアイリス。
銀色の髪とはまた違う色だった。
上を向いても起伏は少ない。
シルフィやレナーテという山脈を見ているからか、随分と物珍しく感じてしまう。
そして、柔らかな太ももの根元は、暗くてよく見えない。
しかし、甘い匂いは少し強く感じられて……。
「たわーーーー!」
何とも気の抜けたアイリスの悲鳴が、響き渡るのであった。




