第53話 口封じ
「なあなあ。いつまでここにおるのじゃ?」
姫さんが俺の背中に抱き着きながら尋ねてくる。
……無防備すぎない?
姫さん、衣装が薄いから柔らかい感触がかなり伝わってくるのだが。
まあ、彼女のこういった態度は昔からなので、今更ドギマギするような子供ではないのだが。
ただ、心臓に悪い。
「姫さんを治してもらった借りを返すまでかな」
「妾のことを救えたのじゃから、むしろ感謝するべきじゃ」
どういうプライドの高さなの?
姫さんが尋ねているのは、このホーリーライトにいつまで滞在するのかということ。
俺は命を狙われ、実際に襲われたのだから、すぐさま離れるべきだろう。
そうしていないのは、姫さんを助けてもらった恩を、まだアイリスに返せていないからだ。
「あ、あの、私は何かをしてもらおうと思って治したわけじゃないので……」
アイリスはあわあわと遠慮するが、こういうことはしっかりと返しておかないといけない。
「でも、どのような恩返しがあるんですの?」
「そうだなぁ……。アイリスは何かしてほしいこととかあるか?」
「いえ、私は本当に……」
アイリスに問いかければ、やはり遠慮される。
まあ、彼女がこういう反応をすることは分かっていた。
しかし、そうなると難しいな……。
「こらこら。おぬしがそんな遠慮ばかりしておったら、妾たちはいつまで経ってもここから出られんではないか」
「あなただけ出られればいいのでは? 私はここでラモンといますので」
「ナチュラルにわたくしのことが無視されていますわ……」
ナイアドがしょんぼりして胸ポケットに入ってきた。
ごめん。シルフィも悪気があったわけじゃないんだ。
多分……。
「で、でしたら、その……。この団体の人々の、私へのイメージを変えたいんです。どうにも、私のことを過剰評価しているようで……」
絞り出すように、アイリスが言った。
あー……そういえば、ホーリーライトの信者たちは、アイリスのことをまるで神のように扱っている。
まあ、命を落としかねない致命傷であったり、苦痛の強い重病を治してもらったのだから、彼女に対する感謝は非常に大きなものになるだろう。
どうにも対価というものを貰っていたようだが、それが始まるまでは等しくアイリスに優しくしてもらっていたのだ。
一度見放され、そこから救い上げられたとしたら、畏敬の念を強く持つのもわかる。
ただ、それはアイリスにとっては大きな心の負担になっているわけだ。
「いや、アイリスは優しいし能力も高いから、評価自体は間違っていないぞ」
「あう……」
頬を赤らめてうつむき照れるアイリスだが、これは間違っていない。
基本的に、ホーリーライトの信者たちのアイリスに対するイメージというのは、実際とそう変わらない。
優しく、どのような傷や病でも回復させることができる。
伊達に帝国の聖女と呼ばれていたわけではない。
「ただ、自分たちの求める聖女というイメージを持っているのは事実かもれんぞ」
「理想の押し付けですね」
アイリスはどうしても他者からの期待に応えようとしてしまうのだろう。
これが姫さんやシルフィなら、一切気にせず自分を貫き通せるのだが……。
優しすぎるのも……というやつだ。
「どうしたらいいのでしょうか……?」
「そうだなあ……地道に話をして、理解してもらうしかないんじゃないか? 等身大のアイリスを見てもらうんだ」
「大丈夫でしょうか……?」
「本来は、アイリスのことを慕って集まったのがこの『ホーリーライト』だろう? それに、信者たちのイメージからまったく違うというわけじゃないんだ。アイリスも自分たちと同じように考えて生きている人間だと、知ってもらうだけでいい。受け入れてもらえるさ」
これは本当にそう思う。
ここに来たときに対価の関係で言い合いになってしまったような奴もいるが。
しかし、多くはアイリスのことを心から慕って信者になっているはずだ。
彼女が真摯に話せば、納得してくれるだろう。
そもそも、別に彼女が悪いことをしたわけでもないし、イメージ象から大きくかけ離れているわけでもない。
そんなに難しいことではないはずだ。
それでも、信者たちに話す勇気がないというのなら……。
「もし受け入れてもらえなかったら、俺たちと一緒に旅をするか? 結構楽しいと思うぞ」
「勇者様がいるから、それはできませんよ。でも……ふふっ、確かに楽しそうですね」
俺の提案に、アイリスはクスクスと笑う。
