第49話 昔から
「失敗した!? 失敗しただと!? クソ! クソクソクソ! 俺の計画が台無しじゃねえか! 何が聖女のためだ。何の役にも立たねえ雑魚が!」
近くにあった椅子を蹴り上げるリグロ。
荒々しく怒りに染まった彼の表情は、普段の穏やかな笑顔ばかり浮かべるのとは想像がつかない。
しかし、これがリグロの本性である。
誰にも見せない、利己的で独善的な男だった。
「あー……最悪だよ……。まだ甘い汁を啜っていこうと思っていたのによぉ。もうここにいられねえじゃねえか。なんなんだよ、マジで。あの赤髪、本当鬱陶しいわ」
ひとしきり暴れて、怒りが少し落ち着いた。
彼は残っていた椅子に腰かけ、深くため息をつく。
ここはとても居心地がいい場所だった。
彼の他人向けの仮面をかぶれば、自身の欲望のすべてを満たすことができる場所だった。
それを、突然やってきたいけ好かない男が、あっけなくつぶしてくれた。
ラモンに対するいら立ちは、非常に強い。
「まっ、仕方ねえ。失敗しちまったもんは、もうどうすることもできねえ。俺のことも直にばれるだろうし、さっさととんずらするか」
コロリと切り替えるリグロ。
こういう事態に陥っても、引きずらずに自分がすべきことを考えられる。
だから、ホーリーライトでも一切信仰心を持たずして幹部にまで上り詰めることができた。
ここにいることはできない。
自分が暗部を差し向けたことがばれれば、当然咎を受けるだろう。
アイリスは甘いから殺されることはないだろうが、自由を拘束されるのはリグロとして受け入れられなかった。
欲望のままに生き、それを発散しなければならないのだから。
「ホーリーライトに聖女様。俺の懐を潤してくれて、ありがとうございました。祝福とか適当なことを言っていたら、女も好きに抱けたし最高だったわ。次は、俺が宗教でも作ってみるか?」
カラカラと笑いながら、リグロは自身の財産を集める。
もちろん、その大半は別の場所に隠してあるので、自分の持てる範囲の財物だ。
質素を好むホーリーライトでは、豪遊はできなかった。
なら、今度は精一杯楽しもうではないか。
身支度に奔走しながら、ふと思い出した。
「あー……そういえば……。よし、最後まで搾り取らせてもらうとするか」
ニヤリと笑ったリグロは、引き出しの奥深くに入れてあった水晶を取り出す。
小型なそれは、遠隔地と連絡を取ることができる通信手段だった。
登録した魔力でなければ起動しないそれは、当然リグロの魔力に反応して作動する。
そして、相手方にも彼が求める者が現れた。
「もしもし? 通じていますか?」
『ああ、よく届いている。君から連絡が来たということは、私は期待してもいいのかね?』
「ええ、もちろんです。あなたもお忙しい。私も余計なことでご連絡なんてできませんから」
重厚感のある男の声に、リグロは愛想よく答える。
彼にも当然本性は見せない。
まあ、身内を売ろうとしているのだから、相手からはクズだと思われているのだろうが。
どうせ、二度と会うこともない相手だ。
リグロは一切気にすることなく、口を開いた。
「あなたの欲しがっていた聖域の情報。と言っても、私が知っている範囲のことなんて限られていますが……。それを、お伝えしましょう」
◆
「そ、その……彼らは殺さないんですか?」
「ん?」
アイリスは、ついそうラモンに尋ねていた。
かなり失礼な質問だ。
言ってから顔を青ざめさせる。
そもそも、彼に対してそのように尋ねることがおかしいし、逆に『じゃあ殺す』と言われたらとても大変だ。
アイリスのメンタルが死ぬ。
「せ、聖女と呼ばれていますが、意外とバイオレンスですのね。自分を慕う人たちをぶっ殺せって言っていますわ」
「ち、ちがっ、違いますぅ! 命を狙ってきた相手を倒したら、普通は命を取るものですから! そういうの、あの戦争のときに嫌というほど見たんです!」
ナイアドが戦慄しながら言ってくるので、慌てて弁解する。
「まあ、殺します」
「うむ。普通、殺す」
大戦を経験しているシルフィとレナーテは、コクコクと頷く。
凄惨な戦いを経験しているからこそ、アイリスたちはよく理解している。
人の命というのは、簡単に奪われる。
価値は、高くないのだということを。
ラモンはそれに対して苦笑いする。
「いや、まあシルフィや姫さんたちを狙っていたら殺していたかもしれない。でも、俺だけだったようだし、単純にアイリスのことを心配して襲い掛かってきたみたいだったから、まあいいかなって」
「……相変わらず自分のことになると」
「ち、違う。自分のことをないがしろにしているわけじゃなくて……!」
シルフィに慌てて弁解するラモン。
そこに、面白がってレナーテがちょっかいをかける。
シルフィの機嫌は急降下だ。
ワイワイと騒がしくなったラモンたちを見て、アイリスはポツリと呟いた。
「……ああ、そうでした。あなたは本当に優しい人で……。だから、勇者様もラモン様を仲間にしようと言っていたのでした」
「昔からでしたの?」
「ええ。昔から、です」
尋ねてきたナイアドに、にっこりと笑うアイリス。
彼女は、ラモンのことを知るきっかけとなったことを思い出すのであった。
◆
戦闘音が鳴り響く。
金属同士がぶつかり合う甲高い音。
爆発音。
大地が割れる音。
どれもこれも激しく、非戦闘員であるアイリスは耳を塞いでしゃがみ込みたくなる。
そうしないのは、ひとえに戦っているのが自分のパーティーのリーダーだから。
誰にも負けないと信じている、とても強い少女。
勇者レインハート。
公私ともに親しくしてもらっている、大切な存在だ。
どれほど強い魔族でも、数合ぶつかり合えばほとんど倒すことができる力を持つ。
そんな彼女と、現在戦っている魔王軍の人間は、かれこれ十分近く戦い続けている。
そして……。
「ぁ……」
「あ、ああ……」
ドサリと地面に倒れ伏したのは、レインハートの方だった。
最強であると信じていたリーダーが、地面に屈している。
そのありえない光景に、ただただアイリスは呆然とするしかなかった。
呆然と、レインハートを倒した男を見る。
「……なんだか君たちとよく会う気がするな」
多少疲弊した様子を見せながらもしっかりと自分の足で大地に立っているのは、ラモン・マークナイト。
いくつかの局地戦で人類軍に痛手を負わせたことから、近時、人類軍の中でも名が広がり始めている、魔王軍に所属している人間だった。