第50話 はあ!?
「あ、ああ……」
アイリスは顔を蒼白にする。
それもそうだろう。
相手は自身が最強と頼りにしていたレインハートをも倒す男。
人間なのに魔王軍に与した、人類史上最悪の裏切り者。
【赤鬼】ラモン・マークナイト。
近時、名を上げている男なのだから。
「えーと……そんなに怯えなくても……」
「で、ですが、私たちを、殺すのでしょう?」
「あー……。まあ、確かに君たちの力は脅威だ。魔王軍にとって、都合が悪い。ここは戦場だし、俺が勝った以上、君たちの生殺与奪権は俺にある」
ばつが悪そうに言うラモン。
戦闘能力が高いレインハートはもちろん、アイリスもまた脅威である。
むしろ、ラモンはアイリスの方を高く評価していた。
回復魔法の使い手、【聖女】アイリス。
彼女の卓越した回復魔法は、致命傷を負っていても完全回復させることができる。
これが、どれほど凄いことか。
再起不能にしたはずの敵が、再び元気に襲い掛かってくるのである。
敵軍としては、アイリスの方が恐ろしかった。
魔王軍のため……というより、自身の目的の前に立ちはだかるだろう。
だから、自分のために彼女たちを殺す覚悟を決めていた。
「お、お願いします! 私のことは構いません。ですから、勇者様だけは、お助けください!」
「え、いや……うーん……」
顔を青ざめさせて懇願するアイリスに、ラモンは困惑する。
自分よりも他者を助けようとする心意気は、見事なものだ。
命が何よりも軽くなる戦場で、こんなことを言えるものは多くない。
だが、その美しい光景を目の当たりにしても、ラモンは折れない。
「でもさ、君たちってめちゃくちゃ有能だから、生かしておくとすっごいこっちが困るんだよな。分かってくれる?」
「も、もう勇者様は戦いませんから!」
「ほんとぉ? かなり正義感が強そうな立派な子なんだけど。君とのきずなも深そうだから、君だけを殺したらどこまでも追いかけてきて殺されそうなんだけど」
もし、ラモンがアイリスの要求に応じ、彼女だけを殺せば。
おそらく、レインハートは復讐の鬼となって、どこにいてもラモンを見つけ出し、殺そうとするだろう。
自分が弱い人間であることを自覚している彼は、そんな恨みを買いたくなかった。
あまりラモンを揺らすことができていないと悟ったアイリスは、ついにその言葉を口にする。
「な、何でもします! 私なら、何でも……!」
「ん? 今何でもするって言ったよね?」
「は、はい……」
即座の反応に、アイリスがビクッと身体を震わせる。
今となって、言いすぎてしまったのではないかと思う。
ラモンも男だ。
そして、自覚はあまりないが、貴族たちからよく縁談を持ちかけられるほどに、アイリスは整った見た目をしていた。
アイリスが不安に思うのも当然だろう。
ラモンが彼女を確かめるように、ジロジロと見ているということもあった。
身体を震わせるアイリスに、ついにラモンが口を開いた。
「じゃあ、ちょっと聞きたいんだけど、例えば混乱状態みたいな人間を治すような魔法って使える?」
「混乱状態みたいな、ですか?」
まさかそのようなことを聞かれるとは思っておらず、目を丸くしてしまう。
そして、つい自意識過剰なことを考えてしまったことに、恥ずかしくなって顔を赤らめる。
一方で、ラモンは真剣な表情のままだ。
「ああ。単純に混乱しているってわけじゃないんだけど、ちょっと自分を見失っているような、そんな感じなんだが……」
言いづらそうに言葉を詰まらせるラモン。
しっかりとした答えを出すには、詳細に話してもらうことが一番なのだが、彼はそれを望んでいないだろう。
慮って、アイリスは話した。
「直接見ていないので断言はできませんが、狂気に陥った人を正気に戻す魔法はあります。そして、私もそれを使えます」
「君を直接会わせるのは難しそうなんだが……」
「たとえば、何かしらの器を用意していただければ、私がそこに魔法を込められます。それを使っていただければ、私が行く必要はないでしょう」
どこまで器が耐えられるかということもあるが、要は一つの魔道具を作り出すということだ。
一から道具を作ることはできないが、空の器に魔法を注ぎ込むことはできる。
目を見開いて、ラモンは笑った。
心底嬉しそうな彼の顔に、アイリスはひどく驚いて、毒気を抜かれた。
「……そうか。じゃあ、この水晶に君の魔法を込めてくれ。そうしてくれたら、君たちを殺すことはしないと誓おう」
「本当、ですか?」
上機嫌なラモンは、鷹揚に頷いた。
「ああ。俺も君たちみたいな好感を持てる人を、むやみに殺したくないしな。それに、これがあれば……最期くらいは、あいつらしいあいつに戻すことができるだろうから」
「あいつ……?」
どこか遠いところを見るラモンに、アイリスは首を傾げた。
そんな時だった。
「いたぞ! 【赤鬼】だ!」
アイリスの背後から、そんな怒鳴り声が聞こえてくる。
言葉の内容から、ラモンの敵であり、アイリスの味方であることは明白だった。
「お、仲間だな。悪いけど、早く魔法を込めてくれ。君たちがいる以上、いきなり攻撃を仕掛けてくることはないだろうから」
「は、はい」
差し出された水晶を受け取る。
本当なら、それを投げ捨てて一目散に仲間の元に逃げ出してもいいのだろう。
しかし、アイリスは、ラモンが誰かを救うために助けを求めているのだと解釈した。
そして、そんな人物を、彼女は見捨てることなんてできない。
水晶に魔法を込めようとして……。
「撃て! 今が好機だ!!」
「はあっ!?」
聞こえてきた声に唖然とするラモン。
いや、ブラフだろう。
今までさんざん人類のために尽くして戦ってきた勇者パーティーを、まさか自分諸共消し飛ばそうとするはずが……。
ラモンは自分の価値というのを確かに認識していなかった。
今の人類にとって、唯一と言っていいほど煮え湯を飲まされている男。
彼にたいして莫大な懸賞金がかけられており、デッドオアアライブ……というより、さっさと殺してしまえと血眼になって狙われているということを。
「あ……」
アイリスの視界いっぱいに映るのは、空を埋め尽くさんばかりの魔法攻撃。
多種多様なそれは、一種の美しさすら見られる。
しかし、戦闘能力のないアイリスにとって、まさしく死を覚悟する光景だった。
「くそっ……!」
ただ死を待つしかないアイリス。
そんな彼女の前に現れたのは、ラモンだった。
乱暴ではあるがレインハートを遠くに投げ飛ばす。
勇者だし死なないだろう。平気だ、平気。
とっさにダーインスレイヴを構えるが、直後に魔法攻撃が炸裂した。
地盤が緩かったのだろう。
身体が宙に浮かび、そして落ちていく。
「きゃああああああああ!?」
悲鳴を上げ、落下する恐怖で意識を失うアイリス。
その途切れていく記憶の中、ラモンが自分に手を伸ばしているのを見た気がした。




