第51話 人類を裏切った理由
「こ、ここは……?」
目を開くと、視界に入るのは冷たい岩壁。
随分と冷えるので、ブルリと身体を震わせる。
のそりと身体を起こせば、洞窟のようだった。
比較的出入り口に近い場所にいるので、真っ暗というわけではない。
「雨……」
バケツをひっくり返したような、そんな激しい豪雨だった。
これでは、外に出られない。
レインハートの元までどれくらいかかるのか分からないし、そんな中雨に濡れて身体を冷やせば、頑丈とはいいがたいアイリスにとっては致命的である。
それに……。
「……っ」
自分を攻撃してきた人類の元に戻るのは、勇気が必要だった。
「いったい、誰が私を助けてくれたのでしょうか……?」
自分は、柔らかな落ち葉の上に寝かされていた。
でなければ、硬い岩の上に寝かされ、身体が悲鳴を上げていたことだろう。
そんな彼女に、洞窟の出口からのそりと現れた男が声をかけた。
「ん、起きたか?」
「ひっ……!?」
尻もちをついたまま後ずさりするアイリス。
びっしょりと雨に濡れて入ってきたのは、悪名高い【赤鬼】ラモンだった。
ここには、レインハートはいない。
戦闘能力が微塵もない彼女が、懸賞金の額を一日ごとに跳ね上げさせている危険人物と近くにいて、恐怖を覚えないはずがなかった。
アイリスの反応に、ラモンは苦笑いする。
「おいおい、助けてやったのにひどい反応だな」
「あ、あなたが私を……?」
「ああ。……もちろん、君の魔法を水晶に込めてもらうためだ。安心しろ、変な要求はしないから」
ビシッと指をさしてくるラモンに、拍子抜けするアイリス。
もっと無理難題を言われるのかと思っていれば……。
「ふっ、ふふっ……」
だから、つい気を抜いて笑ってしまったのも仕方ないだろう。
彼女は善性の塊だ。
少しでも気を許してしまうと、明確な壁はみるみるうちに取り払われるのであった。
「情報を集めるために周りを見てきたが、どうやら崖下のようだ。戦場にはなっていないが、まあいずれここもばれるだろう。この洞窟に一応避難しているけど、すぐに出た方がいいだろうな。この雨が止んだら、すぐに行動しよう」
「そうなんですか? ここにいたら安全だと思うんですが……」
小首をかしげる。
かなり頑丈そうな洞窟だ。
多少の衝撃があっても、崩れることはないだろう。
しかし、ラモンは苦笑いする。
「人類と魔族、どっちが先に来るかだな。人類だったら俺がやばいし、魔族だったら君がやばい」
確かに、その通りだ。
どちらが来ても、どちらかが死ぬかそれよりもつらい目に合うだろう。
ゴクリとのどを鳴らす。
「それに、洞窟はそもそもあまりいい場所じゃない。冷えるから今みたいな雨が降っていたら最悪だ。それに、衛生的にもあまりよくない。この洞窟を住処にしている猛獣や魔獣もいたら、それとの戦闘もある」
「な、なるほど……」
レインハートとの戦闘に勝利したラモンが負けるとは思わないが、彼が自分を守る道理はない。
激しい戦闘の巻き添えになれば、瞬く間に天に召されるであろう自分を想像し、顔を青ざめさせる。
「とにかく、まずは腹ごしらえだな。ほら、適当に採ってきたから、食べろ。そして、水晶に魔法を入れてくれ」
「は、はい」
ラモンは果物などを取ってきてくれたようだった。
激しい戦場を駆けまわっていたため、今更ながら空腹に気づく。
頬を赤らめ、いくつかの果物を貰って食べる。
そのおいしさに頬を緩め……少し余裕が生まれたため、気づくことができた。
ラモンの腹部が、血で染まっていることに。
「……ちょっと待ってください。その怪我、どうしたんですか?」
「ん? んー……」
「言ってください」
「きゅ、急に強く出るようになったな」
先ほどまで怯えていたとは思えないほど、アイリスはラモンに顔を近づける。
ハラリと美しい銀髪が垂れる。
性格だけではなく見た目でも聖女と称賛されるアイリスに顔を近づけられれば、さすがのラモンも目を背ける。
「……もしかして、私を助けるために……」
あの時、落下しながらかすかに覚えているのは、ラモンがこちらに手を伸ばしていたこと。
