第15話 自分勝手な男
「すやぁ……」
庭園のベンチに寝転がり、惰眠を貪る女がいた。
衣服が薄く肌の露出具合が高いため、豊満な肢体が透けてしまっている。
しかし、心底気持ちよさそうによだれを垂らしている気の抜けた顔のせいで、どうにも色気というのが霧散してしまっていた。
残念美人である。
そんな彼女の元に、嬉々として駆け寄る二人の子供がいた。
「姫様!」
「むぉっ!? な、なんじゃなんじゃ!?」
遠慮なく大声を耳元で出され、女は飛び起きる。
目をパチパチと瞬きさせながら、垂れたよだれをぬぐいとる。
「姫様、また授業して!」
「お、おぉ……おぬしらか。まったく、驚かせるな。妾はとても大事な任務をこなしていたのじゃからな」
これに衝撃を受ける子供。
邪魔をしてしまったのか!
……いや、そういえば、お昼寝していたような気がする。
「寝ていたよ?」
「夢の世界で戦っておったのじゃ。激しく、厳しい戦いじゃ……」
「おぉ……!」
「すっごいへたくそな嘘」
重々しく言ってみたが、どうやら二人の間で信じる信じないが別れてしまったらしい。
凸凹コンビだが、だからこそうまく付き合っていられるのだろう。
そんな風に思う。
「で、授業じゃったか? ま、構わんが……さて、どのような話をしたらよいか……」
時折、暇つぶしに子供たちに授業と称して知識を教えている。
随分懐かれたものだと、苦笑する。
何を題材に話そうかと悩んでいると、子供が本を突き出してくる。
「じゃあ、この人のことを教えて!」
「ん?」
受け取った本をパラパラとめくり……そこに書かれてあった人物に、目を細める。
「……まさか、あやつのことを書いてある文献を見つけてくるとはな。ほとんどなかっただろうに」
「だから、気になったのよ。ここに書いてある通りなら、教科書などに載っていても不思議じゃないわ。でも……」
教科書などには載っていない。
怪訝そうにしている子供に、女はカラカラと快活に笑う。
「ふむ……まあ、人間からすれば、奴ほど厄介な人間はいないからのう。どれ、どういうことが書かれておるのじゃ?」
自分たちに都合の悪いことを、未来を担う子供たちに見せるはずもあるまいと、女は言う。
受け取った書物の中身に、目を通す。
【ラモン・マークナイト。
人間でありながら、魔王軍に与し、最高指揮官にまで上り詰めた。
当然、魔族と人類は第四次人魔大戦という激しい戦争の真っ只中にある。
人類からは裏切り者と罵倒され、魔族からもスパイではないかと迫害を受ける。
敵対している人類はともかく、仲間であるはずの魔族から背中を撃たれても不思議ではない。
彼がなぜ、そのような環境に身を置いたのかは分からない。
魔王軍から相応の見返りを貰うことを確約されて裏切ったのであれば理解できる。
しかし、それはある程度価値がある人間でなければならない。
たとえば、著名な騎士や有能な戦術家など、実績のある者。
もしくは、政治家など国家の中枢にいる重要な知識を保持している者。
だが、ラモンは教皇国に属する小さな村で生まれ、その後教皇国の軍隊に徴兵された、どこにでもいる普通の男だった。
そんな彼が、突如として人類を裏切り、魔王軍に寝返った理由は定かではない。
しかし、事実として、彼は魔王軍に寝返ってから、ロスクの戦いをはじめ、アミスド海海戦、レミア会戦に参戦し大きな功績をあげ、ついにはヘルヘイムの戦いで最高指揮官にまで命じられる。
その鬼神のごとき戦いぶりは、人類と魔族両方から畏怖を込められ、『赤鬼』と称されるようになった。
その最期は、ヘルヘイムの戦いにおいて、教皇国が有する史上最強の――――――】
そこまで読むと、女は書物を閉じた。
「ふぅむ……随分と客観的に書かれておる。プロパガンダで作られた文献でもないらしい。まあ、表面的なところしか記述されておらんから、奴と直接会話をしていたような著者ではないらしいが」
この書物を書いた人間は、単純に歴史的事実を記そうとしていたのだろう。
そこに個人的な感情は入っていなかった。
とはいえ、ラモンと親交があった人物でもなかったらしい。
