第39話 会いに行く
凄惨な戦場が広がっていた。
地獄だ。
聖女と呼ばれる女は、ただただそう思った。
この世に、こんな残酷な光景があるのだろうか?
この世に、こんな悲惨な場所があるのだろうか?
……この世に、救いはないのだろうか?
「――――――!!」
怒号が聞こえる。
悲鳴が聞こえる。
鼓膜を破かんばかりの爆音が鳴り響き、地鳴りが何度も起こる。
天災が一部の地域に集中して起きているようだ。
落雷を思わせる巨大な音。
地震が起きたのかと錯覚させる地響き。
そして、一秒時間が進むにつれ、次々に命を落としていく人間。
「(ああ、助けないと……。癒さないと……)」
そう思うのは、彼女が聖女だから。
かくあれかしと定められた存在だからだ。
だが、そのレッテルも、彼女にとってはそれほど嫌なものではない。
確かに、常日頃から聖女然とした立ち居振る舞いを求められるのは疲れるが、誰かを癒して救うということは、善良な彼女には苦行ではない。
だから、目の前で傷つき倒れる人がいれば、彼女は回復魔法で癒す。
聖女と称される彼女の回復魔法は卓越している。
それこそ、丁寧に時間をかければ、瀕死の人間も回復させることができるだろう。
そう、時間をかければ、だ。
ここは戦場。
そして、第四次人魔大戦において、もっとも苛烈で激しい局地的戦闘だ。
彼女が一人を助けようとする間に、百人が死ぬ。
そして、時間をかけて大量の魔力を消費するわけにもいかないので、回復が完全に進むことはない。
だから、血に汚れた手で腕を掴まれ、「殺してくれ」と嘆願されると、彼女の心はメキメキとへし折れていく。
彼女は、安全な後方で人を癒しているのがもっとも合っていた。
こんな死が充満する最前線に出ることは、彼女の心を疲弊させていく。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……っ!」
敵兵と直接戦ったわけではない。
だというのに、彼女は常に息切れをしていた。
顔面は蒼白だし、今に倒れても不思議ではないほど身体は不安定だ。
彼女をこんな風になるまで追い込むこの戦場の名は、【ヘルヘイム】。
のちに、人類の勝利を決定づけた戦いと、人類側の歴史書では誇らしげに勝利を収めたと記載される戦いである。
そして、その戦いをよく知る者は、【第四次人魔大戦において、もっとも血が流れた戦い】と称した戦いである。
「大丈夫、アイリス?」
今にも倒れそうになっている聖女の元に駆け寄ってきたのは、彼女が最前線に出ている最も大きな理由……勇者である。
聖女――――アイリスは、彼女のパーティーの一員なのだ。
当然、人類の切り札ともいえる勇者パーティーは、魔王軍との戦いでも最前線に駆り出される。
複数存在する勇者の中で、アイリスはその一つに参加していた。
後方で人々を癒すことが適しているアイリスは、自らの意思で勇者の力になりたいと志願したのだ。
「は、はい。皆さんが戦っているのに、私だけ逃げるわけにはいきませんから」
「……アイリスの力は、とても助けになっている。正直、そう言ってくれると助かるよ」
「はい、頑張ります」
青白い顔を笑顔に変えるアイリス。
勇者である彼女も、本当はアイリスを後方に下げたいという思いは強い。
しかし、彼女の回復魔法がなければ、非常に戦力ダウンになるということも冷静に判断していた。
これが最後。
もうアイリスみたいな優しい女の子が戦場に出る必要がないように、今まで頑張ってきた。
だが……。
「だけど……こんな激戦になるなんて、誰も思っていなかっただろうな。魔王軍にこれだけの力が残っていたなんて、誰が想像できただろう」
「追い詰められたがゆえの、大反撃でしょうか?」
「……僕は、それだけじゃないと思っている。この戦いにおける魔王軍の指揮官は、おそらく……ラモン・マークナイトだ」
「……【赤鬼】ですか」
アイリスはごくりとのどを鳴らす。
最前線に出る勇者パーティーなら、その異名は何度となく聞いているし、そしてその力を目の当たりにしている。
【赤鬼】ラモン・マークナイト。
人間であるにもかかわらず、怨敵魔王軍に入り込んだ、史上最悪の裏切り者。
