第29話 じゃれ合い
「ふわぁぁ……」
「だらしないですよ、ラモン」
ジトッとした目を、ポケットに入りながら向けてくるシルフィ。
明らかにマスコットそのものなのに、その眼力は死線を何度も潜り抜けてきた歴戦の猛者。
まったく不釣り合いで、凄まじいギャップがあった。
正直、背筋が凍り付いても不思議ではないレベルの眼力なのだが、俺はシルフィと出会ってから何度も向けられてきている。
それくらいでビビることはない。
まあ、シルフィが本気で怒れば怖いのだろうが、今のは窘めるような弱いものだ。
大して緊張などもすることなく、答えることができた。
「そうはいってもなあ。つい先日、あんなことがあったとは思えないほど穏やかだし」
魔族領に入って最初の街では、命をかけての戦いがあった。
久々……と言えるのだろうか?
俺が死んでから千年が経っているようだが、俺的には最近まで戦争をしていたから、あまりギャップはなかった。
温かい日差しの中、ゆっくりと歩いていると、とても平和を感じる。
小鳥の囀る声なんて聞こえてくるものだから、なおさらだ。
最初の街に向かっていた時のように、他に一緒に行動している人が誰もいないので、よりいっそう気が抜けてしまう。
その証拠に、ポケットに入っているもう一人の妖精さんは、大きく口を開けて寝ているくらいだ。
「くかー……」
「…………」
大きく口を開けて寝ているものだから、よだれが垂れそうになっている。
……まあ、それくらいで服を汚されるのは構わない。
そう思っていたのだが、すぐ隣にいたシルフィは違うようだ。
じっと絶対零度の目線をナイアドに向け……その頬を水の鞭でぶった。
「ぷぎゃっ!? な、なにをするんですの!?」
「あなたの汚いよだれが、私のラモンの服にへばりつきそうだったので」
「とんでもない理由でわたくしの頬をひっぱたいてくれましたわね……! しかも、独占欲がつよっ!」
ギャアギャアと大騒ぎが始まる。
この二人の掛け合いこそが、平和な日常の象徴である。
だからこそ、眠気はさらに強くなる。
こんなあくびをして外を出歩くことなんて、戦時は……もっと言えば、戦争後期にはできなかったしなあ。
改めて、平和って大切なんだと思う。
ここまで考えて、ふと手をつないでいる子供のことを思う。
俺が眠たければ、彼女はもっと眠たいのではないか?
「大丈夫か? 眠くなったりしていないか?」
「……大丈夫。面白いから」
そう言いつつも、目はシパシパさせている。
強がっている子供かわいい。
そう思っていると、彼女はスッと小さな指をさす。
「よーせい」
「うん」
指先には、逃げ惑うナイアドの姿が。
子供の夢を壊すような金切り声を上げないでください。
「おみずさん」
「うん」
指先には、追いかけまわすシルフィ。
無表情で妖精を追いかけまわすので、冷徹な人形みたいである。
子供に悪影響だからやめましょう。
そして、最後に子供はスッと前を指さした。
俺の身体の周りで追いかけっこをしている二人ではなく。
小さな口を開いて、彼女は言った。
「おばけさん」
「……うん?」
お化けという表現に、俺は目を丸くする。
その指先には、確かに一人の女が立っていた。
そう、よくよく見たことのある、彼女の姿があったのだ。
「…………」
彼女もこちらを見て硬直していた。
ありえないものを見たと言わんばかりの。
こほん。
ここは友好的に、紳士的に声をかけようではないか。
もしかしたら、他人の空似かもしれない。
まずは、確認からだ。
シルフィの時のように、いきなり攻撃されてぶっ飛ばされるわけにはいかないのである。
よし、行くぞぉ!
「あれ、姫さん?」
「…………は?」
俺と会って第一声って、皆それなの?
◆
呆然とこちらを見ているのは、俺もよく知る人物。
魔王の娘であり、魔族全体から大小の差はあれど敬意を持たれる姫……レナーテだった。
俺があの村で普通に生きていけば、絶対にかかわりあうことのない立場の彼女だ。
魔王軍に俺を引き入れてくれたのが姫さんだから、こうして敬語もなしに気軽に話すこともできるのだが。
……姫さんが硬直してから長い。
大きな目でじっと見られると、何もかもが見透かされてしまったかのようで、非常に居心地が悪い。
しかし、姫さんは相変わらず痴女スタイルだ。
衣装が薄く、凹凸のある肢体がくっきりと浮かび上がっている。
立場もあるし止めた方がいいって言っていたんだけどなあ。
千年経っても、そこは変わっていないらしい。
まあ、人の意見で考えを変えるのは、姫さんらしくないか。
なんてことを考えていたら、姫さんは俺から目をそらし、ポケットに入っていたシルフィを見た。
あれ、俺は?
