第55話 懇願
「ね、ネクロマンサー?」
アイリスは思わず聞き返す。
どういった魔法を使うのか、そして存在をしているということは、知識としては知っている。
しかし、直接ネクロマンサーと顔を合わせたことはなかった。
そんな彼女に対し、ライチは大して気分を害した様子も見せず、笑顔で頷いた。
「ええ、死体を操る陰気な魔法使いです。聖女様のように輝くような優しい魔法を使われる方に比べれば、底辺も底辺ですよ」
ネクロマンサーは、その魔法の性質上忌み嫌われる。
大切な人の遺体を勝手に操り人形にされて、気分がいい者は誰もいないだろう。
善良なネクロマンサーはいるかもしれないが、その気になればどのような死体でも操ることができるのである。
好かれる要素はどこにもなかった。
そのため、めったに表に出てくることはない。
そして、ここにはアイリスにとっても大切な人の遺体がある。
顔を強張らせるのも当然だった。
「そのネクロマンサーが、何の用ですか? この騒動も、あなたが原因ですか?」
「質問は一つずつにしていただきたいのですが……まあ、いいでしょう。まず、この騒動の原因は私です。死体を使って、信者を襲わせています」
「どうしてそんなことを!?」
この騒動がライチの仕業と知り、視線を厳しくする。
しかし、それを受けても平然としたままだ。
「陽動です。あなたの傍には、いつも人がいると聞きました。その人を遠ざけるために、騒ぎを起こしたのです。結果、今あなたの周りには誰もいない。予定通りに事が運びました」
アイリスの傍にいる人間がどれほどの強さか分からないが、誰もいない方がいいのは当たり前だ。
ライチも戦闘を楽しみたい男ではない。
確実に任務を果たせる方法を考え、この陽動を実行した。
その陽動で多くの人が死に至るかもしれないが、それは関係ないことだ。
「それで、今回のことを起こした理由ですが……至極簡単です。欲しいものがあるのですよ」
「欲しいもの……?」
「第四次人魔大戦を戦い抜いた帝国の英雄、勇者レインハートの死体をいただきたいのです」
「…………え?」
ライチの言葉を聞いて、アイリスは凍り付いた。
彼女にとって、それは絶対に受け入れられないこと。
ネクロマンサーが、レインハートの死体を求めている。
自分が殺されるよりも恐ろしいことだった。
「この聖域に勇者の死体があることは知っています。大人しく渡していただければ、手荒な真似はしませんが……」
「ど、どうして……」
「ん? ああ、ホーリーライトも一枚岩ではないということです。自身の欲を優先し、身内を売る人間なんて腐るほどいます。まあ、往々にしてロクな最期を迎えることができませんが」
「そうではなく! どうして勇者様のご遺体を……!」
アイリスの問いかけを、どうして聖域にレインハートの死体があるのかという受け取り方をしたライチ。
彼の脳裏に浮かぶのは、もちろん情報を売り渡したリグロである。
報酬に目をくらませ、最期は自分に殺された男のことを思う。
愚かな男だったと笑うが、アイリスの聞きたいことはそうではなかったようだ。
「あ、ネクロマンサーですが、私の欲望のためではないですよ。仕事です。勇者の死体を求める人がいるんですよ」
「……誰ですか?」
「帝国の将軍、ジルクエドさんです」
「しょ、将軍が!?」
「実際に何十年も前に亡くなった死体を使って何をするのかは知りません。興味もありませんし。ただ、その仕事の対価にそれなりの報酬が用意されていましてね。良い死体を融通してくれるとのことなので」
ネクロマンサーが死体を求めるのは分かる。
だが、帝国の軍事部門の重鎮であるジルクエドが、どうしてレインハートの死体を求めるのか。
理解ができない。
だからこそ、恐ろしかった。
大切なレインハートの遺体をどのように扱われるのか、想像もできないから。
「ということです。あなたが碌に戦えないのは知っています。大人しくしていただければ、危害は加えませんよ。宗教で信仰されている人を攻撃すると、強い恨みを抱かれるのでできれば避けたいんですよ」
それは、何もアイリスを痛めつけたいとか、そういう嗜虐的な気持ちがないことを意味していた。
ライチにとって、アイリスと事を構えるのはデメリットしかない。
負けるつもりはないし、戦えば殺せるだろう。
だが、そうした後が恐ろしい。
彼女を病的に慕う者が、このホーリーライトには大勢いる。
今は陽動がうまくいっているが、もちろん武闘派もいる。
そういった連中に、恨みで一生付け回されたら、堪ったものではない。
自分は基本的には地下に潜って時々今回のように報酬をもらえたら、それでいいのだ。
目立つようなことはしたくなかった。
しかし、アイリスは強い目をライチに向けた。
「……ここは通しません。勇者様は、私のパートナー。大切な人。彼女の死体を辱めるというのであれば、私は断じて許しません!」
自分に戦闘能力がないことは、彼女自身が一番よく分かっている。
戦えば、戦闘とも言えないものが始まり、一瞬で終わることだろう。
だからと言って、レインハートの遺体をみすみす引き渡せるだろうか?
それはありえない。
アイリスにとって、自分が殺されるより唾棄すべき選択肢であった。
「うーむ……困りましたねぇ。正直、あなたは殺すと面倒なんですよ。だから……とりあえず、気絶していただいて構いませんか?」
「……っ!」
わき出すアンデッド。
ライチから紫の瘴気が溢れ出し、そこからアンデッドが這いずってくる。
鎧をつけていたり武装していたりするのは、無念の内に倒れた戦士や冒険者だろうか。
よく見れば、新しい死体……すなわち、ホーリーライトの信者たちも複数混じっていた。
彼の陽動で命を落とした信者が、早くもネクロマンサーによって操られている。
彼らを殺されてしまったことによる義憤。
そして、レインハートを同じ目には合わせられないと、さらに強くライチを睨みつけた。
「……驚きました。強い目です。これだけ絶望的な状況で、よくそんな目を……。さすがは勇者パーティーの聖女。修羅場は何度も潜り抜けているということですか。しかし……」
ズッとアンデッドたちがにじり寄る。
死の軍勢だ。
ただ近づかれる威圧感だけでも、アイリスを怯えさせるには十分だった。
「だからこそ、さっさと気を失われることをお勧めしますよ。でないと……勢い余って殺してしまうかもしれませんからね」
「私は、絶対にここをどきません!」
それでも、決して引くことはない。
後ろにレインハートがいるから。
いつも彼女の背に守られてきた。
ならば、今度は自分の番だ。
「そうですか。10分も経てば、逆に懇願するようになりますとも」
ライチの言葉を合図に、一斉に迫るアンデッド。
殺さないように命令はされているだろうが、気を失うほどの危害は加えるということである。
また、相手は考えることのできない死体。
それがただ自分を傷つけるためだけに襲ってくるのだとしたら、とてつもなく恐ろしいことだった。
アイリスはとっさに目を閉じて……。
「――――――その懇願って言うのは」
その男の声に、深い安堵を覚えた。
ドサドサと重たいものが倒れる音がする。
先ほどまで感じていた不安と恐怖は、一瞬でなくなっていた。
「あんたが命乞いをする意味だよな?」
「ラモン様!」
アイリスの前に立ち、彼女を庇うようにしているのは、ラモンだった。
アンデッドの幾人かを倒し、油断なくライチを見据える。
そんな視線を受けたライチは、増援が来たことによる焦りや苛立ちはなく……。
「……ラモン?」
目を丸くして、彼を見るのであった。




