第10話 なぜ怯える
ヘルヘイムの戦いで、魔王軍の戦力は完全に壊滅した。
残っているのは、ろくに訓練を受けたこともなく、戦場も経験していない、徴兵された新兵だけだ。
戦争に参加して生き残っている者は、多くが怪我人であり、今すぐ戦線に復帰することは不可能である。
しかし、絶好の機会であるはずの人類の軍勢も、一気に攻め込もうとはしていなかった。
というより、不可能だった。
魔王軍の最後の戦力を振り絞って勃発したヘルヘイムの戦いで、人類もまた甚大な被害を受けたのである。
もちろん、戦争の趨勢は変わらない。
このまま人類が押し切って、魔族の敗北である。
しかし、今すぐに攻め込むことが不可能で、態勢を立て直さなければならないほどには疲弊していた。
人類にとっては一つもメリットがないが、魔族にとっては最高の期間である。
この間に、少しでも有利なように敗戦するように、手を回さなければならない。
それができるほどに、最後に戦った魔王軍は人類にダメージを与えたのである。
「(なんですか、これは……)」
だというのに。
シルフィは愕然としていた。
彼女がいるのは、魔王城の巨大な会議室。
魔族の幹部たちが集まって、議論を交わしている。
会議は悪いことではない。
一人では解決できないようなことも、複数人集まることによって解決できるようになる。
だが、シルフィは全身に包帯――――ウンディーネにも使える特注――――を巻きながら、眼前で行われることに思考を奪われる。
「どうする!? 人間の軍勢が、もはや目前ではないか! 軍部は何をしていた!?」
「我々魔王軍は日夜人類と苛烈な戦いを繰り広げている。安全な後方にいるだけの貴様が、偉そうな口をたたくな!」
「なんだと!? 誰が戦争に必要な金を出していると思っている!?」
「その金も兵がいなければ意味がないだろうが!」
繰り広げられているのは、激論だ。
それも、一般市民の避難方法などではなく、誰が責任をとるのかという押し付け合いの。
貴族と軍部の激しい罵倒合戦。
「(もう時間がないというのに……。今すぐに行動を起こさなければいけないというのに……。この人たちは、何をしているんですか……?)」
シルフィは、グルグルと頭の中で何かが渦巻く。
怒りか、呆れか、それとも悲しさか。
いずれにしても、歓迎すべき感情でないことは明らかだ。
自分たちは、大打撃を受けつつも、時間という得難い成果を上げた。
この時間を使い、少しでも魔族にとって有利な状況に持ち込む。
それが、魔族上層部としてやるべきことではないのか?
だが、その時間を無為に潰しながら行われているのは、敗戦後の責任の押し付け合いである。
「脆弱な人間に押されるなんて、王の資質が問われますな」
「しかり。この重要な会議にも、王は出席されていない。どういうことですかな、殿下?」
「知るかぁ。妾に聞くでないわ。直接聞け、直接」
貴族と軍部の激しい論戦に参加していない者たちも同様だ。
責任を、すべて魔王に押し付けようとする。
その魔王がこの場にいない。
そのため、魔王の娘に嫌味を言いつのる。
褐色の肌を持つ彼女は、もちろんろくに聞かず、頬杖を突きながら聞き流していたが。
「(早く、非戦闘員を避難させないといけないのではないのですか? 今すぐに動けば、多くの人々を助けることができるのではないのですか?)」
すでに、個々人がそれぞれの判断で避難は開始している。
しかし、まだ戦火に飲まれるであろう都に残っている者も大勢いる。
上層部が大号令をかけ、組織的に避難をしなければならないのだ。
「ええい! 我らも必死に戦っているのだ! そもそも、こうして我らが押された決定的な理由は……!」
貴族に押された軍部の男は、声を張り上げる。
自分たちのせいではないと。
そう言うために、彼は【あの男】を矢面に立たせる。
「ヘルヘイムの戦いで敗戦した、指揮官の人間のせいだろうが!!」
「――――――は?」
黙っていた。
彼女にとって、魔族はそれほど大切なものではないし、帰属意識も非常に薄い。
魔王軍に参加して人類と戦ったのも、人類が勝って世界を支配すれば、自分が生きにくいということが分かっていたからだ。
だから、正直に言うと、一般市民の避難が間に合わなくても、シルフィは義憤に駆られるような優しい性格をしていない。
彼女が怒りを覚えていたのは、せっかく自分たちが……あの男が、命をとして作った時間を無駄にしていたからである。
彼だけではない。
あの戦いで、多くの魔族が死んだ。
それを無駄にするのが、許せなかった。
だというのに、今の言葉はなんだ?
時間を無為にするだけでなく、死ぬことを分かっていて戦ったあの男に、何もかも押し付けるのか!?
