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一緒に寝る

「今日みたいな嵐を、一人で過ごすのは初めてだなって思ってから……お父さんが帰ってきてくれて嬉しいぜ」

「……。……………?」

 

 本当にうれしそうな笑みを浮かべながら、難読なつぶやきをする青年だった。

 何かのきき間違いかと思ったが、いや、と思い直す。そしてものすごく頭を使って、少女は、青年は一人暮らしではないのだ、という考えに行き当たった。愕然とする。

 まじで? この小屋……いや家の、このスペースで? え?

 こんな……だってこんな……まじで??

 まあ、少なくともかつては青年以外にもこの家で暮らす誰かがいたということだ。

 少女のように、拾って来た誰か……あるいは、青年は未成年なので、普通に考えれば……実の両親?

 お母さんとか。

「お父さん」とか。


「……」


 そのひとはなんで今いないの?

 お前が殺したの??

 なんて、面と向かってはさすがに言いづらく、別の文句を少女はあえて軽い調子で聞いた。


「嵐が怖いの?」

「怖いっていうか、うーん……自然には勝てないだろう人間って」

「対抗手段の一つが傘だからね。千年前から取れる選択肢が変わらないんだもんね」

「『ことごとくの雲が嵐を成すというわけではない』。でも成ったからにはもう逃げるかしかない」

「――シェイクスピア?」

「山を下りた町の図書館でね、読んだ」

「この小、いや家には、本はないようだけど?」

「ないよ。借りるには市民カードが必要だし、買うなら食料か衣料品か、そっちを優先するから」

「……まあそうね」

「うん。本は館内で読むだけ。図書館が閉鎖したらそこまでだ」

「そうか」


 山の小屋の暮らしといっても、外界と隔絶しているというわけでないのはわかった。

 植木鉢で野菜を育てるのと同時に、町で働いて糧を得て、本を読んで生きている。

 青年には社会性がある。


「……」


 この小屋は誰が建てたのか、いつからここで暮らしているのか、保護者はいないのか。

 聞いたらあっさりと答えがありそうで、だからこそ躊躇われた。踏み込んでいいのだろうか。なんの責任も取れない、客人でしかない自分が、変に距離を縮めていいものだろうか。


