第3話 かかってこい
「…………」
珍しい人間だった。
恐怖よりも、好奇心を刺激されるような、そんな人間。
いたずらやちょっかいをかけたくなる。
今、人間に対してそのような感情を抱いている妖精は、ほとんどいないだろう。
なにせ、顔を見せただけで捕まり、売り飛ばされ、地獄のような日々を送ることになるのだ。
だから、妖精たちは姿を隠した。
人類が支配しているこの世界では、隠れて生きるしかないと。
……まあ、それでもちょくちょく魔族の下に現れてはちょっかいをかけて遊んでいるのだが。
「……帰りましょうか」
名残惜しさは恐ろしいほどにあるが、追いかける勇気はなかった。
彼女が第四次人魔大戦終結以後に生まれた妖精というのも大きいだろう。
すでに、人間は恐ろしい存在であり、決して近づいてはいけないという価値観を生まれながらにして叩き込まれた世代だからである。
彼女――――ナイアドは落ち込みながら離れようとして……。
「つっかまえたぁ!!」
「っ!?」
ガッと自分の身体が捕まれる。
大きな手。
それは、人間の手だった。
「よいしょぉっ!」
驚きの声も出ないうちに、ナイアドの目前に小さなミニチュアのような首輪が差し出される。
パッと光ると、それはひとりでにナイアドの首に巻き付いた。
「なっ? 俺の言ったとおり、妖精だっただろ?」
「無警戒にフヨフヨ浮いている妖精が、この時代にいるなんて思わねえだろうが」
「とんでもねえバカだってことさ。俺たちにとっては、格好の得物だ」
呆然としていると、ぞろぞろと人間の男たちが現れる。
全員、成果を上げて笑顔だ。
その成果であるナイアドからすると、堪ったものではない。
人間は、妖精を乱獲し、奴隷として売りさばく危険な種族。
捕まった同胞がどうなったのかはナイアドも知らない。
むしろ、その情報がないことこそが、捕まった後にどうなるか教えてくれていた。
背筋がゾッと凍り付く。
まさか、ここに人間が現れるだなんて。
森の深い場所にあるここならばと、ナイアドは住処にしていたのに。
「は、離してくださいまし! 痛い目を見ますわよ!?」
ナイアドは逃げるために、魔法を行使しようとする。
妖精の魔法能力は高い。
基本的にいたずらに使われているそれは、攻撃の手段としても有用になる。
この人間たちを一瞬で昏倒させる魔法も、ナイアドは持っている。
それを行使しようとして……。
「え……?」
ポヒュッと気の抜けた音が出た。
魔法の不発だった。
人間たちは、それを見てニヤニヤと嗜虐的に笑った。
「あー、無理だって。確かにお前らの魔法は強力だけど、それを使わせなかったらいいだけだろ? 正直、妖精の捕獲方法なんてかなりマニュアル化されているから、それ通りに動けば簡単に無力化できるんだよ」
「魔法、使えないだろ? もう、お前は逃げることはできないんだよ。大人しく捕まっておけ。羽をむしる趣味はねえし、売れる値段も下がってしまうからよ」
「くっ……!」
彼らは、妖精の捕獲に慣れている。
ナイアドはそう思った。
いったい、これまでどれほどの同胞を捕まえ、売りさばいたのだろうか。
どれほどの同胞が、今苦しみ……そして、過去死んでいったのだろうか。
怒りで視界が真っ赤に染まる。
「なに、俺たちはお前を痛めつけたりはしねえよ。お前を買った奴がどうするかは知らねえけど」
「悪いとは思うけど、俺たちも生活があるんでな。悪く思わないでくれよ」
「そんな……!」
しかし、強い怒りと同じくらい強い絶望感も味わっていた。
人間に売られ、まともな生活を送れるとも思わない。
そもそも、人間の作った街より、こうして自然豊かな場所にいるほうが、妖精的には過ごしやすいのだ。
暗く狭い場所に閉じ込められ、時折いたぶられながら、一生を終える。
それは、ナイアドの小さな身体を震え上がらせるには十分だった。
「(誰か……誰か、助けて……!)」
だが、誰も来るはずなんてない。
同胞は近くに住んでいない。
近くにいるのは、自分を捕まえる人間。
そして……あの不思議でおかしなことを言う人間だった。
だが、彼はもういない。
「おー。なんかあっちに美味そうな果物が生っていたから、一緒に食お……なんだ、この状況?」
あっさり現れた。
◆
「(お礼に果物持ってきたら、何か状況が凄いことになっていたんだけど……)」
ナイアドたちも驚いているが、それ以上にラモンが驚いていた。
色々と教えてもらったのに、言葉だけではなんだか物足りないと、彼は目についた美味しそうな果物を分け与えようと戻ってきた。
妖精が、こういった甘い果実が好物にしていると知っていたこともある。
「えーと……助けた方がいいか?」
「当たり前ですわぁ!!」
くわっと怒りを露わにするナイアド。
怒りというよりも、ホッと安心してしまったがゆえに感情が爆発してしまった。
この状況であくまでもとぼけたことを言うラモンに思わないところがないわけでもないし。
「おいおい、まさかこんなところに俺たち以外の人が来るとはな」
「だが、こいつはやらねえぞ。俺たちだけで山分けすることは決めてるんだ。これ以上、取り分を減らされても困る」
まさかここで邪魔が入るとは思っていなかった彼らは、しかし余裕の表情を崩さない。
どう見てもそこにいるのは人間だし、武装すらしていない。
人数もこちらの方が多ければ、荒事にだって慣れている。
とぼけた表情を浮かべているラモンは、とてもじゃないが強者には見えない。
「お前はこのまま背中を向けて、どっかに行け。何も見なかった。そう自分に言い聞かせてな。まだ若いんだろうし、死にたくはねえだろ?」
「いや、もう一回死んでいるしな」
「は?」
何をバカなことを、と訝し気にラモンを睨みつける。
死んだ人間がよみがえるなんて、アンデッド以外に考えられない。
そもそも、言葉が通じて会話のできるアンデッドなんて超高位。
ラモンがそのように見えるわけでもないし、薬物でもやって頭がおかしくなってしまったのだろうか?