シルフィは歯を砕かんばかりにかみしめた。
「それは確かに」
「そもそも、どうして人間を魔王軍に引き入れた? スパイをしてくれと言っているようなものじゃないか」
「これも、王の失態の一つですな」
「いや、あやつを引き入れたのは、王ではなく殿下だと聞いております。本当ですかな?」
「…………」
誰も軍部の男の言葉を否定しなかった。
誰もあの男を庇わない。
時折やり玉に挙げられる魔王の娘も、頬杖を突いたまま反応を見せない。
ただ、先ほどまで浮かべていた呆れの表情もなく、完全な無表情になっていた。
その冷たい目は、ただひたすらに空虚だった。
「しかも、あいつは我ら上層部の指示を聞かん! 下の者が上の命令に従わないなど、組織として成り立たなくなるではないか!」
「レミア会戦でも、一部隊を任せられていた奴は本部の命令を無視し、好き勝手動いたと聞いているぞ」
「だが、一部成功したと聞いているが……」
「だからと言って、兵が指揮官の命令に反抗するというのは、論外だ」
いがみ合っていた上層部が、反ラモンで一致していく。
一部意見を言う者もいるが、大勢は決まっていた。
軍部の男が、忌々しそうに顔を歪める。
「厄介なのは、そんな人間を慕う一定の層がいるということだ。とくに、現場の連中はな」
「それも魔族の面汚しよ。まったく……人間なんぞに心を許すとは……」
ラモンは、上層部からは嫌われ、部下からは好かれる典型的な現場の人間だった。
そも、最初は現場の魔族たちからも嫌われていたのだが……。
「(待ってください……待ちなさい……。あの人は、魔族のために、あなたたちのために、命を懸けて戦って……死んだんですよ?)」
シルフィは怒りで頭が真っ白になっていく。
彼は、戦ったのだ。
この安全な後方で何の生産性もない押し付け合いをしているのではなく、絶対に敗北すると、死が待っていると分かっていながら、死地に赴いたのだ。
ひとえに、魔族のために。
それなのに、彼に敗戦の責を押し付けるのか?
スパイと呼んで蔑むのか?
「しかも、ヘルヘイムでの一戦。せっかく戦闘を任せたというのに、たった数日で全滅しおった。まったく、お笑い草だ。しょせんは脆弱な人間ということだな」
その言葉で、シルフィは我慢できなかった。
「黙りなさい」
「むっ!? この私によくもそんな口を……いったい誰だ!?」
一斉に視線がシルフィに集まる。
数多くの目。
中には、敵意に満ちた視線を送る者もいる。
しかし、シルフィにとって、それは何も怯えるようなことはなかった。
戦争に出ていない男たちの目なんて、心を揺さぶるものは何もなかった。
「臆病にも後方で引きこもっていた連中が、何を偉そうに……。あなたたちはラモンの足元にも及びません。強さも、覚悟も、決意も。何もかもが低レベル。そんなあなたたちが、ラモンを笑っている姿こそが滑稽です」
「貴様!」
顔を真っ赤にしてつかみかかろうとしてくる男。
シルフィは冷静に迎撃の体勢をとる。
傷だらけではあるが、一撃で彼の首を飛ばすことができるだろう。
この場で、魔王軍の上層部を殺すことに、何らためらいはなかった。
ラモンを侮辱した男を、そのままにしていられるか。
「待て。お前が襲い掛かっても殺されるだけだぞ。どうも、あいつはマークナイトに従ってヘルヘイムの戦いに参加したようだからなあ」
「……ちっ! あの戦いの生き残りか」
制止された男は、舌打ちをする。
ヘルヘイムの戦いは、血と鉄で構成された、まさに血戦だった。
参戦した魔王軍の生き残りはごくわずかであり、だからこそ生き残った者は、その力を特別視される。
軍部の男を制止した魔族は、しかし怯えの色を見せず、シルフィを見据える。
「ただ、敗戦の責はあるだろう」
「負けることが確定になってから、誰にやりたがらない指揮官を押し付けただけでしょう!」
「それでも、マークナイトは引き受けた。なら、責任も取る必要がある」
何をぬけぬけと。
シルフィはそう叫びたかった。
もともと、魔王軍の中でも立場がしっかりとしていなかったラモン。
そんな彼に、最高指揮官の立場を勧めたのは、上層部ではないか。
もちろん、誰が見てもその目的は明らかだったし、彼は拒絶するべきだったのだろう。
だが、それを理由に責任を押し付けることを、シルフィは決して許せなかった。
「まあ、あいつはもういない。なら、生き残りに責任を取ってもらうのが常識だろうな」
男の目はシルフィに向けられる。
ウンディーネは非常に有用だ。
見た目も美しく、希少なアイテムとなるウンディーネの涙は、価値が高い。
彼女の使いようは、いくらでもある。
男の下卑た目を向けられたシルフィは、怒りのままに暴れようとして……。
「おお、そうかい。なら、俺も一緒に責任を取ろうか、クソ野郎」
のっそりと巨体が彼女に影を落とした。
筋骨隆々の、しかし傷だらけの男を見て、上層部は皆目を丸くする。
「貴様は……! この場に入室は許されていないだろうが!」
「つっても、あいつの話をするんだったら、俺も超重要人物だろうが。なあ、ウンディーネ」
「……暑苦しいので、近寄らないでください、イフリート」
そう言いつつも、シルフィの口元には笑みが浮かんでいた。
彼は魔王軍の中で、ラモンに非常に近い立場をとっていた男。
「で、あいつに全部押し付けてこき下ろそうってか? へへっ、面白いな。面白いから、とりあえずお前らをぶっ殺していいか?」
言葉とは裏腹に怒りを爆発させる男は、全身から炎を噴き出させるのであった。
◆
「(……なんてこともあったのに)」
シルフィは目を開けて、目の前の馬鹿を見る。
「ふぅ、ビビった。マジで死ぬかと思った。二回目」
「わたくしは初めての死ですわ……」
妖精と気の抜けた表情で話をするラモン。
戦場以外でよく見せる表情だ。
気が入っていないと嫌う者も多かった。
シルフィも、当初はその考え方だった。
だが、彼と会話をし、ともに行動をするようになってから、その考え方は変わっていった。ラモンは、ああいう風に気の抜けた表情をしているときが、一番いいのだ。
薄く笑みを浮かべると、すぐにそれを消し、彼の前に一歩進み出た。
「さて、話を聞かせてもらいましょうか」
……なぜ怯える、二人とも。




