第58話 レインハート
ふーっと一つ息を吐く。
命を懸けた戦いというのは、いつになっても怖いものだ。
まあ、俺はもう死んでいるから、特に死に対して恐怖があるわけではない。
ただ、俺が負けていれば、後ろにいたアイリスがただでは済まなかった。
それが怖い。
実際、アンデッドの攻撃が彼女に通りそうになっていた。
俺が助けたのではなく、また別の存在が彼女を守った。
それは、墓からあふれる温かい光。
ゆっくりと集束し、形作られていく。
そうして現れたのは……帝国の勇者レインハートだった。
唖然とするアイリス。
俺は自分という例があるからまだそこまで驚いてはいない。
彼女はアイリスを優しい目で見ると、今度は頬を膨らませて険しい表情で俺を睨む。
『僕の大切な人なんだから、ちゃんと守ってよね! 僕の仲間になるんでしょ!』
「いや、別に仲間になるとは……」
アイリスを守れなかったことは申し訳ないが、何もレインハートの一味になるとは言っていない。
プンスカと怒る彼女には、何を言っても通用しなさそうだが。
「ゆ、勇者様! あの、私は、あなたに……!」
アイリスは何かを必死に彼女に伝えようとする。
しかし、時間があまりないようだ。
光が霧散していっている。
それもそうだろう。
すでに彼女は亡くなっている。
死者が生者の世界に影響を与えることは、望ましいことではないのだ。
レインハートは、また優しい目をアイリスに向けた。
『僕のことは気にしないでさ、アイリスの好きなように生きたらいいよ。いずれ知ることになるかもしれないし、そうならないかもしれない。それは、運命に任せてみようよ。きっと、それがいい方向に向かうはずだ』
レインハートの言葉に、アイリスは何かを言いたそうにする。
彼女は勇者の死を調べようとしていた。
それを、レインハートは遠回しにではあるが、止めさせようとしているように聞こえる。
反発したいだろう。
だが、彼女がアイリスのことを思って言っていることは、部外者の俺にも分かった。
だから、アイリスは儚い笑みを浮かべた。
「……分かりました。今まで、本当にありがとうございました、勇者様」
『こちらこそ』
そうして、勇者は輝くような笑顔を見せ、消えていった。
◆
ホーリーライトは、現在再建へと動き出していた。
大きく施設が損壊したというわけではないのだが、人的被害は大きかった。
アンデッド……すでに命を落とし、感情を一切持たない化物との戦闘は、慣れていなければ苦戦は必至である。
しかも、つい先日まで一緒に会話をして同じ志を持っていた仲間までもが、倒されれば敵となって襲い掛かってくるのである。
仲間を殺せるほどの覚悟を、その一瞬で決めろというのも無理な話だ。
結果として、現在は人的被害の穴埋めが最優先となっている。
聖女アイリスにも危険が迫ったこともあって、彼らはこれから一層自衛の力をつけていくことだろう。
それが、いいことかどうかは分からない。
だが、アイリスに回復されて、心の底から嬉しそうにしている彼らを見ると、彼女が悲しむようなことはしないのではないか。
先日の演説もあって、そう思うようになった。
「ほほう。妾たちがアンデッドの対応をしておった時に、ここまで首謀者が入り込んでおったのか。自分で潜入するとは、なかなか思い切った奴じゃ」
「使える部下がいなかったのでしょう。自分で何でもしなければいけないのは、ネクロマンサーだからこそでしょうね」
姫さんとシルフィが言う。
まあ、多くの仲間と一緒に行動するようなタイプではないよな、ネクロマンサーは。
やはり、死体を扱うというのは、忌避されやすい。
彼もそのことを気に病んでいる様子もなかったから、うまく今までは一人でやってきていたのだろうが。
「それで、アイリスはこれからどうするんだ?」