その顔には、もう不安や緊張といったものは見られなかった。
「分かりました。話をしてみようと思います」
◆
ライチはホーリーライトの施設内を歩く。
信者の中でも限られた者しか歩くことはできない場所。
信者でもなければ一度も聖女に救われたこともないライチが、本来ならここは歩くことができない場所である。
ジルクエドの執務室も含め、最近はよくそういう場所に縁があるな、と思うライチ。
彼を待ち受けていたのは、ホーリーライトの幹部……リグロであった。
「お待ちしておりました。将軍閣下からご連絡のあったお方ですね」
「ええ。ライチと申します。ところで、そのように丁寧にしていただかなくて結構ですよ。将軍とはビジネスパートナーであるだけなので、部下というわけでもありませんし」
「いえいえ、これが私の素なので」
あまりにもうさん臭くて、ライチは笑ってしまう。
一筋縄ではいかない男だ。
だからこそ、ジルクエドも連絡を取る相手を彼にしたのだろうが。
「ところで、聖域は……」
「ええ、地図はこちらに。もちろん、正式なものではないので、大雑把なものになりますが」
差し出されるのは、地図とも言えないメモである。
しかし、それでも十分だ。
ライチは笑顔で受け取った。
「ただ、最近聖女様の既知の連中が、この辺りをうろついています。おそらく、聖域にも。そこはお気をつけください」
「ご忠告ありがとうございます。しっかり頭の隅に入れさせていただきましょう」
つまり、敵となる者が多いかもしれない。
だが、そんなことは何の障害にもならない。
自分の力ならば、確実に目的を果たせると確信していた。
「しかし、聖女を売るような真似をして、本当によろしいのですか? あなたも幹部にまでなられたのですから、それなりに思い入れもあるのでは?」
「いえ、まったくありませんな。私にとって、この教団は実入りがよかったというだけの話。それがなければ、このようなカルトなどに誰が関わりますか」
薄い笑みを浮かべるリグロ。
彼にとって、この組織はただ自分の欲望を満たすためだけのもの。
甘い汁が啜れないと分かれば、もはや用済みである。
愛着もなければ、聖女に対する敬意もない。
組織を売ることに、何ら抵抗はなかった。
「おやおや……。それでは、これからは……?」
「さて、未定ですな。とはいえ、蓄えは多少ならあります。少しゆっくりしてから、色々と考えますよ」
「なるほど」
コクリと頷くライチ。
彼がはっきりと自分の予定を話していれば、もしかしたら結末は変わっていたかもしれないが。
だが、そもそもしっかりと話していたとしても、相手はジルクエドだ。
そんな生易しい選択をするとは思えない。
そんなことを考えながら、ライチは最初の仕事をしようと動き出す。
「ところで」
「……?」
「あなたは将軍と随分と仲が良かったとお聞きしております」
「ええ、まあ。かなり親密な関係を築かせていただいていると自負しておりますが」
質問の意図が分からず、眉を顰めるリグロ。
その反応に気づきつつも、ライチは言葉を続ける。
「いろいろなことも知るような機会があったのでしょうね」
「……何をおっしゃりたいのですか?」
不穏な雰囲気に気づいたリグロは、ジリッと後ずさりする。
しかし、出入り口はライチの後ろ。
その事実に舌打ちをする。
「将軍は慎重なお方だ。あまり深く知っている者を、どうやら多く存在させたくはないようです。もちろん、私も気を付けなければなりませんがね」
「ま、まさか……!?」
ハッと目を見開く。
次の瞬間、ズブリと彼の腹から剣が飛び出してきた。
「ぎゃっ!?」
致命傷だ。
激痛にもだえながら地面に倒れる。
広がる赤い血だまりは、止まりそうにない。
仲間がいたのか!
リグロはかすれる意識の中思った。
「き、貴様……!」
「おや、それが本性ですか? 仮面をかぶっているとは思っていましたが、こんな正反対だと生きるのも大変でしたでしょうに。お疲れ様です、もう仮面をかぶる必要なんてありませんよ」
「お、俺はまだ、死にたく……!」
必死に足掻こうとするリグロに、ライチはニッコリと笑みを浮かべる。
「ご安心を。あなたの身体は、しっかりと使わせていただきますとも。そういう意味では、まだあなたは生きているのですよ」
そう言って、ライチはリグロへと手を伸ばし……リグロの意識は、二度と浮上しない闇に飲まれるのであった。
 




