第44話 なにが?
「おい、お前様。揉めてどうする」
「あー、悪い」
肩越しに姫さんの顔が現れると、叱られてしまう。
スリスリと頬ずりされる。
「それほど、聖女がお前様にとって大切じゃったのか。ウンディーネが嫉妬しておるぞ」
ケラケラと笑うと、胸ポケットが騒がしくなった。
それはそうと、頬をつねるのを止めてもらっていいですかね?
「今すぐ訂正し謝罪するのであれば、多少の苦行で許して差し上げますが?」
関係者がそう言って、無機質な表情で睨んでくる。
謝っても何かされるんですか……。
「俺は間違ったことは言っていない。謝る理由もないな」
「そうですか。残念ですが……」
関係者が何か合図を送れば、ぞろぞろとホーリーライトの信者たちが集まってくる。
皆剣呑な雰囲気だ。
人によれば、武器を持っている者もいる。
さて、どうしたものか……。
ガチャガチャガチャガチャ!
悩んでいると、差しているダーインスレイヴが騒ぎ始める。
む、昔からだけど、急に動かれたらマジでびっくりするからやめてほしい。
なになに?
私とラモンの力を見せてやる、との言。
……ここにいる連中を皆殺しにしそうな勢いで張り切っていらっしゃる。
「お待ちください」
ダーインスレイヴによる鮮血祭りが開かれる直前、清涼な声が届いた。
俺たち以上に、ホーリーライトの信者たちの反応が劇的である。
一斉に跪き、顔を伏せる。
「せ、聖女様……!? どうしてここに……」
「これほど大きな騒ぎがあれば、気づきますよ」
苦笑いしていても美しさが陰らないその姿は、とても見覚えがあった。
腰ほどにまで伸びた銀色の美しい髪。
日にあまり当たっていないであろうことが推察できる、青白い肌。
紫紺の瞳は、理知的で慈悲に満ちていた。
身体の線がほとんど出ないような衣服を身に着けているのは、姫さんとは正反対である。
彼女こそ、帝国の勇者パーティーの聖女……アイリスであった。
「あれは、自分の身体に自信がないのじゃ。妾はありまくりじゃからさらす。全部見せてもよいぞ?」
止めてくれ。
「ですが、お休みいただかなければ、大変なことになります!」
「私が多少無理をして多くの人が助けられるのであれば、何の問題もありません。それに、あの対応はよくありません。皆さんが私のためにしてくださるのは理解していますが、ああいうことならやめてください」
「…………」
柔らかくも厳しく言いつけられ、多くの信者たちが顔を下げる。
……ただ一人、俺と最初に言いあった男だけは、歯を食いしばっていた。
俺が魔王軍にいてそこそこの地位に上り詰めた時、ああいう顔をする魔族の部下を見たことが何度もある。
だから、気づけた。
彼は、納得していないんだろうな。
アイリスはこちらを振り返り、たおやかに腰を曲げた。
「あなたにも、申し訳ありませんでした。つきましては、先にお体を見させて――――――」
豊かな銀髪を揺らしながら、ゆっくりと顔を上げるアイリス。
俺の顔を捉えて……硬直した。
……ああ、挨拶がまだだった。
「あ、久しぶり、アイリス」
やっと手を上げる。
まったく知らない間柄ではなく、そこそこ親しい数少ない人間である。
だから、俺は気楽に挨拶をしたのだが……。
アイリスは顔を真っ青にし、真っ赤にし……土気色にした。
「ぴゃあああああああああ……」
そして、卒倒である。
こ、この場で卒倒されたらマズイですよ、俺たち!
◆
「え……嘘、ですよね?」
呆然と聞き返すアイリス。
彼女のパーティーのリーダーである勇者も、ばつが悪そうに顔を歪めている。
彼女が決めたことではないことを伝えているのだから、なおさら気まずいだろう。
それでも、アイリスは知らなければならない。
彼女と縁のある男の末路なのだから。
「……いいや、本当だ。魔王軍との終戦交渉で、人類側の条件の一つとして提示された。そして、魔王軍はそれを受け入れた」
第四次人魔大戦。
人類と魔族の間で勃発した大規模な戦争は、先日ついに終わりを迎えた。
人類の勝利に終わったこの戦争で、講和のための会談が開かれる。
そこで、勝者から敗者に突きつけられた条件は、多額の賠償金や領土の一部割譲などがあげられるが、その中でも異色の条件があった。
たった一人。
たった一人の個人に対する条件だったからである。
種族と種族の大規模な戦争で、一人の個人がやり玉に挙げられることは、通常では考えられない。
その条件が、以下のものだ。
ラモン・マークナイトの墓を建て、戦争主義者のシンボルにすることの禁止。
未来の子供たちへの悪影響を鑑み、ラモン・マークナイトの記載のある図書発行の禁止。
いまだ見つかっていないラモン・マークナイトの死体が発見された場合、人類側への引き渡し。
それを聞いて、アイリスは顔を蒼白に変える。
「そんな……彼はもう亡くなって……。それなのに、魂を慰撫することも許されないんですか!?」
あまりにもひどいではないか。
死ねば、誰しもが敬意を払って供養されるべきではないのか。
心優しいアイリスは、なおさらそう思ってしまう。
「……人類は、彼に煮え湯を飲まされ続けたからね。とくに、作戦を起案して実行させた上層部のメンツは、ことごとく潰されたと言える。なら、死後も辱めようとするのは、不思議ではないよ」
ラモンが台頭してきたのは、戦争の趨勢が人類に傾き出してから。
すなわち、人類優勢の時だった。
後は、軽く魔王軍を押しつぶすだけ。
そんな状況から、何度も局地戦をひっくり返され、戦略の練り直しを迫られた上層部の怒りはすさまじい。
もはや、恨みともいえるレベルで、ラモンに対して怒りを抱いていた。
「……ッ!」
「ちょ、ちょっと待った! どこに行くつもり!?」
駆けだそうとしたアイリスの腕をつかむ勇者。
鬼気迫る表情で、アイリスは振り返った。
「話を……話をしてきます! あの人は……ラモン様は、そんな悪辣な人ではないと!」
「言ったとしても、話なんて聞いてもらえないよ! すでにこれは決まったことだ! 魔王軍も、それを受け入れて動き出している。この講和を、台無しにするつもり!?」
「で、でも……それだったら……!」
涙をぽろぽろとこぼして、アイリスは絞り出す。
「あの人が、報われないじゃないですか……!」
そんなアイリスを見た勇者は、優しく彼女を抱きしめた。
「……君は、あの人に優しくしてもらったんだよね」
「……はい。あの時、私一人だったら、死んでいたと思います。それを助けてくれたんです。彼は魔王軍の指揮官で、私は勇者パーティーの一員なのに……。だ、だから、私は……っ」
涙が抑えきれず、勇者の胸元を濡らしていく。
もし、ラモンと出会うことがなければ。
もし、ラモンに助けられることがなければ。
心優しいアイリスと言えども、ここまで心を痛めることはなかっただろう。
死してなお、多くの人々に影響を与えるラモン。
そんな彼に、勇者は少し恨みを抱く。
「……大丈夫。僕たちがあの人のところに行くことになれば、一緒に謝ろう。アイリスを助けてくれた人なんだ。謝ったら、許してくれるさ」
「……はい」
二人は抱き合い、さめざめと涙を流すのであった。
◆
ところ変わって、現代。
「あ、あのあのあのあの……ご、ごめんなしゃいでした!」
「なにが?」
ものすごく涙目になって謝るアイリスに、ラモンはひどく困惑するのであった。




