オカルト好きな少女
曜零荘は、それほど大きな寮ではなかった。
1階にはキッチンを始め、少し広めのお風呂、トイレなどの水回りがあり、キッチンに隣接するように広いダイニング兼談話室がある。
キッチンの戸棚には、左側が食料棚、そこから右に二つが食器棚のようだった。
食器棚には白い食器が、小さいものから順番に綺麗に並べられており、とても使いやすそうだった。
「冷蔵庫とか調理器具、お皿とかは適当に使っていいからね。ただし、使ったら必ず自分で片づけること。」
山本さんは僕らの方を見るとパチッとウィンクをして、約束させる。
「朝ご飯は7:00~8:00の間にここにきてくれればいいからね。それ以降でも私は構わないけど、学校遅れちゃうからね……。お昼は学食でよろしく。夕飯は18:00~20:00の間。それ以降だと私はいないけど、ここに残しておくから適当に温めて食べてね。あと、片づけもよろしく。いらないときは必ず連絡すること。あ、土日は私ここにいないから、自分で適当に食べること。冷蔵庫の食材とかは使って構わないよ。食事関係はそんなもんかな。」
山本さんは食卓に座ってそう話しながら、お茶をすする。
「門限とかルールみたいなものは特にないけど、学生なんだからあまり夜出歩いたりしないようにね。それから、他には何か言っておくことあったっけな……。」
山本さんは、ええと、と思い出そうとしている。
――なんかさっきから寮母さんというか、あまり寮に慣れてない感じがするんだよな……
そう思っていると、山本さんが僕の視線に気づいたのか、話始める。
「私、ずっと東京で働いてたんだけど……まぁいろいろあってこっちに戻ってきてね……。実家から近いこの寮で働かせてもらうことにしたんだ。てことで、あんま慣れてないんだけど……何かあったら言ってね」
ヘヘと山本さんは照れるように笑う。
「ええと……何か重要なことを伝え忘れている気がするんだけど……思い出せない……。まあいいや。何か質問ある?」
僕は少し考えて、聞いてみることにした。
「あの……この寮で誰か死んでたりしますか?その……例えば自殺した人がいるとか……この世に未練を残した人、だと思うんですけど……。」
山本さんはキョトンとした顔をする。
「この寮、幽霊を引き寄せるって噂ですけど、あれって本当ですか?何か理由があるんですか?」
飯綱さんが補足するように、僕の言葉に続ける。
すると、山本さんはやはりキョトンとした顔のまま、
「え、そうなの?」
と言った。
そして、やはり照れるように笑い、
「いやぁ、私も半年前に始めたばっかりだから、全然知らないんだよね。でも、目下の問題は幽霊よりも……」
と何かブツブツとつぶやく。
「まあ、それはこっちの話だからいいや。他に何か質問とかある?」
僕は少し考えて、
「いや、他には特に……」
と言いかけたとき、飯綱さんが、「あ」と声を漏らす。
「そういえば、この寮ってペットOKなんですか?」
「ペット?」
山本さんが怪訝そうな顔をして、答える。
「いや、うちはペットはNGだよ。」
――あれ?
「あれ、でもさっき……」
黒い猫がいたような……と聞く前に、飯綱さんが「そうですか」と言って引き下がる。
「じゃあ、これからよろしくね!」
そう言って山本さんは屈託のない笑顔を僕らに向けた。
その後、僕らは2階に移動した。
2階は寮生の部屋が廊下を挟んで左右に3部屋ずつあり、飯綱さんはそのうちの一つにするりと身体を忍び込ませる。
「それじゃあね。あなたも自分の場所に戻りなさい。」
そう言ってドアを閉めようとしてときに、ちらりと見えた部屋の中は引っ越し用の段ボール箱が所せましと並んでいた。
僕は隣の部屋に入って、備えつけられていたベッドにどっかりと寝転がる。
「寮、か……。」
もちろん僕にとって、初めての一人暮らしだ。
新しい生活への期待でどこか浮ついた気持ちがある反面、この状況を許してくれた実家と両親の惨状を思うとどこか後ろめたいものがあって、複雑な気持ちだった。
ふぅと一息ため息をついて、目をつぶる。
――ガシャン!
