第37話 心当たり
「な、んだ、これは……」
救援を求められ、至急魔王城に急行した魔王軍の兵士たちが見たのは、信じられない光景だった。
首都の象徴でもある魔王城。
荘厳で、巨大な建造物は、遠くからでもその姿を見ることができる。
そんな魔王城が、半壊していた。
全壊していないのは、かなりの大きさと広さがあったことと、強固な造りをしていたのが理由だろう。
どちらかが欠けていれば、完全に崩落していても不思議ではない。
それほどの大きな損害を受けていた。
「こんな被害、あの戦時中ですらもなかったぞ……!」
駆けつけた兵士は、第四次人魔大戦を経験した歴戦の猛者だった。
あの戦争でも、最終的には首都や魔王城で戦闘があった。
しかし、それはもはや趨勢が決まってからの戦いであり、すぐに終結した。
組織的な戦闘が最後に行われたのは、ヘルヘイムの戦いだからである。
「う、うう……」
「っ! おい、大丈夫か、しっかりしろ! 何があったんだ!?」
怪我を負ってうめき声をあげる警備兵を見つけ、彼は近寄って抱きかかえる。
幸いにして、それほど大きな傷はない。
どうやら、戦いで打ちのめされたというよりも、余波でダメージを負っただけのようだ。
……それでも、魔王城の警備を任せられる魔族はエリートである。
そんなエリートを、まったく無意識的に再起不能にするほどの余波を発生させるのは、魔王城をこのような目に合わせた者の力が恐ろしいほど高いということを推察させた。
「あ、あいつだ……! 反政府軍の首魁のイフリートが、ここで暴れたんだ……!」
「……ラモン派のリフトか! 今までほとんど姿を現さなかったのに、ついに直接的に動いてきたか……!」
第四次人魔大戦を経験している男からして、イフリートと言えばリフトである。
ラモン派の幹部にして、魔王軍でもトップクラスの戦闘能力を誇る最強の前衛であった。
彼が一人いるだけで、戦況はまったく変わる。
そんな彼がテロ組織の首魁になっていたのは驚きだが、ついに魔王城に攻撃を仕掛けてきた。
すなわち、明確な魔族との対立を選んだということである。
リフトの前に立ち、はたして自分は生きていられるだろうか?
そう思い、ごくりとのどを鳴らす。
「しかし、大戦の英雄を相手に、よく戦って生き残った! お前は賞賛されるべき英雄だ」
「ち、違う。俺は一度たりとも戦っていない……。いや、俺だけじゃなく、魔王城の警備兵は、誰も……」
「……リフトが暴れるのを見ていたということか? いや、それでも恥じることはない。奴を見て生きていることが凄いことなのだから」
褒められた行為ではないかもしれないが、隠れて逃げるというのも重要だ。
むしろ、絶対に勝てない相手に立ち向かい、命を落とすのは無駄と言えると男は考えていた。
生きて情報を持ち帰る。
どのような人物なのか、能力を使うのか。
そういった情報を持ち帰ることも、後々にとってはとてもいい判断になりうるのである。
だが、警備兵は首を横に振って否定する。
「違う! 俺たちは戦っていない。だが、イフリートは戦っていた。あの人間と……!」
「人間……?」
訝し気に眉を顰める。
人間なんて、こんな魔族の中枢に入り込んでいるはずがない。
だが、次の警備兵の言葉に、顔が凍り付いた。
「真っ赤な髪に、真っ黒な剣を持つ人間だ! あの人間は、化け物みたいな強さのイフリートとまともに戦って……勝ちやがった! この魔王城を、めちゃくちゃにしながらな!」
「人間……赤い髪……。ま、まさか……」
警備兵の言葉に、男はある人物を思い出す。
赤髪、黒い魔剣、そして最強の前衛であるリフトにも勝つことのできる実力の持ち主。
そして、何よりも人間というところ。
これだけの特徴に一致するのは、あの男しかいない。
「あ、【赤鬼】だと……? そんなバカな……。あの男は、あの戦争で死んだはずだ……」
だが、ありえない。
あの戦争で、間違いなくあの男は死んだ。
生きていたとしても、千年経っているのだから、人間として抗えない寿命で命を落としているだろう。
だが、もしここでリフトと戦ったのが、ラモンであるのだとしたら……。
「この世界、またとんでもなく大きな混乱になるだろうな……」
その後、魔族の姫であるレナーテが攫われたと知って、さらに大騒ぎになるのは余談である。
◆
「追手とかは来ていないみたいだなあ」
「助かりますわぁ」
道を歩きながらポツリと呟けば、ポケットの内でナイアドが心底安心したように息を吐く。
俺も同意見だ。
リフトとの戦いは、かなり消耗した。
久しぶりにダーインスレイヴと一緒に戦ったからか、随分と振り回された気がする。
今、道を歩いているのは俺。
そのポケットの中にナイアドとシルフィ。
手をつないでいる子供に、背中におんぶしている姫さんだ。
……俺の負担、大きくない?