「それに、もともと俺は魔族側の人間だ。妖精狩りをする連中を、黙って見過ごすわけにもいかないし」
勇ましい言葉を吐くラモン。
それを見て、彼らは怒りを露わにするのではなく……。
「ははははははははははっ!!」
笑った。
嘲りを多分に含んだ笑い声をあげた。
「魔族側の人間!? なんだそれ、意味わからねえ!」
「人間よりも劣っている連中に味方する人間って……いや、言っていても本当にわけわからねえな」
邪魔されたら怒りを覚える。
短気な彼らならよくあることだが、あまりにも滑稽なことを言うので、怒りを通り越してしまった。
魔族に味方する人間なんて、存在するはずがない。
メリットが何もないからだ。
この世界の支配者は、人間。
第四次人魔大戦以来、この世界の常識である。
「あー、なんだ。とりあえず、そいつを離してやってもらえないか? 笑っているのはいいからさ」
「バカか? こいつを売り飛ばして金を山分けするって言ってんだろ」
あまりにも滑稽なことを言うので、徐々に怒りが出てくる。
「いや、人身売買って。普通にダメじゃないか?」
「魔族はあの戦争で負けてから、俺たち人間の奴隷みたいなもんだろ。奴隷を売りさばいて、何が悪い?」
「えぇ……」
困惑するラモン。
自分の生きていた時代とは、あまりにも価値観が変わっていた。
いや、自分たちが敗北したからこそ、このような歪な価値観が常識となってしまっているのだろう。
それは、自分たちの責任だ。
「わたくしたちは、負けていませんわ! わたくしは知らないですが、色々な方が言っていましたわ。ラモン様がいたから、魔族は人類に完全に服従することがなかったって!」
「…………」
ナイアドは声を張り上げる。
みっともなく負けただけではない。
人類に立ち向かい、最後の戦いでは人類に多大な出血を強いた。
だからこそ、魔族は人類に完全に管理されるような奴隷に成り下がることがなかったのである。
それを成し遂げたのは、ラモン。
魔王軍最高指揮官が最期に指揮したヘルヘイムの戦いで、人類に強烈な一撃を加えられたからである。
その時代にナイアドは生きていなかったが、その時に生きていた魔族たちがみんな誇りを持っていたことに強い感銘を抱いていた。
だから、そのラモンという男も、きっと……。
「結局負けちまったんだから、そいつも大したことなかったに決まっているだろ。それに、そいつはもう死んでるしな」
そんなナイアドを、人間たちは笑う。
彼らもまた、その時代を生きていたわけではない。
だが、結局人間が勝ち、魔族は敗北した。
ならば、そのラモンという男も大したことがないに決まっている。
所詮は敗北者なのだから。
「そいつも人間のくせに魔王軍に与したわけわからねえ奴だったらしいが……今のテメエとそっくりだな!」
「お、おう……」
自分のことを擁護されたり批判されたり……。
どう反応していいかわからず、何とも言えない表情を浮かべてしまう。
「もう話は十分だろ。さっさと帰って、こいつを売って、酒を飲みてえんだよ。死ねや」
人間たちの中で、このウダウダとした状況が我慢できなかった一人が、剣を抜く。
間近で鈍く光る鉄を見せられて、ナイアドは小さく悲鳴を上げた。
「うーむ……武器がないのはマズイな」
その剣を向けられているラモンは暢気なものだ。
顎に手を当てて、何やら思案している。
「逃げて!!」
「死ねぇ!」
ナイアドの悲鳴と同じくして、男の怒声が響き渡る。
荒事に慣れていることもあって、その踏み込みに迷いはない。
ラモンが武器を持っていないということも、大胆に懐に入り込むことができた大きな要因である。
武器を持つ者と、持たない者。
どちらが有利かは一目瞭然だし、ラモンもとてもじゃないが荒事に慣れているような雰囲気ではない。
ナイアドは、少しとはいえ交流することができた人間が殺されることを考えて、顔を真っ青にして……。
「ごめん、武器貸してくれ」
「ぶっ!?」
その真っ青な顔は、すぐさまポカンとした驚愕のものへと変わる。
一気に踏み込んだ人間の顔面に拳がめり込んだのだ。
メキメキと嫌な音を立てながら、男は吹き飛ばされる。
木に当たった彼は、起き上がることもなく、ずるずると倒れ込んだ。
顔面は真っ赤に染まっている。
誰もがポカンとしている。
ナイアドも、彼女を捕まえた人間たちも。
そんな状況をしり目に、ラモンは落ちた剣を拾う。
「俺が使っていた剣とは比べものにならないほどなまくらだが……まあ、この程度ならいけるか」
ブンブンと片手で何度か振って確かめると、うんうんと頷く。
この程度、と称しているのがナイアドを捕まえている人間たちだというのは、まだ誰も気づいていない。
奪った剣を人間たちに向け、ラモンは笑った。
「よし、かかってこい。俺はそこそこ戦えるぞ」