最終話
あれから十年が経ち、彼の病気は再発しなかった。
彼は何年か前に奥さんと離婚し、私も子供が手を離れそれぞれが自立をした時点で熟年離婚をした。
もう、私たちを縛るものはなくなった。
「こんなおばあちゃんになっても愛してくれる?」
「それはお互いさまだよ」
キラキラと輝く海はとても綺麗で、私はこの上ない喜びを感じていた。
永遠を歩いていこう。
二人で歩いていこう。
僕らの想いは変わらない。
誓った約束を忘れずに。
一緒に願いを叶えていこう。
たったひとつの愛だから。
たったひとつの僕らの愛だから。
繋いだ手はいつまでも離れることはない。
放さない。
「僕はね、今日ほどこの歌を作ったことを良かったと思ったことはなかったよ。この歌を作った当時もほんとにいい曲だよなあと我ながら思ったものだったけどね。僕の歌で頑張ろうと思ってくれたこと、僕の歌が癒しになってくれたこと、それがとても嬉しかった」
ゲクトは言葉を切り、時間を置かずに続けた。
「今、このメールを送ってくれた紗耶さんと電話が繋がってるんだ。紗耶さん?」
「こんばんは」
「メールをありがとう。それで、もう衛さんの身体は?」
「はい、もうすっかり大丈夫なんです」
「そうか、よかった」
「本当に私たち貴方には感謝しているんです」
「うん、それは僕も嬉しい。でもね、思ったんだけど、僕の歌は確かにあなたたちの力になったかもしれないけれどね、僕の歌には奇跡を起こす力はないと思うんだ」
「え?」
ゲクトはマイクの前で優しく微笑んでいた。だが、それは彼女には見えなかったのだが。
「どんなに僕の歌で頑張ろうと思ったとしてもね、病気が治らないときは治らないものなんだよね。昔、どうしても救いたいと思った女の子がいてさ、僕は彼女のために歌を作って全身全霊をこめて彼女のために歌ったんだ。そして、彼女も頑張ってくれた。けれど、その子は願いもむなしく死んでしまった…」
「………」
しばらく重苦しい空気が流れた。
「僕はあの時ほど、自分の無力さを実感したことはなかったよ。僕の存在って何だろうって、僕の歌なんて誰も救えやしないと思ったんだ」
「でもっ…」
「うん、今はもうそんなこと思ってやしないよ。あなただけじゃないから。救われた、助かったと言ってくれるのはね。でも、その人の命の長さっていうのはやっぱり決められてるんだなあって思ったんだ。助かる人は助かる、助からない人はどうしたって助からない。僕らはそんな運命みたいな宿命みたいなもので命の長さは決められているんだなあってね」
「運命…宿命…」
「だから、衛さんは助かる運命だったんだ。僕の歌が存在しても存在してなかったとしてもね」
「それは違いますよ」
突然、電話の主が変わった。衛だった。
「ゲクトさん、あなたの歌で救われた者です」
「あなたが衛さん?」
「はい、衛です。確かにあなたの言われるように僕は助かる運命だったかもしれない。ですが、自分が何時死ぬかなんて誰にもわかりはしないですよね。それに、あの病気にかかったときに僕は様々な奇跡を調べ尽くしました。自分も助かりたい一身で。そしたら何となくわかったんです」
「何を?」
「人の想いは奇跡を起こすのだと」
ゲクトは耳をすませた。
「助かりたいと強く強く願うことで、がん細胞さえも消失させてしまうこともあるんだと。そういう症例を読んだとき、僕はそれにすがりつきました。強く強く願うこと。強く強く想いを持ち続けること。これは、何も支えがなければ出来ないことでした。僕には彼女、紗耶という存在と、そして、あなたのあの歌があったおかげでここまで生き延びることができたんだと本気で信じています。彼女とどこか知らない海辺で手を繋ぐこと、そして、彼女を抱きしめながらあなたの歌を聴くこと、それが僕の中の病魔を追い払ってくれたんだと。僕は信じます。たとえ全ての人がそれを否定したとしても、僕だけはそれを信じたいと思っていますから」
「ゲクトさん、私も信じています」
横から紗耶もそう言い添えた。
「………」
ゲクトは胸がいっぱいになってしまって言葉が出てこないようだった。
だが、何とか振り絞って言った。
「僕、今めちゃめちゃ感動してるよ。なんていって今の気持ちを表現していいかわからない。僕の方こそあなたたちにお礼を言いたいくらいだ。僕は本当に幸せだなあって思ったよ。僕の存在もまんざらじゃなかったんだって思えて」
「まんざらじゃ、なんてものじゃないですよ。あなたの存在は生きる希望ですから。これからもずっとそのまま歩いていってください」
「永遠を歩いていってください」
ゲクトは二人のその言葉を噛み締めた。そして「ありがとう…なんて言っていいやら本当に今ちょっとわからないけれど、とにかく嬉しい」と言い、彼はそこで電話を切った。
彼は電話を切ったあと「そうだね…」とマイクに向かって言った。そして、しばらく次の言葉に迷っていたようだが、やっと言葉を続けた。
「きっと、僕以上に幸せな奴はいないと思うよ。本当に歌を歌ってきてよかったと思っている。でもやっぱりね、僕だけの力じゃないと思うんだ。たぶんね、いろんなことが偶然に重なったことじゃなかったかなと思う。けれど、こう考えられるかなって思ったよ。その偶然というものも奇跡っていえないかなあって。紗耶さんが僕の歌をあの時に聴いたのも偶然といえば偶然だけど、けれどその偶然が起きたことが奇跡とも言えるかもしれないなあって。そして、僕の他の歌じゃなく、この歌だったこともよかったんじゃないかなあって。だって、本当に彼らのことを歌ったような内容だったみたいだしね。もしかしたら、今このときも、第二の紗耶&衛のような人たちが聴いているかもしれない。ということで、聴いてください。僕の歌『たったひとつの愛』です。僕から全ての恋人たちに、どうぞ」
永遠を歩いていこう
二人で歩いていこう
僕らの想いは変わらない
誓った約束を忘れずに
一緒に願いを叶えていこう
たったひとつの愛だから
たったひとつの僕らの愛だから
繋いだ手はいつまでも離れることはない
放さない