第11話 無自覚
「失敗しただと?」
目を丸くして驚くのは、ラブセラ。
王国の貴族で、地方政治を任されている一人である。
そんな彼に対し、部下が報告を続ける。
「はい。連絡が取れなくなり、パインが向かった湖を確認すると、ウンディーネ捕獲部隊が皆倒されていました」
「……ウンディーネはそれほど戦闘に特化した魔族ではないと思うのだが」
怪訝そうに眉を顰めるラブセラ。
ドラゴンなどのような、その凶悪な戦闘能力が明らかな魔族であれば、失敗したという報告も受け入れられよう。
しかし、ウンディーネという魔族は、暴力的なまでの力は持っていないとされている。
ゆえに、居場所さえ分かった今、確実に捕まえられると思っていた。
捕獲部隊のリーダーを任せたパインが無能というわけでもない。
特異なウンディーネだと考えた方がいいだろう。
「個体差があるのでしょう」
「そうだろうな。魔族は得てして人間より長命だ。下手をすれば、第四次人魔戦争を経験しているかもしれん」
「あの戦争を、ですか」
ラブセラの言葉に、部下が目を丸くする。
第四次人魔大戦。
文字通り、有史以来四度人類と魔族の間で繰り広げられている戦争であり、最も近時の戦争が第四次人魔大戦だ。
この戦いで魔族に対する人類の優位性が確実のものとなったため、非常に重要な戦争である。
千年前の出来事だが、歴史書などの文献には必ず乗っているものであり、当時生きていた者がほとんどいない人類も、その戦争は一般常識となっている。
「ああ。人類が魔族を倒し、支配者となった……と言えば聞こえはいいが、実際はそんな美しいものではないがな」
「人類の被害も甚大だった……」
「その通り。人類も多くの国が滅び、文化は破壊された。だから、魔族に対しても、優位性を持つことはできても、完全に支配することはできていないのだ」
有史以来、敵対し続けていた不倶戴天の敵。
勝敗が決すれば、敗北した相手を徹底的に叩きたいと思うのが普通だ。
それこそ、民族浄化のようなことが起きても不思議ではないほど、人類と魔族は反目している。
それが起きていないというのは、何も人類に良識があったとかそういうことではなく、ただそれをするだけの余裕がなかっただけである。
「まあ、人類の裏切り者がいたというのが、大きな要因らしいが」
「【赤鬼】ですか? しかし、あれは史料も少なく、想像上の人物だとばかり……」
赤鬼。
そう称される人間が、魔族に与したというのは、一般常識ではない。
歴史に興味があったり、少し深く勉強した者が知っているレベルの知識だ。
というのも、どの歴史書にも書かれている人魔大戦とは違い、赤鬼ラモン・マークナイト を描写している文献は、あまり多くないのである。
部下の言葉に、ラブセラは笑みを深める。
「私も最初はそう思っていたよ。手痛い反撃を受けた当時の人間たちが、自分たちの失態を隠すため、裏切り者がいたというカバーストーリーを作り出したのだと」
しかし、彼は首を横に振る。
「だが、実際に長く生きている魔族から話を聞いた者によると、【赤鬼】は確かに存在していたらしい。まあ、魔族の一部からも嫌われていたらしいが。彼の力で無条件降伏が前提だった人魔大戦を、条件付きの敗北にできたというのにね。まったく、報われない男だよ」
「はぁ……」
何とも言えない表情を浮かべるのは部下だ。
ラブセラが何を言いたいのか、いまいち理解できない。
評価をしつつも、侮蔑している。
「【赤鬼】にどのような思惑があって、人類を裏切り魔族についたのかは分からん。だが、私からすれば、彼は戦争の才能はあっても、頭が足りなかったのだろうな。なにせ、人類からは最悪の裏切り者として歴史に名を刻まれ、尽くしたはずの魔族の一部からも毛嫌いされているのだからな」
ラブセラにとって、赤鬼はよくわからない存在だ。
彼は、何がしたかったのだろう?
ただひたすらに、魔族に尽くしただけか?
しかし、それで助けたはずの魔族からも嘲られている。
あまりにも報われない。
自分は絶対にごめんだ。
ラブセラは強く思う。
「だが、私は違う。もっとうまくやるさ。そのための、ウンディーネだ」
「ウンディーネの涙、ですね」
部下の言葉に、重々しく頷く。
最高の価値があるウンディーネを、なんとしてでも捕らえなければならない。
「万能の秘薬となるそれを使えば、大量の金を手に入れることができる。王国も、この私を無視することはできなくなるだろう。私はウンディーネという特上の土産を元に、中枢へと入り込み、この国を支配する」
ラブセラは、おのれの野望のために動き出す。
◆
何とかシルフィを落ち着かせることに成功した。
いや、彼女と正面衝突とか、本当に心臓に悪い。
俺はシルフィを害する理由がまったくないわけだから、ひたすら逃げと防御に徹するのだろうが、そんなことだといずれ叩きのめされたことだろう。
そんなのは、昔だけで十分だ、うん。
「さて、では説明をしてもらいましょうか」
「お、おう……」
ツンとした表情のシルフィ。
ああ、懐かしい。
いつも彼女は冷静沈着で、感情表現がうまくなくて、そしてツンツンしていた。
俺の知っているシルフィそのものであり、千年経っても変わっていないということに、思わず笑みが漏れそうになる。
……そう、彼女が俺の膝の上に座り込んでいなければ。
俺が胡坐。
シルフィがその上に座り、背中を俺の胸に預けてくる。
もう全力で預けてきている。
全体重が、何の遠慮もなく。
なぜか後頭部をぐいぐい押し付けてくるし、グリグリこすりつけてくるし……。
いや、ウンディーネの彼女だから、痛くはない。
むしろ、プニプニして心地いいのだが……。
シルフィって、こんな甘えてくるタイプだったっけ?
「……どうしてそんなべったり引っ付いていますの?」
我慢できなくなったのだろう、ナイアドがありえないものを見る目をしながら問いかける。
彼女はシルフィの過去を知らないだろうが、先ほど人間を容易く吹き飛ばし、とてつもない威力の攻撃をしてくる彼女を見て、こんな甘えを見せるタイプではないと思っていたのだろう。
そんなナイアドに対し、シルフィは……。
「…………?」
「無自覚、ですの……?」
何を言っているのだと言わんばかりに首を傾げるのであった。