突然の大きな物音にハッと飛び起きる。
どうやら気づかないうちに寝入ってしまったらしい。
カーテンのない窓から見える外は、すでに真っ暗になっていて、時計は見えないが夜であることがわかる。
「今の音は……?」
――ガシャン!
再び大きな音が響き、それが階下からの音、食器が割れるような音であることを認識する。
ベッドから飛び降りると、ポケットの携帯を取り出す。
「1時……?」
大分寝ていたようで、すでに深夜をまわっていた。
そのまま携帯の薄暗い明かりを頼りに部屋を出る。
「あ」
と、ちょうど隣の部屋から飯綱さんが出てくるのが見える。
モコモコとした白いフリース地の着る毛布というやつを羽織って、襟元にはマフラーまでしている。
向こうもこちらに気づいたようで、くるりとこちらを向く。
「あれ?まだいたの?」
「……ひどい言われようですね。」
「え、そう?」
あっけらかんとした顔でこちらを見る。
その顔には昼間と違って赤縁の大きなメガネが乗っていた。
飯綱さんは、寒そうにズビと鼻をすすって、マフラーに顔をうずめる。
「音、下だったよね?」
その動作のせいで少し落ちてきたメガネを、曲げた人差し指でクイッと上げる。
「多分……。なんか食器が割れたような音だったから、食堂……ですかね……?」
「だね。」
飯綱さんはうなずくと携帯のライトを手に階下へと向かう。
僕もそれに後ろから着いていく。
「っと……。」
薄暗い中、階段をそろりそろりと二人で降りていき、食堂の明かりをつける。
「まぶし……」
急にパッと明るくなったその部屋を見ると、さっきの音がなんだったのか、すぐに理解できた。
食器棚が開いていて、その下には白い皿が原型をとどめずに、無残に割れていたのだ。
「お皿が……。」
「これは……片づけないと危ないね。」
飯綱さんはそういうと、どこからか持ってきたホウキとチリトリでテキパキと割れた皿を片付けていく。
「大体大きいのは取れたと思うけど……あとは明日山本さんにお願いしようか。」
「そうですね。」
「食器棚の中は平気だったかな……?」
と、飯綱さんの動きが止まり、食器棚をじっと見る。
「あれ…… ?」
「どうかしました?」
むむむ、と必死に背伸びをして食器棚に首を突っ込むように見入る。
「何か……お昼見たのと違くない?」
「え……そうですかね?」
「そうだよ!ほら、並びが違うじゃない!」
僕も背伸びをして、食器棚に首を突っ込む。
「う、うわぁ……!」
勝手に変わっている食器の並びに驚いて思わず後ずさる。
食器棚の中は白い食器の数が減っていて、確かに並びが変わっていた。
小さな順に並んでいたはずの食器は順不同になっていて、動いていることは明らかだった。
「こ、これ……ポルターガイストですよ! 幽霊ですよ!」
「そんなわけないでしょ。山本さんが変えたんじゃない?」
「いやいやいや……綺麗になってるっていうならわかりますけど、わざわざバラバラにします?絶対ポルターガイストですって! 幽霊ですって!」
「幽霊だってバラバラにする理由ないじゃない。」
僕の言葉に、飯綱さんはけんもほろろといった様子で、まるで興味なさそうにふわぁあと大きなあくびをする。
「もう寝よ。」
そう飯綱さんが言って、食堂の電気を消す。
「いや、でも……」
部屋へ戻ろうする飯綱さんの後ろを追いかけながら、僕が疑問を口にした瞬間。
――ガシャン!
再び食堂から音が鳴り響く。
飯綱さんが踵を返し、パチッと電気をつけると、食堂では先ほどの食器棚から同じように皿が落ちていた。
――ガガガガガ……!
