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朱に交われば赤くなる4

 


 自分の席が窓側じゃなくて良かったと思う。

 今日は朝から気温が高くて、昼下がりの今は教室に惜しみなく日光が降り注いでいた。


 五時間目は本当に眠い。

 つらつらと苦手な英語を先生がずっと音読してるから、尚更眠い。


 意識を飛ばしそうになる直前で思いとどまって、私はふと手元に視線を落とした。


 こないだの小テスト。右上に三十二点と赤文字で書いてある。

 何回見ても変わらないその数字に、軽くため息をついた。



「おーい、いいか。みんな球技大会明けでボーッとしてるけど、今月末には模試だからな。それで、来月は期末テストだ」



 教室内のだるだるとした雰囲気に、先生が突然そんな爆弾を投下する。

 イベントの後って、どうしても授業のやる気が出ない。最近更に暑くなってきたのも理由の一つだ。


 球技大会の総合優勝は三年生のクラスで、私たち二年三組もかなり健闘した。

 女子卓球で準決勝まで残ったり、男子バスケも三年生との試合で一度勝ったり、なかなか盛り上がったのだ。


 余韻に浸る間もなく授業はすぐに始まったけれど、みんな燃え尽きてしまったかのように伸び切っている。

 またいつもの日常が繰り返されるのだ。


 だけれど、私の日常において、少し変わったことが一つ。



「じゃあ津山、頭から英文読んでみろ」


「岬〜起きろ! 言われてんぞ〜!」



 先生の指名に、津山くんの近くの席にいる男子が騒がしくなった。



「えっ、何?」


「何じゃない。津山、英文ここから読め」


「ええ〜何で俺〜? 寝てたから分かんないんだけど」


「寝てるからだ! ちゃんと聞いてろ!」


「見逃してよセンセ〜!」



 どっ、と教室中に笑い声が充満する。

 津山くんは口を尖らせて、渋々といった様子で教科書を読み始めた。


 変わったこと。それは津山くんがよく話しかけてくるようになったことだ。

 彼にはみっともないところを見られたけれど、結果的に仲良くなれたみたいで。


 カナちゃんとあかりちゃんにも挨拶をするようになったから、二人ともちょっと驚いていた。


 津山くんって本当にすごいんだと思う。

 彼が私たちに構うようになってから、今まであまり関わっていなかった人とも少しずつ話すようになった。


 そして、私が一方的に困っているのは――



「おい狼谷、お前も寝るな。続きから読め」



 窓際でしっかりと睡眠を取っていたらしい彼は、むすっとした顔で教科書に視線を落とした。



『……羊ちゃんは、別』



 何で今それを思い出しちゃったの私――――!?