いや、ナイアドとシルフィは軽いし、子供は手をつないでいるだけでしっかりと歩いてくれているし、姫さんは弱らせられているから歩けないのは仕方ないのだけれども。
うん、不満を感じる必要はないな。
頑張れ、俺。
「まあ、本拠地であれだけ大暴れしていれば、追手を差し向ける余裕もないでしょうね。魔王城の再建が急務ですし、警備兵も数を減らしているでしょうから」
シルフィの言葉に頷く。
中心も中心。
最も重要な拠点である魔王城が半壊したのだ。
それを差し置いて、下手人を追いかけまわすことができるほど、今の魔王軍は機能していなかった。
まあ、戦争も数百年単位でなかったようだし、平和ボケしているのも仕方ないだろう。
戦時中ならすぐさま追手が差し向けられていただろうが……。
そうだったら大変だったな。
「しかし、相変わらず魔剣の力は凄いのう。傍から見ていても、恐ろしくて堪らんぞ」
「こいつは特別ですからね」
ポンと腰に差してある愛剣をたたく。
ガチャガチャ!
鞘のなる音が凄い。
自己主張激しすぎない?
ちなみに、もう私が来たから他の武器は必要ないとのことで、警備兵からかっさらった剣は捨てさせられている。
いや、二刀流なんて器用なことはやらないから別にいいんだけど、サブウェポンはあった方が安心するんだけどなあ……。
ガチャガチャガチャガチャガチャガチャ!!
……ごめんなさい。
「イフリートは殺さなくてもよかったんですか? 自分の手で殺しにくいのでしたら、私が殺していましたが」
……元とはいえ、一緒の部隊でやっていた仲間にドライすぎない、シルフィ?
答えようとすれば、私も殺せる、とダーインスレイヴが大騒ぎ。
ここでも張り合うのか、お前は……。
「必要ないよ。俺はリフトを殺したいなんて思ったことはないしね。またいつか会うだろうな」
魔王城での戦いの後、リフトはフラフラしながらも笑って去って行った。
今は戦時中でもないし、俺も部隊なんて持っていないから、付いてくることはなかった。
というより、武者修行をしてもう一度俺に再戦を挑むつもりのようだ。
一方で、助けが必要ならいつでも呼べ、と言って別れたリフト。
もう反政府軍の元には戻らないらしい。
組織のトップということをほっぽり出して飛び出してきたということもあるし、組織そのものに愛想をつかしていたということもあるようだ。
半壊した現政府軍と、主戦力が抜けた反政府軍。
どうなるのかは分からないが……まあ、俺が口出しするべきことではないだろう。
「とりあえず、まずは姫さんの身体を何とかしないとな」
「うむ。正直、自分の足で歩くことすらままならんのは面倒じゃ」
褐色の頬をこすりつけてきながら、姫さんが言う。
案外余裕がありそうだが、これは彼女なりに無理をしている。
人に弱い所を見せまいとする、姫さんのプライドだろう。
おんぶするくらいなら殺した方がいいんじゃないか、という愛剣の主張は却下とする。
「でも、あてはあるんですの? 今の状態のこの人を治すのって、とてつもなく大きな力が必要なのではありませんこと?」
「……一人、心当たりがある。彼女がまだこの世界にいるのか、そしてそもそも手助けをしてくれるのかもわからないが」
「誰ですか?」
首を傾げるナイアドに、俺は思い出しながら口を開いた。
「聖女だよ」




