第4話 ちょっと寝てろ
「おいおい、人間か? 人って殴られて水平に吹っ飛ぶんだな」
そう言って軽薄に笑う人間の男だが、しかしその頬には冷や汗が伝う。
茶化してはいるが、ラモンの力が人並み外れていることは理解していた。
一発でのされてしまうということ自体、かなりの力がないと不可能だ。
荒事に慣れているため、耐久力だってあったはずなのに、起き上がってくる様子はない。
警戒しないはずがなかった。
「周りが人外ばっかだったからなあ。これくらいできないと、舐められるんだよ」
一方で、ラモンからすれば何も不思議なことはない。
魔族は、人よりも優れた筋力を誇る者もいる。
そんな者たちを、人間が指揮する。
要は、舐められてはいけないのだが、人を殴って吹き飛ばすことができる程度のことは必須能力だった。
「なあ、争うのは止めねえか? 同じ人間じゃねえか」
そんなラモンに対して、男は融和的に話しかける。
正直、あれだけ嘲笑しておいて、攻撃まで仕掛けておいて、これから話し合いで解決しようというのはかなりむしがいい話である。
ラモンが応じる必要はどこにもないのだが、彼は話を聞く姿勢を見せる。
「ん? 彼女を解放してくれるんだったら、別にあんたたちをぶっ飛ばしたりしないぞ」
「それは困る。さっきも言っていたが、俺たちにとってこれはお金だ。生活するために金は必要……だろう?」
「それはそうだが、妖精狩りなんてことをしなくても、真っ当に働けばいいだろ?」
「大して労力をかけることなく、大金を手に入れることができる。お前の言う通り、真っ当に働くのは効率が悪いんだよ」
男たちとラモンの会話は平行線だ。
どちらも譲る気がないのだから、当然である。
そう、男たちも譲る気なんて毛頭ないのだ。
一人がナイアドを捕まえながらラモンと話しているとき、もう一人の男がこっそりと移動する。
ゆっくりと、ゆっくりと。
気取られないように、ラモンの死角に入ろうとする。
そちらに意識を向けさせまいと、注意を引き付けるように話し続ける。
「山分けでどうだ? そっちで伸びている奴はなしだ。その取り分を、お前にやる」
「話にならないな。俺の要求は、彼女を解放することだ。それ以外はないし、何を言われても屈することはないぞ」
あと少し、あと少しだ。
そして……。
「はぁ、そうか。そうかよ」
死角に、入った。
「あんたがそこまで言うんだったら……」
視線で合図する。
この男を、自分たちの邪魔をする愚か者を……殺せ!
「テメエを殺して、妖精を売り飛ばしてやるよぉ!」
飛び掛かる男。
さらに、ナイアドを捕まえていた男も剣を握って襲い掛かろうとする。
挟撃だ。
戦闘において数が多い方が有利だとされるのは、別方向から同時に攻撃を加えられれば、対処のしようがないということがある。
一人と相対していれば、背後から攻撃される。
どうしても掛かり切りになってしまうので、圧倒的な実力を持っていなければ、寡兵が多数を倒すことはありえない。
「がっ!?」
そして、幸いにしてラモンは圧倒的な実力を持っている。
最初に飛びかかった男の腹部に、剣の峰がめり込んだ。
為すすべなく崩れ落ちる男を見て、ラモンはどや顔ではなく困惑を浮かべていた。
「いや、あの……不意打ちなら声を出したらダメだぞ……」
「くっ、くそ……!」
「きゃっ!?」
残った最後の一人が、ナイアドを捕まえたまま背を向けて逃げ出した。
仲間たちを置いていき、しかし妖精だけは手放さない。
そのとことんまであれな性格は、ラモンも思わず苦笑いしてしまう。
「別にあんたたちを殺そうってわけじゃないんだ。だから……」
グッと姿勢を低くする。
足に力を溜めて……思いきり地面を蹴る。
魔法も何も使っていない、誰もがする駆け出すしぐさ。
しかし、ラモンがそれを行えば、先を走る男に追いつくことは一瞬のことだった。