もし、彼が自分を犠牲にして助けてくれていたのだとしたら。
傷が開いているのにもかかわらず、豪雨の中食べ物を取りに行ってくれていたとしたら。
アイリスは、申し訳なさでいっぱいになってしまう。
「水晶に魔法を入れてもらうためだ。だから、俺のため。気にするな」
「……っ」
ふっと笑うラモン。
そんな彼の傍により、すぐに聖女と称賛される所以の回復魔法をかける。
申し訳なさ以外に、胸に宿る温かい気持ちに蓋をして。
回復魔法は温かい。
ラモンもぼーっとしてくる。
とくにそこに付け入るつもりはなかったが、ふとアイリスは気になったことを尋ねた。
「……ラモン様は、どうして魔王軍に入ったのですか?」
「ん?」
どうして、おのれを犠牲にしてまで他人を助けようとする人が、魔王軍にいるのか。
アイリスはどうしても気になってしまう。
回復魔法をかけられて、いい感じに意識がもうろうとしているラモン。
素面なら決して話さないが、ついポロリと口から漏れた。
「幼馴染に会うため……だな……」
「幼馴染さんも魔王軍に入っているんですか?」
「いいや、逆だよ。人類の英雄になっている」
遠くを見る目。
それは、回復魔法で心地いい眠りにつこうとしているからか、あるいはその幼馴染を思い出しているからか。
「聖勇者、って知っているだろ?」
「はい。教皇国の勇者様ですよね。各国の勇者の中でも、最強と謳われている……」
聖勇者アオイ。
人類軍の最高戦力である。
その実力は、帝国勇者のレインハートをも軽くしのぐ。
彼女の上げた戦果は数えきれず、彼女一人で魔王軍の一軍が壊滅した戦場もある。
人類にとってはまさしく救世主であり、魔王軍にとっては悪魔そのものだった。
何の躊躇もなく、ただ機械的に魔族を殺戮していくその姿から、畏怖を込めて【鏖殺の聖勇者】とも呼ばれている。
「あいつさ、俺の幼なじみなんだ」
「えっ!?」
唖然とする。
魔王軍指揮官の【赤鬼】と、人類軍勇者の【鏖殺の聖勇者】が幼馴染だったなんて。
とてつもないつながりである。
「村で暮らしていたら、いきなり勇者なんかになってさ。また会いたいから必死に頑張って近づいたら、もう俺のことなんて忘れてやがった。本当、ひどいよな」
「忘れる……?」
「たった数年でだぞ? 薄情な奴……ってわけじゃないんだよ、きっと」
その言葉を聞いて、アイリスは思いいたる。
もし、強大な力を手に入れるための引き換えに、記憶などといった人格を犠牲にしたのであれば。
それが、聖勇者自身から望んだことではなく、何者かに強制されたことなのだとしたら。
「そんな……教皇国は、そんなことを……! 許されるはずがありません!」
「でも、一人の人生を潰す代わりに、人類を救えるんだ。君みたいな優しい子は少数派で、大多数は教皇国の判断を支持するよ。自分じゃない奴が犠牲になるだけなんだから……」
比較だ。
顔も知らない誰かが一人犠牲になるだけで、自分も含めた数十万人数百万人が救われるのであれば、一人を犠牲にする。
その選択を取る者がほとんどだろう。
その選択を、教皇国という国家がとっただけだ。
アイリスのように善性の強い者は声を上げてくれるが、他の大多数は見て見ぬふりをするだろう。
「だから、ラモン様は聖勇者様を助けるんですね……」
だから、ラモンは魔王軍に与し、人類の敵になった。
犠牲を許容する人類軍にいたら、一生アオイを救うことはできない。
たった一人の幼なじみを助けるために、人類を裏切り、最悪の裏切り者と非難されることも許容して、魔王軍に入ったのだ。
「いや、たぶんもう助けられないんだよ。もう進みすぎている。俺程度じゃあ、引き戻すことができない。それは、不可逆なんだ」
「そんな……! じゃあ、ラモン様はどうして……」
アオイを救うことはできない。
彼女を元に戻し、再び村で二人ふざけ合いながら生活していくことはできないのだ。
だから、ラモンがアイリスの魔法を求め、アオイに会いに行く理由は、彼女を助けるためではない。
「村にいた時、伝えたかったことを伝えられなかったんだ。だから、それを言いたくてさ」
そう言うと、ラモンは照れたように笑った。
「告白、かな」