第42話 ようこそ、ホーリーライトへ!
「お、おうさつ……」
「……そろそろ帝国だ。おしゃべりは控えてくれよ」
俺が声をかければ、ナイアドがビクッと肩を跳ねさせた。
……自分でも、こんなに低い声音になるとは思わなかった。
彼女は悪気がないのに、八つ当たりをしてしまったようなものだ。
申し訳ないな。
後でちゃんと謝らないと。
しかし、道を歩いている人を幾人か見られるようになってきたのも事実である。
姫さんと子供はローブで隠すことができても、ナイアドやシルフィはどうしようもない。
大人しくポケットに入っていてもらおう。
「……なんだか、人が多いですわね」
「帝国は大国だからな。人の往来が多いのは不思議じゃないんだが……」
しばらくしてから、ナイアドが呟く内容に頷く。
帝国に向かって歩いているわけで、人通りはとても多い。
もちろん、そのすべてが人間だ。
それは別に構わないのだが、異様な光景が広がっていた。
「随分と怪我をしている様子の者が多いですね」
シルフィがひょっこりと顔だけ出して呟く。
そう、怪我人だらけだ。
帝国への道を歩いている者の多くが、身体のどこかに包帯を巻いている。
そうでない者は、明らかに具合が悪そうだ。
健常者は、その介助をしている者くらいだろう。
これはあまりにもおかしい。
「だなあ。戦争をしているのか?」
「いいや、幻影で遊びまわっていた時も、そんな話は聞いたことがないのう。水面下や小競り合いは知らんが、大きなものはなかったはずじゃ」
なに遊んでんだ、この姫さん。
自分の本体がかなり危険な状況にあったというのに、とんでもない鋼メンタルである。
呆れたため息をついていると、近くを歩いている壮年の男に話しかけられた。
「やあ、お兄さん。あんたも帝国に向かっているのか?」
「ええ。連れを治してやりたくて」
「連れじゃ」
手を掲げる姫さん。
その間に、男の様子を窺う。
どうやら、こちらを探るということではなく、純粋に話をしたいだけのようだ。
見れば、片腕が欠損している。
彼も重傷だが、にっこりと笑みを浮かべた。
「ほほう、そうかい。あんたは平然としていたから不思議だったんだが、お連れさんか。見た目じゃわからんが、あの人に頼ろうとするってことは、それだけ重たいんだろうなあ」
「……あの人っていうのは?」
「なんだ? 知らないことはないだろう? あの人が目的で、帝国に向かっているんじゃないのか?」
途端に訝し気に見てくる男。
ま、マズイ。
というか、この怪我人病人の集団は、一人の存在を目的に歩いているというのか?
それは、凄いことだ。
「帝国に行けば治ると聞いただけでのう。これといって誰というのは知らんのじゃ」
「なんだ。だとしたら、あんたらは対価も持っていないようだな。なら、あの人の治療を受けることはできんだろう」
気の毒そうに見つめてくる男。
情報が色々ありすぎて、よくわからんことになっている。
まず、あの人というのが誰なのか。
俺は、アイリスだと思っていたのだが、だとしたら対価というところに引っかかる。
彼女の性格的に、何かを求めて誰かを治療することはないはずだ。
ただ戦場で会っていただけでなく、なし崩し的に数日共に行動したことから、それはよくわかっている。
では、アイリスではないのか?
「結局、あの人というのは誰じゃ?」
「アイリス様だよ。かつて、勇者パーティーに所属して、魔王軍を討ち果たした英雄だ。なんかすんげえ強い魔王軍の指揮官とも戦ったって話だぜ」
「誰のことじゃろうなあ……?」
ツンツンと頬を突いてくる姫さん。
や、止めろぉ!
「しかし、アイリスが対価を求めて他人を癒すような性格か?」
ポツリと呟く。
アイリスだと確定した今、それだけが不可解だ。
誰かを癒す生業をしているというのはよく理解できる。
だが、対価を支払うっていうのは、彼女の性格を知る俺だからこそ、納得できないことだった。
「なんだ? あんた、まるでアイリス様がどんな人か知っているような口ぶりだな?」
「あ、ああ……ほら、勇者パーティーの聖女と言えば、非常に慈悲深かったって聞いているからさ」
「まあ、対価は必要だろうさ。タダで医者から見放されるような重病や重傷を治してくれなんて、おこがましいよ」
「……だな」
男の言葉に頷く。
確かに、悪いことではない。
何かをすれば、それに見合う報酬をもらうのは当然だ。
社会が成り立つためには、必要不可欠のこと。
むしろ、昔のアイリスが歪だったということができるだろう。
ようやく、彼女は自分の価値を正当に理解できたのかもしれない。
それに、対価がなければ、際限なく彼女の元に救いを求める者が詰めかけるだろう。
今、彼女の元に向かっているこの集団も、かなりの数だ。
これが、世界中から集まってくれば、大変な事態になる。
だから、アイリスが対価を求め始めたのはいいとして……。
こ、困った。
対価として支払えるもの、何も持っていないぞ?
姫さんを治してもらうために、何をすればいいのだろうか?
「その魔剣を差し出したらどうじゃ?」
ガチャガチャガチャガチャ!
ダーインスレイヴ、大騒ぎ。
暴れないでくれ! ここは人目があるから!
姫さんに隠して保有されている恩がなければ殺していたとは、のちに聞いたダーインスレイヴの言である。
「じゃあ、ここを歩いている人たちは、皆アイリス……様を求めて帝都まで向かっているということですか?」
「ん? アイリス様は帝都なんてところにいねえよ? あの人は帝国の要職についているわけでもないし」
「では、妾たちはどこに向かっておるのじゃ?」
「あんたたち自身が知らない方がおかしいんだが……」
相変わらず怪訝そうな表情を浮かべながらも、男は答えてくれた。
「帝国の辺境。人里離れた集落。宗教集落『ホーリーライト』だよ」
◆
他の歩いていた人々と共にたどり着いた。
そこにそびえたっていたのは、巨大な建造物。
多くの場所に黄金がちりばめられている。
全体像は分からないほど巨大で広大だ。
そして、俺たちの集団とはまた別の集団がやってきている。
誰もかれも怪我人や病人だが、本当に様々な地域から救いを求めて集まってきているようだ。
そんな人々の対応をしているのが、同じような衣服を身にまとった人々だ。
彼らがホーリーライトの信者たちだろうか?
「これが……」
「こんな華美な建物、アイリスが好むかあ……?」
俺が気になるのは、どうしてもそこだった。
対価を求めるようになったというのは納得できる。
だが、この金をふんだんに使ったと見て分かるような建造物を、本当にアイリスが主導して建たせたのだろうか?
俺は、どうしてもそう思えなかった。
「さあさあ、アイリス様の救いの手を求めるお方々、よくぞお越しくださいました。では、簡単なアンケートにお答えいただき、先に進んでいただきます!」
にこやかな笑みを浮かべる信者。
彼は底知れない光を目に宿していた。
「ようこそ、ホーリーライトへ!」