「ちょっと寝てろ」
「ぎゃっ!?」
後頭部を殴りつける。
受け身を取ることすらできず、男は地面にズリズリと顔をこすりつけて沈んだ。
その衝撃で、手からナイアドの身体がふわりと上に投げ出され……ラモンが優しく受け止めた。
「……これで、多少恩返しはできたかな?」
「とてつもなく大きな恩返しになりましたわ」
◆
いやー、驚いた。
ちょっと目を離しただけで、妖精が捕まっているんだもんな。
彼女が教えてくれたことは、どうやら本当だったらしい。
あの戦争に負けて、人間は随分と横暴なことをしているらしい。
……最高指揮官である俺の責任も大きいよな。
まあ、最高指揮官なんて大層な地位になったのも、ヘルヘイムの戦いのちょっと前だったけど。
最初から最後まで、魔王軍の軍事トップを人間が務められるはずもない。
必要に迫られて……というか、あれは敗戦の責任を全部俺に押し付けられるようにするために、最高指揮官にしたところもあるだろう。
もちろん、それを知っていて俺も就任したのだから、文句を言うはずもないが。
魔族のすべてが、人間に従うなんてことはありえないのである。
「何を考え込んでいますの?」
「ん? ああ、いや……こいつらをどうしようかと思ってな」
妖精にすべて話すわけにもいかず、実際に困っていたことを告げる。
とりあえず、伸びている三人を集めてみたのだが……。
馬鹿正直に人間の街まで届けてやる義理もないし。
こっちは殺されかけたり誘拐されかけたりしたわけだから。
「そこらへんに放っておけばいいのですわ。運が良ければ、殺される前に目を覚ますでしょう」
妖精の言葉に、俺は確かにと頷く。
殺される前……というのは、獣や魔物だろう。
まあ、彼らもここまでやってこられたという力もあるし、大丈夫に違いない。
寝ている間に襲われたら?
知らないですね……。
「あ、あと……」
「ん?」
何やらもじもじとする妖精。
首を傾げていると……。
「わたくしも、あなたについていきますわ!」
「え、なんで?」
ついてくるって……。
「え、えーと……あ、そうですわ! もうここは人間にばれてしまいましたし、暮らせないからですわ!」
取ってつけたような理由だな……。
とはいえ、言っていることは筋が通っている。
こいつらが人間の街まで逃げかえることに成功したとして、もしこの場所の妖精のことを言い広めたら?
そうしなくとも、リベンジでもう一度戻ってきたら?
彼女からすると、危険がいっぱいである。
あせあせとしている彼女を見て、俺は苦笑いする。
「俺も人間だけど、それは大丈夫か?」
「あなたは大丈夫ですわ! 信用できますもの」
うーん、純粋。
目がキラキラしていて、俺の身体が溶けちゃいそう。
俺もそんな善人ってわけじゃないんだけどなあ。
人類裏切って魔族側についたわけだし。
「とくに目的地も決まっていない旅だけど、それでもいいか?」
「いいですわ!」
俺がどうして死なないでこの世界に戻ってきたのか。
どうして、あの戦争から千年が経っている世界なのか。
正直、分からないことだらけだが……。
戦争もなくなって、魔王軍というしがらみからも解放された今だからこそ、できることをしてみたい。
それに、俺が参戦したあの戦争の後の世界を、見なければならない義務もあるだろう。
そういった世界に、俺が作り変えてしまったのだから。
会話相手がいるということは、それだけでも嬉しいものだ。
俺、人間からは当然に嫌われていたし、魔族からも人間ということで割と嫌われていたし、こうして純粋に会話することができる相手って貴重なんだよな。
……泣けてきた。
「じゃあ、行こうか」
「次はどこに行くんですの?」
「そうだなあ」
俺は少し悩んで、彼女に答えた。
「懐かしい人とかに会えたらいいな」