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「うち来る?」

 青年の家に行くことになった。

 不可抗力である。

 いい加減雨に打たれて辛くなっていたところに、青年が、家がすぐそこだから、寄るか、と提案してきたのだ。

 行くじゃない? そりゃ行くじゃない? 肺炎とかなったら嫌だもん。風邪も嫌だ。貧弱なのだ少女は。

 のこのこついて行った。

 とんでもなく後悔した。


「家だ」と言って連れていかれたのは、そこそこ知識があっただけの素人が作ったと思しき山小屋だった。

 表札はない。ポストもない。

 雨漏りはしていないが、風の音が強く聞こえる。薄暗かった。明かりは電池式の壁掛けランタンとスタンドタイプのものがひとつずつあるだけだ。全貌までは照らしきれていない。

 部屋も一室しかない。六畳より少し大きい程度の部屋の隅に、敷かれたままの布団があり、ぺらぺらのうちわがあり、ティッシュペーパーなどの消耗品があり、服やタオルが畳まれてあった。壁際にハンガーで吊るしてあるのは外から取り込んだ分だろうか。ほかには、野菜の生った大きな植木鉢が四つ置かれていた。ミニトマトときゅうりとなすとゴーヤ。青年が担いでいたシャベルは、玄関にほど近いところのロープや肥料、土の袋などのコーナーにまとめられた。風呂はどこだろう、外だろうか。食料は2リットルのペットボトルの水がいくつもと、スーパーの袋から調理済みの食品がいくつか見えた。パンなども。調理器具の類はなかった。

 室内は畳が敷かれていた。土足厳禁らしく、畳のないところ、引き戸の玄関に接するように無理やり車椅子が安置された。

 少女は合羽を脱いだ青年に、座布団もない部屋の中央に案内された。介護の勝手はわからないらしく、強引に持ち上げるように運ばれたのだ。ぽたぽたとしずくが床を濡らしていく。


 殺人鬼が介護するかね。そういう小説は読んだことがなかった。


 すぐタオルを持ってきた青年を見上げた。

 青年がどんな生活をしているのか、よく、わからなかった。

「この」小屋と言うのは、一応控えよう。「……家、時計があるのね」

 午後八時だった。ランタンの近くの、まるい文字盤、黒いアラビア数字、秒針まで動くタイプの見やすいかけ時計だ。


「うん、バイトに遅れたら困るから」

「あら、働いてるの?」


 意外な気持ちで反復すると、眼鏡のしずくをティッシュペーパーで拭きとった青年がそれを返してくる。


「町で、喫茶店と、ヌードモデルと、短期の工事現場」

「はあ。肉体美ってやつかしら」ここで眼鏡をかけ、改めて青年をまじまじと見つめる。「……、…………いやお前未成年でしょう。合法かそれ」

「一番稼ぎがいいんだぜ」


 青い目の青年は、案外からっと笑った。


「ヒエ……狂ってるよお世の中……」

「お父さんは中学生くらい?」


 なんでその一文にある矛盾点を無視できるんだ?

 と思いつつ、「年齢は……十四だけど、学校へは通っていない」少女は肩をすくめる。


「義務教育じゃねえ?」

「籍はあっても通学しない学生なんていくらでもいる」

「お父さんは、学校が嫌いなんか?」

「学校も嫌い」


 にへら、力を抜いた顔をした青年。


「おれも。嫌いだった学校」


 一緒だねえと笑うから、なんだこいつと、少女も露悪的な気分になり、「やめときな。あたしは差別主義者だぜ。嫌な奴だ。男と女、国、思想、気に入らないことがあったらいくらでも馬鹿にする。懐いてるんじゃないわよ」と首を振る。

 なにがお父さんだ。この異常者が。殺人鬼が。

 青年は大学……いや高校生くらいの年齢だ。中学を卒業してから働き始めたというところだろうか。その顔で、ヌードモデルや工事現場に駆り出されることもある体格で、モテないということはないだろうし楽しい思いを一つもしてこなかったなんて言わせたくないものだ。


「お父さんが差別主義者でおれが困ることあるか?」

「えええ……? 知らんけど、どうなの?」


 ないよなんにも、と青年はこたえた。

 風の音がびゅうびゅう鳴っている。なんであたしはここにいるんだろうとぼんやり思うのであった。


「お父さんびしょ濡れ」

「雨だったからね」

「タオルはまだあるけど……着替えおれのでもいい? あ、髪、どうしようか」

「うん?」

「ガスとか、通ってないからここ。火、カセットコンロしかなくて」

「髪の毛は自然乾燥で頑張るわ」


 幸いなことにそんなに長くないしいよいよ乾かないなんてことになったら最悪、根元から切ってしまったっていい。……はさみはあるよね、この小屋?

 青年の髪が短いのはそういう?


「これ、着替え」

「おー」


 濡れた布を皮膚からはがさないといけないところからスタートした作業は、着替えるのに手間取っていたら、見かねたらしい青年が丁寧に手伝った。

 上半身から脱いでいき、タオルで水滴を吸い取ってからばんざいの状態を取り、すとんと上から落としてもらう。覚悟はしていたがパンツまでべしゃべしゃだった下半身は、見せることには抵抗はなかったが見せてしまうことは悪いと思いつつ、風邪を引かないようにとぬぐわれた――絶対に冷暖房をちゃんと設置した方が良いとは主張したかったがさすがにそこまで図々しい口ははさめない。床を濡らして悪かったという気持ちはある。

 少女が座っていたところにはバスタオルが敷かれた。


「おお……濡れてない服って快適ね」

「ちょっと大きいかな」

「言うんじゃないよそういうのはあ。ガリなのあたしコンプレックスなんだからあ」

「あしのところ、邪魔なら折るよ」

「脚長いアピールをやめなさいよお」


 ヌードモデルで稼ぐような青年に体躯で劣るのはどうしたって仕方ない――という慰めは、慰めでしかないことは自分が一番よくわかっている少女だった。

 もともと小柄ではあったが、動かなくなった足は衰えて、自力では立つことすらできない。自分の現在の身長がいくつなのか、少女は知らない。


「嵐、いつ終わるかな」


 ぽつりと青年が言った。この小屋でそのあたりの情報を得るのは困難なことだった。なにせテレビもラジオもない。山で暮らすならせめてラジオはあってもいいと思う。防災意識低いよ絶対持ってた方がいいと思うよあたし。と声にせず少女は腕を組む。

 嵐は、どうにもまだ止みそうになかった。


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