でなければ、このように超人を描くように描写しないだろう。
彼は、もっともっと……。
「姫様はその人とお話ししたことがあるの!?」
「もちろん。妾が魔王軍に引き入れたのじゃからな」
「へー、どんな人だったの?」
「そうじゃなあ……」
興味津々とばかりに目を輝かせる子供たちに、女は苦笑する。
そして、懐かしむように思い出す。
最期、笑って死地へと赴いた、赤い髪の人間を。
「お人よしで、自分が苦しめばいいとか思っているような阿呆で……」
そう言って、彼女は慈愛に満ちた笑みを浮かべた。
「――――――とてつもなく、自分勝手な男じゃった」
◆
阿鼻叫喚。
剣を突きつければ、野次馬たちは悲鳴を上げて四方八方に逃げ出していた。
商人の男も、自分の命と商品を天秤にかければ、考えるまでもなかったのだろう。
そんな野次馬たちと一緒になって、逃げて行った。
……本当に申し訳ない。
マジでやっていることは強盗以外のなにものでもないし。
とはいえ、魔族がこのように苛烈な扱いを受けているのは、俺があの戦いで勝てなかったという負い目もある。
……まあ、俺が指揮官になるまでの間に、完全に詰んでいたんだけど。
とはいえ、多少の罪悪感は持ち合わせている。
「あ、ありがとう……」
「いや、俺が勝手にしたことだから、気にしないでくれ。それよりも、少し離れた場所で固まっていてくれ。面倒事が終わったら、俺が魔族の支配地域まで連れて行くよ」
子供につながっていた首輪を切り、笑いかける。
ここで解放して、はいさよならでは、おそらく全員が安全な場所まで逃れることは不可能だろう。
人間よりも頑丈で身体能力の高い魔族ではあるが、劣悪な環境に置かれて体調は万全ではなさそうだし。
とくに、子供は厳しい。
そんなことを思いながら、それぞれの鎖を断ち切っていく。
「人間のあんたが、いったいどうして……?」
「そうだな……。俺も、人間の中だとはみ出し者って思ってくれ」
怪訝そうに俺を見てくる魔族に、俺は笑いかけるしかない。
まあ、勝手にはみ出たのは俺なんだけどな。
人間からひどい扱いを受けていたため、俺を心から信用することはできないようだが、一応は納得したようだ。
ここに残っていても、いいことはないしな。
全員の鎖を断ち切った。
その直後、大勢の人間が地面を踏みしめる音が聞こえてくると、大量の矢が降り注いできた。
「や、やばいですわ!」
悲鳴を上げるナイアド。
俺は剣を構えるが……それよりも先に、元の大きさに戻ったシルフィが水の壁を作って防ぐ。
ただの水のはずだが、それはウンディーネが作った水。
勢いのある矢もその壁にはじかれ、地面に落ちていく。
結果として、俺たちはもちろん、魔族全員無事だった。
俺は感謝の言葉をシルフィにかけようとして……彼女が振り返って俺を睨みつけていたので、小さくなる。
「……あなた、もしかして自分の身体よりも他の魔族を守ろうとしていませんでしたか?」
「い、いえ、そんなことはありませんです、はい」
こ、怖い……。
しかも、心の内を見透かすように言ってくるので、心臓に悪い。
いや、シルフィのように便利な防御壁を持っていれば、話は別だ。
俺だって、わざわざ自分の身体を痛めつけたいマゾではない。
しかし、広範囲を手数の多い攻撃から守るのは、俺の力だとどうしても漏れてしまうところが出てくる。
なら、漏れるのは自分しかいない。
……という考えなのだが、それは言わないでおこう。
怒られそうで嫌だ。
「しかし、動きが迅速だなあ。それだけ、ここの領主が有能だということか?」
話題を変えるため、そう口に出す。
非常に迅速だ。
いきなり強盗に兵が矢を大量に射るというのはどうかと思うが。
大丈夫?
法律に違反していないか?
「それはありがたい評価だよ。しかし、ただ偶然にも兵の準備が整っていただけだ。たまたまというやつだよ」
「……あなたは?」
兵の中から、嬉しそうに笑みを浮かべた男が近づいてくる。
大体想像できるが、念のために尋ねてみる。
「私はラブセラ。この領地を治める、貴族だよ」