「彼は、帝国の将軍ジルクエド様がこの件に関与していると言っていました。これが虚言かどうかは分かりませんが……もし本当なのだとしたら、どうして将軍が勇者様のご遺体を求めたのか……それは知らなければいけないと思っています」
アイリスは強い表情をしていた。
確かに、帝国の将軍が遺体を求めるというのもおかしな話だ。
これが、現在も帝国を脅かすような大敵ならば不思議ではないが、千年前に帝国と人類のために戦った少女の遺体である。
何かあるのは明白だ。
「ですが、無理はしません。勇者様直々に言われましたから。今、私が向かって行ったところで、謀殺されるのが関の山でしょう。ですから、時間をかけて、手段を用いて、いつか必ず真実を知ろうと思います」
薄く微笑むアイリスに、俺は頷く。
これなら、無謀な行動をとることはないだろう。
俺は安心する。
すると、目前でアイリスがもじもじとする。
美麗な彼女が頬を赤らめながらすると、とてつもなく危険な匂いがする。
し、シルフィ。
水でペチペチ叩かないで……。
「そ、その時に、もしよろしければ、ラモン様もお力を貸していただければ……しゅ、凄く嬉しいです……」
「噛みましたわ」
なおさら赤くなってしまうアイリス。
ナイアド、余計なことを言うな。
しかし、そんなことをわざわざ聞かれるのは、少し心外だ。
俺ははっきりと、力強く頷く。
「ああ、もちろん。いつでも頼ってくれ」
「はいっ」
俺の言葉に、輝くような笑顔を見せてくれるアイリスであった。
◆
「失敗か。さて、どうしたものか……」
内心で荒れ狂う感情を、冷静に抑え込むジルクエド。
ようやくつかんだ手掛かりだった。
どこにあるのかも判然としていなかった勇者の墓。
そこを襲撃させたのだが、結果は失敗。
ジルクエドの失敗は、これをたった一人のネクロマンサーに託したことだろう。
とはいえ、それも仕方ない。
軍隊を動かすなら、どうしても他者に知られてしまう。
勇者の遺体探しは、ジルクエドが独断独力で行っていることである。
将軍ともなれば、敵も多い。
非人道的な行為だと非難されれば、それはその通りなので、自身の失脚につながりかねない。
そのため、軍や私兵を動かさず、信頼できる能力の高い野良のネクロマンサーに託したのだが……。
「私のことが漏れていなければいいが……。漏れていたら、厄介だ。ホーリーライトが武装勢力になる前に、潰す必要がある。だが、潰せば勇者の死体もなくなるかもしれない。難しい問題だ」
頭を悩ませる。
そもそも、ホーリーライトを潰す理由もでっち上げなければならない。
こういった蹴落としが得意なのは政治家だが、ジルクエドはあくまで軍人。
専門外だ。
「だが、帝国の発言力、国力をつけるためには、あの超越した軍事力たる勇者が欠かせない。そのノウハウを失った今、死体からでも得られる情報を使わなければならん。勇者の死体は、必ず手に入れる。帝国の未来のために……」
それでも、じゃあ止めるとは言えない。
現在、世界において覇権を握っているのは教皇国。
第四次人魔大戦の際、聖勇者を擁し、最も人類の勝利に貢献したからこそ、今の地位がある。
帝国は押される一方だ。
不当な要求ものみ込まなければならないほどのパワーバランス。
それを覆すには、勇者しかない。
聖勇者はすでに死んでいる今、勇者を作り出すことができれば、一気にパワーバランスを覆すことができるかもしれない。
だから、ジルクエドは止まることはできないのだ。
「しかし、先人も愚かなことだ。その付けを、今の時代で払わなければならないのだから」
嘆息する。
先人たちもその不均衡な状態を何とかしようと努力していたのは知っている。
ジルクエドも、それを引き継いだに過ぎないのだから。
「聖勇者を超える勇者を作りたかったのは分かる。だが……」
先人はやり方を間違った。
その間違いさえなければ、今ほど苦労することはなかったかもしれないのに。
「その結果、帝国の勇者を人体実験の末に殺すのは、最悪極まりない」