「……おー、シルフィ。久しぶりじゃのう。百年ぶりくらいか?」
「……姫」
ニコニコと笑う姫さんと違い、シルフィの声音は硬かった。
あんまり二人は相性が良くないからなあ。
……シルフィと相性のいい人が、思い浮かばないわ。
「さあ。最後にラモン派で集まったとき以来じゃないですか? とくに興味がないので、しっかりとは覚えていませんが」
……ラモン派って、まだあるの?
ちょっと聞かされただけの、俺にとっては伝説上の生き物と同じくらいの感じのやつ。
ま、まあ、さすがにもうないだろ。
俺が死んでから千年経っているし、普通は……。
……ただ、魔族だからなあ。
当時の魔族がまだ生きていることもあるし、人間みたいに寿命で世代交代していたら確実に消滅しているのだろうが……。
こ、怖い……。
真実を知るのが怖い。
「相変わらず冷たいのう……。妾を相手に、そんな態度ってやばくない?」
「やばくないです」
「はっはっはっ、面白い。また今度、ゆっくり話でもしようじゃないか。ところで……」
カラカラと笑う姫さん。
器は大きいのだろう。
魔族の姫が、一介の魔族にこのような言動を向けられて、笑っていられるのは素直に凄いと思う。
改めて姫さんに感心していると、彼女は俺を再び見て……。
「お化けって、いるの?」
ありえないものを見る目で、凝視してきた。
……いや、これが普通の反応だろうな。
俺も、千年前に死んだと思っていた奴が生きて目の前に立っていたら、めちゃくちゃビビる。
「えーと……久しぶり、姫さん」
「うぉっ、喋ったぞ! このお化け、喋るぞ!」
ギョッとして俺を睨みつける姫さん。
自分でも自信がないけど、一応お化けではないっぽいんだ。
「ラモンは死んでいませんでした。生きていたんです」
「いや、死んでいたじゃろ。妾は直接見ることはできなかったが、致命傷を10個くらい負っていたと聞いておるぞ。あやつ、人間じゃし死ぬじゃろ」
自信満々に胸を張るシルフィに、姫さんが冷めた目を向ける。
確かにボロボロになっていたけど、そんなに致命傷を負っていたっけ?
あんまり覚えていないわ。
血を流しすぎて、最後の方がぼーっとしてしまっていたし。
訳の分からないことも言ってしまっていそうだ。
「というか、お化けみたいっていう話なら、姫さんの方が近いだろ」
ジト―ッと姫さんを見る。
彼女の身体は、微妙に透けていた。
そう、ここに姫さん本人は来ていない。
昔からよくやっていたことだ。
子供が姫さんを指さしてお化けだと称したのは、まさにその透け具合が原因だろう。
「失敬な。妾はゴーストなどのような低俗な存在ではない。妾も本体ではないことくらい、お主も知っているじゃろ」
「まあな。姫さんから聞かされたことだし」
「……え? マジでラモン?」
「おう」
やっと納得してくれたようだ。
よかった。
姫さんは顔を伏せ、プルプルと震え始める。
……あれ?
「そうか。そうかそうか……。偽者じゃったら、とりあえず生き地獄を味わわせてやろうと思っておったのじゃが……」
凄く怖いことを平然と言っている……。
というより、おかしいな……。
なんだか、場の雰囲気が非常にマズイ方向に進んでいる気がするぞ?
「そうか、本物か」
「ひ、姫さん……?」
再び上げられた姫さんの顔は、満面の笑みだった。
ああ、美しいだろう。
多種多様な魔族においても、彼女はとても美しい姫だと称されていた。
退廃的な色気もすさまじい。
そんな姫さんから笑顔を向けられれば、異性なら誰もが嬉しく思うことだろう。
だが、不思議だ。
今の俺は、まったくそんな気持ちがわいてこなかった。
「なんじゃ、ラモン。久々の再会じゃ。ハグくらい、してくれてもよかろ?」
スッと姫さんは両腕を広げた。
まさに、相手を迎え入れるポーズだ。
薄い衣装に包まれた豊満な胸部も、惜しげもなくさらされている。
満面の笑み、広げられた両腕。
歓迎されていないはずがない。
だが、俺の身体は自然と震えていた。
「う、嘘だ……。姫さんが、そんな甘いわけがない……」
「失礼なことを言うのう。ほれ、妾に会いに来てくれた礼じゃ。妾の柔肌を感じ取ってくれて構わんぞ」
「嘘だ! そんな優しくないぞ! 傍若無人そのものだったのに!」
「はっはっはっ」
笑みを浮かべてにじり寄ってくる姫さん。
こ、怖い!!
「いやあああああああ!!」
「……何をしていますの?」
「くだらないじゃれ合いです」
いや、お前らが言うな!