その卓越した戦術指揮能力で、数多くの戦場で多大な功績を上げた結果、本来差別されるべき人間であるにもかかわらず、魔王軍の中でも人望が集まっている男だ。
アイリスの脳裏に深く焼き付いた記憶は、ロスクの戦いである。
第四次人魔大戦の中期に発生した会戦で、魔王軍数万に対し、人類はその倍の数で衝突した。
攻城戦でもないため、戦いは数が肝要である。
そして、倍の差があれば、圧倒するのは人類だ。
そこに、アイリス含めた勇者パーティーも参戦。
誰もが人類の勝利を確信していた。
結果として、人類は敗走した。
多くの被害を出した理由の一つは、一部隊をラモンが率いていたからだ。
人類の上層部は信じていないが、戦場に出ていたアイリスは間違いないと確信していた。
「ああ。おそらく、これだけの混乱を人類に強いているのは、彼の……!?」
「ど、どうしたんですか?」
話の途中で、勇者が顔を背ける。
いや、身体ごと明らかに強く警戒していた。
戦闘職でないアイリスには分からない何かを感じ取っているようだった。
「アイリス、下がっていてくれ。……噂をしていれば、っていう話があるけど、まさにそれだな」
「ま、まさか……」
勇者が冷や汗を垂らすのを見て、アイリスはゾッと背筋が凍り付く。
今話していたのは、ラモンのことだ。
つまり……。
それは、のそりと現れた。
一度瞬きをする間にも大きく変動する戦場にもかかわらず、緩慢ともいえる動作で。
その男は、血だらけだった。
返り血もあるかもしれないが、明らかに重傷だ。
人間なら、倒れて動けなくなっていても不思議ではないことは、多くの怪我人を見てきたアイリスには分かった。
だが、その男は立っている。
歩いている。
一歩一歩、ゆっくりと前に進んでいた。
「あ、赤鬼が出たぞ!」
「大けがを負っている! チャンスだ、一斉にかかれぇ!!」
魔王軍よりもはるかに人類軍の方が数は多い。
乱戦の中でも、ラモンに気づいた兵士たちが、一斉に襲い掛かった。
だが、それは悪手だった。
「ま、待って!」
勇者が止めようとするが、もう遅い。
ラモンの悪名高さを助長させている魔剣ダーインスレイヴが発動する。
ばたばたと襲い掛かっていた兵士たちが倒れる。
魂を吸い取られたのだ。
「ひっ、ひぃっ……!」
思わず、アイリスはのどが引きつって悲鳴を漏らす。
そのせいで、ラモンの目が彼女たちを捉えた。
不思議だったのは、その目が恐ろしく感じなかったことだ。
先ほどの所業は恐ろしくてたまらないが、そのような残酷非道なことを本当に行ったのかと思うほど、ラモンの目は穏やかだった。
ここが戦場であることを忘れてしまいそうになるほどに。
「勇者と……聖女か。悪いな。ちょっと退いてくれると助かるんだが」
血だらけの顔を笑みに変えながら、ラモンは言う。
まるで、こちらのことを気遣ってくれているかのようだ。
だから、なおさらアイリスは深く混乱した。
「……僕たちが退いて、君はどこに行くんだ?」
勇者が問いかけると、恥ずかしそうに、彼は口を開いた。
◆
むくりと身体を起こす。
柔らかなベッドだ。
第四次人魔大戦の末期にもなれば、ほぼ最前線に出ずっぱりだった。
当然、上等なベッドの上で休むことはできないし、ラモンが指揮した部隊は、頻繁に夜襲を仕掛けてきたものだ。
おちおち眠ることすらできなかったので、こうしてゆっくりと気を休めて寝ることができることに、アイリスはちょっとした違和感を覚えていた。
「……はあ。久しぶりに見ましたね。何かの予兆でしょうか?」
頭を揺らすアイリス。
千年も経てば、記憶は薄れることはなくとも、深い引き出しの奥に入り込んでそうそう出てくることはなかった。
だが、そんな夢を見たため、彼女はあの男のことを思い出した。
「あの時、あの人は……」
ラモン・マークナイトは、致命傷をいくつも負いながらも、それを一切気にすることなく、笑みを浮かべて言ったのだ。
――――――好きな人に、会いに行くんだ。
第2章終了です。
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