 一人で無駄に赤面し、頭を垂れる。


 あの後、狼谷くんに手を引かれ、彼と二人で少し話をした。


 変なところ見せちゃってごめんね、と狼谷くんは謝ったけれど、分かっててあそこに入ってしまった私が悪い。


 それより何より、あの日から私は狼谷くんの顔をまともに見られなくなってしまった。

 彼の顔を見ると、保健室での艶かしい声や雰囲気を思い出してしまって、とてつもなく居心地が悪くなる。


 必死に目を逸らしても、なぜだか追いかけられているような錯覚がするのだ。

 じりじりと焼かれるような、そんな視線を彼から感じる。


 だからここ数日、私は努めて狼谷くんを視界に入れないようにしていた。

 挨拶は交わしても、委員会で一緒でも、なるべく目を合わせないように。



「じゃあ今日はここまで。早めにテスト勉強始めておけよー」



 チャイムが鳴って、先生がそう告げる。


 教科書を閉じる音、椅子を引く音、話し声。

 それらがたちまち伝染していって、休み時間の開始を教えた。





 ***





「ああ、白。狼谷に英語教えてもらえばいいんじゃないか」



 先生にそう言われたのは、委員会が終わった後のことだった。


 私の隣には狼谷くんもいる。

 いつも通り職員室に向かおうとしたところで、彼が「一緒に行く」と着いてきたのだ。



「……え?」


「こないだの小テスト、あんまり良くなかっただろ。その前のも。英語苦手なのか?」



 単刀直入に聞いてくる先生に、私は「ああはい、まあ……」と曖昧に頷く。

 正直、その前の発言が気になり過ぎてそれどころじゃない。



「狼谷は毎回点数いいからな。委員会で一緒だし、お前ら仲良いからちょうどいいんじゃないかと思って」


「え、と……」



 先生の目には私たちが「仲良い」と映っているらしい。

 色々つっこみたいところはあるけれど、ひとまず落ち着こう。


 狼谷くん、英語できる人なんだ……。

 意外、と思ってしまったのは普段の彼の素行ゆえだ。遅刻欠席は勿論、授業態度も決していいとは言えない。



「俺は構いませんけど」


「だってよ白。良かったな」



 気を付けて帰れよー、と話を締めた先生に、私は立ち尽くしてしまう。



「羊ちゃん、行こう」



 狼谷くんの声で我に返り、慌てて職員室を後にした。



「……羊ちゃん」


「えっ? な、なに?」



 廊下を歩いていると、唐突に呼び掛けられる。



「英語苦手なんだね。意外」


「あ、うん……えへへ……」



 どきまぎと落ち着かない心臓。

 煮え切らない返事で誤魔化して、私は苦笑した。



「どっか寄る? カフェでも、何でも」



 羊ちゃんが嫌じゃないならだけど。

 そう付け足して、狼谷くんが立ち止まる。


 私は彼の足元を見つめたまま、首を振った。



「だ、大丈夫だよ。悪いし……」


「別に気ぃ遣わなくても」


「ほんとに、大丈夫だから……」



 自分でもよく分からない。前までどうやって狼谷くんと話していたのか、思い出せなくなってしまった。


 廊下を見つめて黙り込んでいると、頭上から彼の寂しげな声がした。



「……俺のこと、嫌いになった?」



 その言葉に目を見開いて、顔を上げる。

 すると狼谷くんは嬉しそうに微笑んだ。



「やっと目、合った」


「あ……」


「最近ずっと避けられてるから、怒ってるのかと思った」



 眉尻を下げる彼に、胸の奥が罪悪感で軋んだ。


 私だって、カナちゃんやあかりちゃんに突然避けられたら不安になる。

 しかもこれはかなり、身勝手な理由なわけで。



「ご、ごめんね。怒ってないよ。狼谷くんのこと、嫌いになったわけでもなくて」



 弁解しなきゃ、と懸命に頭を回転させる。



「ただ、その……恥ずかしかっただけで」


「恥ずかしい?」



 首を傾げる狼谷くんに、一体どうやって説明しようかと思い悩んだ。

 結局上手い言葉は見つからなくて、正直に申告することにする。



「……揶揄わないで聞いて欲しいんだけどね」


「うん」



 真剣な顔つきで相槌を打ってくれる狼谷くんに、ゆっくり息を吐き出した。



「あの……お、思い出しちゃって……」


「ん?」


「狼谷くんの顔見ると、その……保健室の、……思い出しちゃって恥ずかしい、から……」



 顔が熱い。耐えきれなくて、固く目を閉じた。


 沈黙が落ちて、言わなきゃ良かったと後悔する。

 物凄く気まずい雰囲気にしてしまった。どうしよう、何か違う話をしないと――



「ふーん……?」



 ぽつりと、狼谷くんが零した声が響く。



「ひゃっ」



 突然頬を撫でられて、堪らず飛び上がった。

 恐る恐る目を開けると、至近距離で狼谷くんと視線がぶつかる。



「こんな真っ赤にして。恥ずかしいって……」


「か、みやく、」


「耳も真っ赤」



 流れるように耳朶を摘まれて、冗談抜きに息が止まった。


 ずっと浴びないようにしていた視線が、今こんなに近くで絡みつくように自分を捉えている。

 彼の目はいつかと同じ、仄暗くて、重々しくて、獰猛だ。


 捕まった、と脳の奥で何かが喚いている。



「可愛いね」



 耳元で囁かれたわけでもないのに、やけに近くで聞こえた気がした。



「だめだよ、そんな顔したら。男なんてろくなこと考えてないんだから」


「えっ……?」


「でもさ、羊ちゃん」



 途端に悪い顔になった狼谷くんが、ゆっくりと口角を上げる。



「前に約束したよね? 俺のこと、ちゃんと見てくれるって」


「うん……?」



 約束。あれは約束だったんだろうか?

 まあでも確かに宣言してしまったし、そうなのかもしれない。



「今みたいに避けてたら、約束と違うでしょ? 俺のこと見てないよね?」



 ね、と念を押されて、私は緩慢に頷く。



「俺のこと見てて。もう目、逸らしちゃだめだよ?」


「え、あ、う……」


「羊ちゃんは優しいから、約束破ったりしないよね?」



 さっきからぐさぐさと胸が痛い。

 何だか狼谷くんに対して悪いことをしているような、そんな気がしてきた。



「う、うん……ごめんね……」


「いいよ。だって羊ちゃんが裏切るわけないから」



 そう言うと、彼は穏やかな笑顔に戻って小指を立てた。



「指切りしとこっか」



 促されるまま自分の小指を差し出してから、はて、と疑問が頭をもたげる。


 私これ、何の約束してるんだっけ?



「指切りげんまん、嘘ついたら」



 と、そこで私の目を覗き込んだ狼谷くんは、



「針千本のーます」


「へ、」


「指切った」



 なに今のなに今のなに今の!?


 うっそりと凶悪な笑みを浮かべて、一際低い声で。

 真正面から合った瞳と強く引かれた小指に、背筋が震えた。


 ――まるで本当に、針を飲まされそうな。



「羊ちゃん、本当に英語教えなくていいの?」



 恐ろしい表情をしまって、彼はなんてことないように聞いてくる。


 だけど私には分かった。

 絶対にノーと言わせない、という強い思いが滲み出ていることが。



「……お願いします……」



 完全降伏した私を、狼谷くんは満足そうに眺めて笑った。

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