第5話 あなた、バカなんですか?
「あなた、バカなんですか?」
「久しぶりに会って、いきなりバカ呼ばわりは驚くわ」
思わず口をついてしまう。
目の前にいる男は、魔王軍において自分よりも立場が上である。
本来であれば、このような口の利き方は許されない。
相手によれば、これを理由に処刑されても不思議ではない。
しかし、言われた当の本人は、苦笑いするだけである。
その余裕な感じが、なおさら彼女をいらだたせる。
「バカにはバカというしかないでしょう。バカなんですから」
「めっちゃ連呼してくる……」
シュンと落ち込むしぐさを見せる男。
ちょっとかわいいと思いつつも、彼女は絶対零度の視線を緩めることはない。
「まさか、私の聞き間違いだったのでしょうか。きっとそうなのよね」
「何が?」
首を傾げる男。
そんな彼に、なおさら苛立ちが増す。
こいつ、とんでもない状況に陥っているというのに、自覚がないのか?
自分はこんなにも焦っているというのに、本人がのほほんとしていれば、腹が立たないはずがなかった。
ふーっと息を吐いて心を落ち着かせる。
クールだ。クールになるんだ。
馬鹿が理解していないのであれば、説明するほかない。
いや、そもそも自分の聞き間違いだったという可能性も捨てきれない。
彼女は心を落ち着かせ、もう一度男に聞いてみる。
「あなた、何になったって?」
「最高指揮官だけど?」
頭を抱える。
何を今さら? みたいな顔をしているが、その顔をぶんなぐりたい。
なにのんきなことを考えているのだと。
「……やっぱり、バカね」
「結局バカっていう評価は変わらないのか……」
また肩を落とす男。
こういう些細なことで落ち込むくせに、どうして変なところで図太いのか。
「まず、人間のあなたが最高指揮官なんて、他の魔族が納得するの?」
「……シルフィとか?」
「なんで疑問形なんですか?」
少し考えて名前を呼ばれた彼女――――シルフィは、目を吊り上げさせる。
ちょっと耳が赤くなっているのはご愛敬である。
男はまったく気づいていないし、無問題である。
「魔族が人間に従うことは、ありえません。あなたと交流がある人たちは知りませんが」
魔王軍最高指揮官に、人間が就任する。
それを、どれほどの魔族が認めるだろうか?
おそらく、ほとんどの魔族は認めないだろう。
今も激しい戦争を繰り広げている人間が、自軍のトップになる?
しかも、魔族はプライドが往々にして高い。
基本的に、誰かの下につくことは好まないし、認めている相手でなければ大人しく従わない。
魔族のプライドと人間であること。
この二つから考えて、彼が最高指揮官として動くことができる可能性はほとんどない。
「じゃあ、シルフィは認めてくれるってわけか」
「……は? 知りませんが?」
しかし、シルフィのように、彼と交流のある魔族は別である。
実際、シルフィは彼が指揮官として命令したことに、忠実に従うだろう。
それだけの信頼関係は築いているし……彼の実績を認めている。
だが、そんな素直に認めていると直接言えるはずもなく。
シルフィは、やはりそっぽを向くのであった。
「いいよ、それで。シルフィが俺を認めてくれるんだったら、頑張ってみるさ」
笑みを浮かべる男に、シルフィは何ともモヤモヤする。
そんな大変なことなのに、自分なんかを判断基準にするなと言いたくなる。
だが、ほのかな嬉しさも確かにあって……それを振り払うように首を振った。
「……そもそも、この時期、敗戦濃厚の今に、あなたに最高指揮官を任命する理由は分かっているでしょう?」
「まあな」
あっさりと答える。
そうだ。
この男は、バカだがバカではない。
何とも難しいのだが、根本的に、または致命的にバカというわけではなく、自分の置かれた状況をしっかりと理解している。
それなのに、それを受け入れている。
また苛立ちがシルフィの胸中を占める。
「どう考えても、敗戦の責をあなたに押し付けるつもりです。魔族たちはあなたのせいで負けたと呪詛を吐き、人類は裏切り者のあなたを喜んで処刑するでしょう」
「だろうなあ」
「……そこまで分かっていて、どうして引き受けたの。バカなの?」
またもやあっさりと答える男に、ついシルフィは敬語すら忘れ、本音を話してしまった。
素の彼女の話し方は、このような歯に衣着せぬものだ。
よく思われないことも多いが、男はズバズバ物を言うシルフィのことを気に入っているらしく、気分を害した様子もなく笑っていた。
「んー……。まあ、俺の代わりにしてくれそうな奴がいなかったっていうのもあるし」
あまりにも暢気。
カッと頭に血が上ったシルフィは、その激情に突き動かされるままに口を開く。
「そんなの、他の魔族にやらせれば……!」
「それに、このまま負けたら、魔族は本当に人類の奴隷に成り下がってしまう。最期に一当てしておかないと。魔族を追い詰めたら、痛い目に合う。そう人類が思うような一撃を、叩き込む必要がある」
スッと目を細め、男が初めてシルフィにちゃんと向き合って答える。
それは、考えなしの目ではない。
しっかりと考え、自分の結末も予想して……それでも、この選択肢を選んだ。
決断した男の顔だった。
「あなた……」
「それに、俺はシルフィが思っているほど潔い人間じゃないぞ。この戦いで死ぬつもりはないし、敗戦の責を押し付けられて処刑されるつもりもない。何とか逃げ切ってみせるさ」
笑みを浮かべる男に、シルフィはグッと胸が詰まりそうになる。
どうして、こんな窮地に追いやられているのに、こんな顔ができるのか。
バカではない。
これは、覚悟を決めた……。
「その時は、一緒に旅でもするか。同じところに定住することはできなくなるだろうし」
空気を換えるように、男は声音を高くしてそんなことを言う。
シルフィは想像する。
男と一緒に旅をする自分の姿を。
のどかな細い道を二人そろって歩き、夜になれば焚火を前にしてぼーっとして……。
そんな自分は、とても幸せそうで。
「……戦犯と一緒に旅なんてしたら、私も狙われるでしょう。嫌です」
「あっさり!?」
肩を落とす男を見て、シルフィはめったに浮かべない笑みを見せ、彼に言った。
「……嘘です。いいですよ、旅。一緒に。だから……」
――――――死なないで。
その言葉は、男に届くことはなく。
そして、シルフィはその男――――ラモン・マークナイトと生きて再会することは、二度となかった。