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ひと段落

 「お父さん」も「聖女」も少女が望んだ名前ではなかったが、二つ並べると同一人物を指す言葉には思えなくてちょっとおもしろい、と少女は思った。正確には、そう思ったふりをした。

 青年は、別に「聖女」の呼び名に反応したわけではなかったらしく、「だからなんだ」と島原に向き合った。「この人は、おれのお父さんだよ」そう言って少女の肩を掴み、島原を睨み据える。


「おやおや。精神障碍者か何かですか、彼」

「そこんとこだが、あたしにもよーわからん。なんせ出会って間もない」

「鶴子さんが身体障碍者なのでいい塩梅ですね?」

「お父さん、こいつ、殺しとくか」

「ダメ。いいのよこいつは。こういうこと言ってあたしに怒られることが仕事だから」


 青年だって、なにも対策がないまま力任せに成人男性を殺しにかかろうとするほどの馬鹿ではないと思うが(馬鹿だろうなとは思っている少女だが)、一応くぎを刺しておく。

 青年と島原が並ぶと健康優良児と健康優良児がそのまま大人になった男みたいな構図になって、健康優良児とは言い難いありさまの少女はそこそこ居心地が悪い。島原に水を向ける。


「それで、昨日のはどこの回し者だったわけ? 同業者? 公安? 信者? 元信者?」

「どちらかと言えば、狂信者という感じでしょうか。鶴子さまを教団から追放した上層部が許せないそうで、かつて自分を救ってくれた聖女様を今度は自分が助けるのだと息巻いていましたが」

「げっそりするよ、勝手に希望にされるのはいつまで経ってもなれないもんだわ」


 後半は青年に向かって言った。青年はまだ肩に力を込めたままだったが、「いや島原とはお前より付き合い長いから。全然」という誤った全然の使い方をしながら伝えると、青年はますます少女を握りしめた。


「懐かれてますねえ」

「なにせ父親だと思われているからね」

「それはそれは」


 毒をさらりと島原は流して、「鶴子さんがお世話になりました。改めましてわたくし、島原と言います。鶴子さんとは現在、ビジネスライクな介護者と被介護者の関係です」と青年に向き直る。「きれいな言葉で言って、お世話係です」

 別段否定することではないが、嫌味たらしい口上が気に入らなくて目を逸らす。長い付き合いの介護人は今更少女の一挙一動に左右されることもない。

 青年の方が、少したじろいでいた。


「……お父さんをどこかへやるつもりか?」

「どこか……まあ、別荘には。この山自体が鶴子さんのお母上のものなので、勝手にこんな小屋を建ててるあなたのほうがまずいんですがね。この人にどんな感情を抱いても構いませんけど、司法の場に立つとお互い面倒ですよ」

「お父さんはおれのお父さんだ。……どこにも渡さねえ」


 幼稚な言い分は情けなく歪んだ眉毛と、膜が張った眼球でなんともいえないみじめっぽさが出ていた。

 かわいそうだなあと思った少女は、青年がそのまま泣かないように背中をぽんぽんと、何度か叩いた。青年自身、道理がどちらにあるかはわかっていて、だからこその駄々なのは見てわかる。

 成人はしていない、それでも少女よりは年嵩の人間が感情をあらわにするのは、場にそぐわないが愉快で、不謹慎な笑い声を立てそうになる。島原の目が空気を読めと言っている。


 改めて思う。この青年はなんなんだろう。


 あの視線の交錯が間違いなく、初対面の瞬間だ。

 お父さんと身に覚えのない呼称をてらいなく言い、明らかに自分より年下の相手に屈託のない感情を向ける。

 自分で切ったんであろうざんばらな髪と、似つかわしくない澄んだ青い目。いつから山で暮らしているのか、筋肉がついたのびやかな手足。整った顔。

 ……きっとあまり考えていないんだろう。先のことも、少女のことも。あるいは自分自身のことも。

 だから少女もわからない。彼が少女をお父さんと呼ぶ理由。そして、拘泥する理由。夜尿症もそのあたりに起因しているかもしれないが、ただの「変な奴」で印象が固まってしまっている。

 勝手に父と呼ばれても愛せるわけもないのに。

 仮に青年が我が子だとしても、きっと「だからなに」で終わる。


 見る目ないなこいつ。

 いよいよかわいそうになってきた。


「そういや、名前を聞いてなかったわね」

「はあ?」


 声を上げたのは島原で、島原はわざわざ屈んで、青年に顔を寄せ、「あなた、この人の名前知ってます?」と聞いた。青年は「お父さんは、お父さんだ」とやっぱりまだ警戒している風に島原を睨む。島原のため息の深さといったらなかった。


「あらら呆れましたよ、二人とも自己紹介もせずに同衾したんですか……? 不用心ですよ」


 同衾という言い方には引っかかったが返す言葉はなかった。

 島原に言われたからではないが、ふと興がのって、青年の方に両手を置いて、ぐっと押す。

 真正面から見つめ合う。

 少女は青年を見る。青い目の青年を見る。


「あたしは鶴子」

「おれはゆうじ」


 即座に青年は――ゆうじは名乗った。

 名前を知ったからって何が変わるわけでもない。結局知らないことの方が多い。


 だけれど少女は、鶴子は、ゆうじのさまよう手を離すつもりはなかった。


 なんでだと思う? 

 なあ、考えてみろよ。お前。ゆうじ。

 ゆうじの青い目が大きく開かれる。黒い瞳孔が小さくなって、青さがよりわかる。

 可哀想な青色をしている。

 鶴子に負けないくらい、可哀想。

 こんな不幸な青年、一緒にいたらきっと面白い。


「ゆうじ、一緒に暮らそう。ここじゃなくて、もう少し広いところで」と言う。


 ドライヤーもあるから雨の日でも布団の心配はないぜと言うと。

 ゆうじは喜んで、鶴子が車椅子に乗ってからもずっと、鶴子の別荘についてもずっと、手をつないだままだった。


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