食堂へと足を踏み入れると、床下から音が聞こえてくる。
「ちょ……これ、何ですか……!」
我ながら情けないと思いつつ、飯綱さんの背に隠れる。
「オイ、男の子。フツー、逆じゃない?」
ズビと鼻を鳴らしながら、メガネの奥でジトっと僕を睨む。
「す、すいません……。」
飯綱さんはハァとため息をひとつつくと、再び食堂に入り、食器を片づけはじめる。
「い、いや、ていうか、飯綱さん……逆になんでそんな冷静なんですか!?」
僕の声に、飯綱さんはン?と顔を上げて、メガネをクイと直す。
「どういうこと?」
「いやだって、これってやっぱり……どう考えても『ポルターガイスト』ってやつですよね!?幽霊ですよね!?」
僕がそういうと、
「ポルターガイスト……?」
飯綱さんは曲げた人差し指でメガネをクイッと上げて、僕を見据えるように睨むと、
「そんなオカルトありえない。」
と眉間にしわを寄せる。
「いや、でも……。」
「デモもヘチマもない!そんな非科学的なオカルト、私は認めない!」
急に何かのスイッチが入ったように、飯綱さんが今までのおっとりとした感じとは違った、鋭い声を上げる。
その声に一瞬ドキリとしながら、放たれた言葉には疑問を感じていた。
――いや、でも待てよ……。非科学的な……オカルトってなんだ……?
「そもそもオカルトって……非科学的なものじゃないんですか?」
つい、突っ込んでしまった……。
「フフン。」
僕のその言葉を、まるで『挑戦』と受け取ったかのように、飯綱さんは挑発的な笑みを浮かべる。
そして、グスッと鼻を一つならすと、
「あのね、オカルトっていうのは、本来もっと神秘的で……科学的なものなのよ。」
そう話し出した。
「オカルトが……科学的?」
「そう。元々オカルト、オカルティズムと言われるそれは、目に見えないものや実際に触れたり、感じることができない現象を知識として探究することをいうのよ。」
そう話しながら、飯綱さんは食器棚からマグカップを取り出して、ポットの側にあるインスタントコーヒーを入れ、お湯を注ぐ。
熱そうにズズとそれをすすりながら続ける。
「例えばそうね……。太陽君は『万有引力』ってわかるわよね?」
「万有引力って……ニュートンがリンゴが落下するのを見て思いついたっていう、アレですよね?」
飯綱さんがコクリとうなずく。
「ええ、そのアレね。アレも元はオカルトなのよ。」
「ニュートンとリンゴがオカルト……。」
「そう、ニュートンとリンゴが……じゃなくて、『万有引力』がオカルトなの!」
「じょ、冗談ですよ……。」
本気で頬を膨らませる飯綱さんに茶化したことを謝る。
飯綱さんはうんと一つ頷くと、力説を続ける。
「引力って目に見える力ではないわよね?そういった目に見えないもの、実感できないものを知識として論理化するのがオカルトの本質なのよ!」
グッと握りこぶしを作って、微笑む飯綱さん。
うーん、そう言われても、正直わかったようなわからないような……。
「その……『万有引力』が科学的なオカルトで……『ポルターガイスト』が非科学的なオカルトっていうのは、どういうことなんですか?霊とかも、目に見えない力と言えなくもないような……。」
飯綱さんはキョトンとした顔で僕を見る。
「霊はオカルトよ。」
「え……?でもポルターガイストはオカルトじゃないってさっき……。」
飯綱さんは、ああ、と納得の言った顔でうなずく。
「だって、ポルターガイストは霊が起こしたものとは限らないでしょ?本当に霊がものを動かしてるんだったら、とっても興味深いけどね。」
そういって、飯綱さんはいたずらっぽく笑う。
「じゃあ、今のお皿が割れたのも霊の仕業じゃないってことですか?」
うーん、と口をとがらせる。
「そうね……パターンとしてはかなり色々なものが考えられるけど……。」
「パターン……?」
「そう、パターン。」
飯綱さんはそういうと、着いてきて、というように手招きをして二階に上がり、自室へと入っていった。
「っと……お邪魔、します……。」
部屋の前で少し躊躇してしまったものの、女の子の一人暮らしの部屋という甘美な誘惑に負けて、静かに扉を開ける。