「お父さん。おれいつも布団、壁際で寝てるけど、風がうるさいから今日は真ん中で寝ようか」


 当然のように泊りコースだ。

 確かに嵐の中、電動車椅子でどこまでたたかえるかという話である。ここは素直に、好意に甘えさせてもらうべきだろうと意を決する。


「それは助かるけど、でもここ、濡れてるだろ」濡らしたのは少女だけど。


「タオルあるから大丈夫だよ。その上に敷くからちょっと背中ごわごわするだろうけど……お父さん、ちょっとごめんな」


 と、体を持ち上げられ、いったん部屋の暗い隅に置かれてから、支度が整ったところで、布団の上にそっと載せられた。

 夏だが嵐のせいか小屋の作りのせいか妙に冷えるので、掛布団がありがたかった。

 青年が入ってきたので「ん?」となった。


「一組しかないのか、布団」

「昔は二つあったけど捨てちゃったな」

「冷暖房なし、ガスなし、家具家電なし、客用布団なしか。なるほどなるほど……せっかく助けてもらったけど今回はご縁がなかったということでご遠慮させていただきます」

「待って待って待って」


 こんなところで一夜は越せないですごめんなさいと体をうつぶせにし、車椅子のある玄関まで腕の力だけでなんとか這いずっていこうとしたがものの五秒でとめられた。


「駄目だよお父さん。台風の夜は外にいちゃだめだ。家にこもってあったかくしねえと」

「見知らぬ人間と寝具を一緒にするのは違うと思う」

「大丈夫おれ寝相悪くねえから」

「そろそろこの噛みあわなさに決着をつけなくてはね」

「お父さんが外に出て、また転んじゃったらどうするんだ? この山、あんまり人が寄り付かないぜ。助けてもらえないよ」

「……そういうお前も外に出ただろ? 大きなシャベルも持って」

「シャベル? あれ、スコップでしょ?」

「――、いや答えになってない」

「おれはね、土砂崩れで埋めたものが出てきてないかなってちょっと心配だったから。でもそこにはお父さんがいたんだ。お父さん、生きてたんだな!」

「死んだことないから生きてるだけだけどな」

「お父さん面白いなあ。はい、布団戻ってね」


 ずるずると引っ張られ、仰向けにされ、二十センチの逃亡劇はなかったことにされた。

 ひとり用の布団で、まだまだ伸びそうな青年と発育不良の少女が二人。窮屈は窮屈だったが、収まれてしまったことが信じられない。

 あたしってこんなにコンパクトだったんだ……車椅子に乗るときの比じゃない実感であった。


「あ、お父さん明かり消す?」

「ん……いや、まぶしくはないし、いい」


 眼鏡をはずす前にちらりと時計を見た。まだ九時だった。

 夕飯も満足に食べていないので、腹が減るかと思ったが、布団で横になった瞬間気にならなくなった。


「おれも。家は明るいほうがいい」

「睡眠の質的なやつでは、消して寝たほうがいいらしいけどね」

「起きないといけない時間に起きれなかったことないけどなあ」

「いいじゃん。バイトにも遅刻しないでしょ」

「しねえなあ。なにもしないでもお腹は空くし、じゃあお金稼がなきゃならないってなるし……」

「真面目」

「盗ったりして捕まったら面倒だろ。効率が悪い」

「捕まらなかったら? バレなきゃいいじゃない」

「あー……良心の呵責に耐えるのが面倒だろう。結局そうなるんだから犯罪はしないよ。少なくともこの国のは」

「……殺人って大体どこの国でも犯罪だよね?」

「何言ってるのお父さん。当たり前でしょ!」

「……」


 ねえ、と左を視線だけで向く。

 視力は悪いが、青年の輪郭が辛うじてとらえられた。


「なんであたしを助けようと思ったの?」


 裾を折られなくても問題ない、しわを伸ばせば踵まで届きそうなズボンの感触をなんとはなしに撫でて確かめた。

 初対面の、足が不自由な、女の子。連れて帰るには少々骨が折れる相手だと思う。

 少女的には、車椅子を起こして載せられて、いよいよ殺されるのか、まだか、そうかまだか、まだなのか、という気持ちでここまで来てしまったため、今一つ状況を実感できていない。

 なんでここにいるのだか。

 なんでこの男は自分を手厚く遇するのか。

 「わからない」は久しぶりだった。だから用心する。警戒する。

 この男が殺人鬼だとして。なんか、もう、そんな感じでもないけれど。

 意思の疎通が図れるのなら、理由を聞いたっていいだろう。

 青年が布団の波をかき分けて近づいてきた。この距離では眼鏡がないと顔が見えない。

 やはり視力が一番不便だなと思いながら枕元に置いていた眼鏡を手探りする。


「助けてって言ってたよね?」

「だからだ、と言うつもり? お前は慈善の人なの?」

「お父さんに助けって言われたら、助けるだろ、ふつう」

「だからそのお父さんってのなに」

「あなた」


 指をさした青年の体がぐっと伸び、少女をまたいだ。

 ひょいと眼鏡は発見され、少女の目に掛けられた。

 はっきりした視界で、青年の顔が近くにある。

 青年の影に全身が覆われる。足が動かないから、少女は逃げられない。

 伸びた人差し指が、そのまま少女の鼻に着陸した。咄嗟に目を閉じる。ぐっと押される。

 目を開ける。


「……ぶひいと鳴けばいいのか」

「お父さんはどんな顔でもかっこいいね」


 指が離された。

 少女は少し苛立った声を出す。


「あたしはお前を知らない。だから求めるものがわからない。――見返りを要求される方が気が楽なんだけれど?」


 不意に、じっと青年が少女を見た。

 先ほど雨の中で見た、感情の読めない目。青い目。


「優しくされて不安?」

「は……」

「ここをお菓子の家と勘違いしてるわけじゃないでしょう、お父さん」

「……案外グレーテル感あるわよあたし。撒くパンすらないから、グレーテルより無力なくらいだ」

「パンは必要ないよ。帰る場所はここだもの」


 掠れた声にぞっとした。


「……ロリコンか?」

「お父さんはお父さんだろ」


 誰と意思が疎通できるって? とほんの三分前の自分に言いたい。

 同じ言語でここまで話が通じないのならいっそ何もわからないまま不条理に殺される方が楽だ――学校の勉強をしなくなってから、悩むことから逃げて極端に最短の解決を選ぼうとするのは少女の悪い癖であり、どうしようもない処世術といえた。


「なにもしねえよ。傍に居てくれればいい」

「――それが見返りなの? 理由は」

「おれはお父さんと暮らせればいいんだ」


 それにさ、と青年が指で自らの耳を指す。そのあと、ドアを指さした。相変わらず雨の音と風の音は強く、やむ気配がない。


「嵐でしょう?」

「そうね」

「それでおれがあの、車椅子を壊したら」

「――」

「お父さんはどこも行けないね」


 青年は笑いすら、しない。いよいよ寒気のする少女だった。


 ……こいつの。

 犯罪の定義ってどこからなんだろう……。


 ふつう、「他人に迷惑をかける」ことは犯罪である。

 でも確かに、青年にされたことといえば嵐の山で遭難していたところを助けてもらい、濡れた体を拭くものや服を貸してもらって、一つしかない寝具まで提供されている。

 ここまでは、迷惑をかけたとは言えない。

 だが……。


「なるほど、殺人鬼でなくて誘拐犯か……」

「殺人? 誘拐? どっちも恐ろしい犯罪だね? 怖い話?」

「お前、携帯持ってるわね?」

「持ってるよ? 仕事のときにないと不便だからって持たされた」

「この山、電波はいるのね」

「そうだな」

「じゃあラジオを買え! 明日にでも!」


 腹から声を出した勢いで、目の前にある整った顔に頭突きした。

 青年は痛いよとめそめそ泣きながら布団の端に戻っていった。掛布団がもぞもぞうごく。


「……なんでラジオ?」


 掛布団から目元だけ出した青年が少女を見てくる。

 少女はさっさと眼鏡をはずし、視界をまた曖昧なものに戻した。少女はランタンでぼんやり明るい天井を見る。


「ラジオは周波数を合わせると音が出る」

「それは知ってる……」

「夜でも番組がやっている。さびしくないぞ」


 明かりに頼らなくても。と言い残し、目を閉じた。

 そのまま寝た。

 朝まで寝た。

 そして、掘っ立て小屋にノックが響いた。



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