「うぁ……」
扉の前で思わず立ちすくんでしまう。
部屋の中にはたくさんの本がと揃っていて、本棚に所狭しと並べられていた。
本棚の中に大量のノートだけが置かれている棚があり、飯綱さんはぶつぶつと何かをつぶやきながら、一冊のノートを選ぶ。
「それは……?っていうか、そのノートは……」
「ああ、これ?これは、なんていうか……メモかな。」
「メモ?」
「そう、メモ。私が調べたオカルトについてのメモだね。」
いやいや、メモっていう量じゃないですけど……。
ずり落ちてくるメガネをクイクイと頻繁に直しながら、下を向いたまま飯綱さんはノートをパラパラとめくる。
「えーと、ポルターガイストの原因は……私の調べたところによると、8割型幽霊以外の原因ね。」
「それって……何なんですか?」
「ええと、そうね……例えば……。」
飯綱さんは、僕の質問に、ノートを見たまま顔を上げずに続ける。
「事象no.212、単純ないたずら。」
「え?事象、ナンバー?いたずら?」
「そう。子供がこっそり家具の位置を入れ替えてたり、まあ、そういうのだね。」
「はぁ……で、事象ナンバーっていうのは……」
「そうやって聞くと何だか大したことなさそうに聞こえるかもしれないけど、ラップ音を広めた張本人とも言うべき【フォックス姉妹】は足の関節を鳴らすことで、ラップ音を出していたという説もあるくらいなのよ。そもそも始まりは姉妹のいたずらからだっていう話もあるし、一言でいたずらと言っても奥が深いのよね……。」
どうやら飯綱さんは再び変なスイッチが入ってしまったようで、嬉々として怒涛のようにポルターガイストについて語り始める。
「あの、それはそれとして……事象ナンバーって……」
「それから、事象no.213では建物の振動、no.214の共鳴なんていう説も面白いわよね。実際水道管の振動だったとかで、水道管を修理したらポルターガイストの現象は起こらなくなったとかいう話もあるみたいだし……」
なるほど。ポルターガイストって一言で言っても結構いろんな原因が考えられるんだな。
いや、ていうか……
「というか、事象ナンバーって何なん……」
目を上げると飯綱さんはそのしゃべりの勢いとは裏腹に、どこか残念そうに見えて、ついその理由を聞いてしまう。
「なんか……飯綱さん、残念そうじゃないですか?」
「え。」
飯綱さんは、うーん、と唸ると口を開く。
「まあ……結局今言ったようなのって、オカルトじゃないからね。本当にそうだったら、まあ……残念、だよね……。」
――本当にオカルトが好きなんだな
その眉尻を下げた横顔を見ながら、そう思う。
――でもなんでそんなにオカルトにこだわりがあるのかな……?
ふとそんな疑問が頭をよぎる。
「でも、幽霊、かもしれない。」
「え?」
飯綱さんがノートからこちらを見上げるように顔を振り、その勢いでするっとメガネが鼻からずれ落ちる。
「原因がわからない以上、幽霊って可能性もある!」
飯綱さんは、スチャとズレ落ちたメガネを鼻に戻すと、本棚から別のノートを取り出し、再びそこに目をやる。
「仮に幽霊のせいじゃなかったとしても、仮説no.82の精神的に未発達の人間が引き起こす念力説もあるし、仮説no.79の『家鳴り』。日本ではそういう妖怪の仕業とされていたりして、いえ、妖怪が実在するかどうかは怪しいけれど、昔からあった現象っていうのは興味深いことよね。それに……」
そうして、飯綱さんのポルターガイストに始まったオカルトの講義は延々と続き、深夜3時を過ぎた頃、眠気が限界に達した僕は半ばあきれ気味で
「本当に、オカルト好きなんですね……。」
と言った。
それがきっかけになって、ふと言葉をとめた飯綱さんは、普段以上の熱量で語った今までの熱を取り返すかのようにハイネックをグイと口元まで引き上げる。
そして、くぐもった声で
「そういう意味では、今一番興味があるのはアナタだけどね」
と言った。
「え……?それはどういう……」
恵さんは僕の質問に答えず、じっとこちらを見たかと思うと、僕を追い出して自室の扉を閉めてしまった。